夏目漱石「吾輩はウマである」   作:四十九院暁美

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連続投稿(2/2)です。


参拾

 有マ記念である。

 地下バ道に行くと、出口の周りに集まっている影がある。あいつらだ。勝負服に身を包んだいつもの奴らが待っている。どうも私を待っていたようで、一番にスペが「待っていたよ」と鼻先を白く曇らせた。こんなに寒いんだから私なんぞ待たなくてもよろしいと言ったら、みんなが一斉に反論した。

 

「みんな揃ってのレースだもん。みんなで一緒にターフに出たかったんだ」

 

「ほら、私たちって全員ひっくるめて黄金世代な訳じゃん?」

 

「エルたちが揃って全員で出て行ったほうが、絶対盛り上がりマース!」

 

「和を以て貴しとなす、ですよ。もちろん、レースでは本気で行かせていただきますが」

 

「せっかくの有マ記念だもん、みんなそろってたほうがいいよねー!」

 

「その、み、みなさんと一緒なら……私も、心強いですし……」

 

「ハーッハッハ! 開演の挨拶をするらなば、主演が揃っていなければ!」

 

「チッ……んでオレまで……まあいい。腑抜けたレースするンじゃねェぞ」

 

「私も、全力で行かせてもらうわ。……戦いましょう」

 

 こう言われちゃあ仕方がない。私が肩をすくめてお前らも物好きなもんだなと言えば、全員からお前がいうなと返されて、私は思わず笑ってしまった。

 ところへ、出口から私たちの名を呼ぶ放送が聞こえた。放送は仰山に煽って、場を盛り上げている。

 こうなると、あまり話している余裕もなさそうだ。

 

「行こう、みんな」

 

 私が声をかけると、みんなは揃って頷いた。

 

『さあやってきたやってきた! 年末の中山に、今世紀最強の黄金世代がたった今入場しました! 日本総大将スペシャルウィーク! トリックスターセイウンスカイ! 短距離の王者キングヘイロー! 世界の大鷲エルコンドルパサー! 高邁の不死鳥グラスワンダー! ダートの救世主ハルウララ! 不屈の挑戦者メイショウドトウ! 世紀末覇王テイエムオペラオー! 三冠を戴く天才エアシャカール! 凛々と輝く一等星アドマイヤベガ!』

 

 歓声に溢れた光の中へ、一歩を踏み出す。

 

『そして、最後に出てきたのはこのウマ娘! その名は──!』

 

 寒風が吹き荒び枯芝を揺らす暮れの中山に、私たちは立っている。

 ターフに出ると、風が吹いていた。その風は熱を孕んでいた。観衆の発する熱狂と狂乱である。

 夕日に染まった冬空は清々しいほどに快晴であり、雲の一点も見当たらない。吹き荒れる歓声の嵐は天と地の狭間を駆け抜けて、地平線の遥か彼方にまでも響いているとさえ思えた。

 テレビじゃあ世界最強最強決定戦だなんて言われているくらいのレースだ、そりゃあ誰だって目を血走らせて興奮するだろう。

 

「お姉ちゃん」

 

 私がゲートの前で深呼吸をしていると、後ろからスペが声をかけてきた。スペは笑っていて、とても強そうに見える。実際強いのだから当たり前だ。

 

「お姉ちゃんはどうして有マを戦うの!」

 

 大きく息を吸ったスペが吐き出したのはそんな問いであった。私がダービーの時にやった奴をやり返してきたんだ。私は思わずにやりと笑ってしまった。

 

「友の為か、親の為か、それとも誇りの為か! 私はみんなのため。あの子と最期に交わした約束、そしてお母ちゃんとの約束……ファンのみんなの声援! 日本一のウマ娘になるためだ!」

 

 有無を言わさぬスペの言葉に続けて、隣のセイウンスカイがいつもの気の抜けた調子で、そんなの決まってるじゃん。と言ったあとには、虎の如くに獰猛な笑みを浮かべてこう答えた。

 

「私はさ、落ちこぼれでも、劣等生でも、誰にも期待されてなくても、主役をはれるんだって証明したい。努力で天才は超えられる、この世には思いもよらない逆転劇があるんだって、世間に見せつけてやりたいんだよね。……だから、今回も勝たせてもらうよ?」

 

 高潔なる下克上を宣言したセイウンスカイは、しかしすぐにいつもの表情を戻すと、続けてキングヘイローに視線を移す。

 するといつもの如く高笑いをしてキングヘイローは、そんなの決まってるでしょう! と胸を張って堂々と答えた。

 

「この身に流れる偉大な母の血統と、受け継いだ誇り高き精神の為よ! たとえ誰に何と言われようが、否定されようが関係ない。私がキングヘイローである限り、私は母の血統に恥じぬ一流のウマ娘を目指すのよ! 依然、変わりなくね!」

 

 スペたちが顔を合わせて頷くと、今度は後ろの奴らが私はあの時と同じようにダンと脚を踏み出して、全員に向かって吼えた。

 

「私は、勝ちたい! あいつのために……フクキタルと、シリウスシンボリと、トレーナーの葉隠のために! そしてそれ以上に、私は勝ちたい! ひとりのウマ娘として、お前たちに勝ちたいんだ!」

 

 剥き出しの闘志を曝け出して、私が野放図に好戦的な笑みを浮かべて「やってやる。ライバルなんだから、全員に勝ってやる」と拳を突き出して宣言してやったら、スペも負けん気が滲み出たような顔で拳をぶつけて来たから、私はやっと自分の調子が戻ってきたなと思った。

 

「おおっと! ボクたちを差し置くのは良くないじゃないか!」

 

 こう話していると、テイエムオペラオーを筆頭にして他の奴らも集まってきた。

 まず宣言をしたのがグラスワンダーだ。こいつ、普段はお淑やかにしてるくせにレースとなると好戦的で、いの一番に突っ込んでくるのだ。

 

「怪物。不死鳥。その二つ名に恥じぬ戦いを。我が不退転の覚悟を示すため、私はレースを走っています。本気でお相手いたしますゆえ……みなさんもどうか本気で、かかってきてください」

 

 次に来るのがエルコンドルパサーである。こいつもこいつでなかなか好戦的だ。

 

「フッフッフ! 世界最強の証明……すべてのウマ娘の頂点に立つその名を刻むため! しかしそのためには、凱旋門賞を勝ち取っただけでは足りまセーン! ここに集まった全員を倒す! そのために、エルは走りマス!」

 

 ここまで来るとメイショウドトウも声を上げた。テイエムオペラオーに促されたようで、いつもみたいにオドオドしつつもしっかりと顔を上げて声を張り上げた。

 

「わ、私も……みなさんに、勝ちたい! 憧れに追いつくのを、諦めたくない……だ、だから、勝ちましゅ! あわわわ……か、噛んじゃいました〜!?」

 

 メイショウドトウが終わるとすぐにテイエムオペラオーが声をあげる。こいつはいっつも騒がしいが、今回は一段と騒がしく言うからいつも通りだ。

 

「ハーッハッハッハ! ボクの走る理由かい? そんなのはもちろん、ボクこそ覇王! 君臨する最強の王! あまねく全てを照らす太陽! その証明のために走っているのさ!」

 

 エアシャカールとアドマイヤベガはクールである。近くに来た割には特にすごいことを言うこともなく、すぐ離れて行ってしまった。

 

「……全員ブッちぎってやるよ」

 

「私は私の走りをするだけよ」

 

 最後に宣言を出したのはハルウララだがよくわかってないようだが、いかにもウキウキした面持ちで笑って言う。

 

「えっとね、えっとね! やっとみんなと走れるから、嬉しいんだー! でもね、私だって負けないよ! みんなに勝っちゃうんだから、覚悟してよね!」

 

 みんながみんな好き勝手宣誓して、拳を突き合わせようって私に集ってくる。当然隙間がなくなるんでぎゅうぎゅうになる。私の手はそんな大きくないんだからやめていただきたい。

 もっとそっちに寄れだのいやいやそっちが下がれとしばらくあれこれするんで、結局円陣を組んで悔いのない戦いをしようと声を上げることにした。

 まったく始まりから何だか締まらないが、私たちらしいやり方だと思えばこれも悪くはない気がした。

 

 こんなことをしていたらもうゲート入りである。

 みんな1人ずつゲートにはいっていって、私もそのうちゲートの中にはいった。

 すると途端に歓声が遠くに聞こえて、どくどくとなる自分の心臓の音と呼吸音で世界が満たされた。視界が夕暮れに染まって、吐き出した息には気炎と熱が混じっていた。全身の内側で緊張と闘志がギチギチと音を立ててその瞬間を待ち侘びている。

 真剣勝負である。一世一代の大勝負である。心も身体もすでに我慢の限界だった。待ちきれなくてウズウズしていた。ダービーの時と同じくらいに怖くて、苦しくて、楽しくて、嬉しくて、ワクワクしていた。

 少ししてアナウンスがあった。全員のゲート入りが完了したようだった。

 私は呼吸を止めて、グッと身構えた。

 

 次の瞬間、ゲートが開いた。

 

 どうと飛び出した周りから半歩を遅れて飛び出した私は、いつも通り後方でレースの展開を見守る位置に着く。

 例の如く逃げを打つのはセイウンスカイだ。様子を見ているのかペースは少し抑えめで、まだ先団との差はそこまでない。どういう腹づもりだろう。

 二番手につけるのはエルコンドルパサーで、意気揚々と言った走りで軽快に進んでいる。飛ぶような勢いで走るあいつは真っ赤だからわかりやすい。

 三番手にスペがいる。エルコンドルパサーを風除けにして走りながら何度か後ろを確認しているから、あいつも序盤は様子見なんだろう。

 テイエムオペラオーとメイショウドトウはそのすぐ後ろにいる。目立つ奴らだから後ろからでもすぐわかった。あいつらの動きを見ておくのがこのレースじゃあ重要だ。

 少し離れた中団の位置にキングヘイロー、そしてそのすぐ後ろにグラスワンダーがいる。どっちも末脚が凄いやつだ、仕掛け時には注意深く見ておかねばならんだろう。

 ハルウララもこの位置にいる。ダートのやつがいきなり芝を走るってんでずいぶん驚いたが、存外スイスイ走っている。特訓してきたのは本当のようだ。

 離れて最後方に位置取るのはエアシャカールとアドマイヤベガだ。追込ってんで私の前に陣取ってる。それぞれ違う強さを持つ追込ウマ娘だ。こいつらには同じ追込として負けたくない。

 

 おおよそ展開の確認が終わったら、もうカーブを回って向正面にはいる。

 第二カーブは狭くなっていたため先団は団子になっており、ここからではもう前の確認が難しい。ただ全体の少しペースが上がっているから、セイウンスカイがロングスパートを掛け始めたのかもしれない。私の目の前を走るエアシャカールとアドマイヤベガもすでに仕掛けどころの算段が付いているようで、ゆっくりと中団に取り付こうとしている。

 一方で私のやることに変わりはない。最終コーナー、そこで大外から一気に加速して捲り上げるんだ。

 

 第三コーナー、また狭いカーブだ。先団が少し詰まったか中団の動きが鈍くなった。前が壁だがまだ慌ててはいけない、私は状況を見ながら外に回り呼吸を整えた。

 ここからが勝負所だ。ここで判断を誤ってしまうと、それだけでもう負けてしまう。

 失敗をなくすために慎重に行くか、失敗を恐れずに大胆に行くか。

 そんなのは決まっている。

 私は勝つためにここに来たんだ。

 失敗がなんだ。負けがなんだ。そんなの勝負する前から考えてちゃあしようがない。ずっと自分が言ってたことだ。

 今だってそうだろう。戦う前に負けることを考えて情けない。

 私は、あいつらに勝ちたい。

 いや、あいつらに勝つ。

 勝つんだ! 

 今、ここで! 

 

 第四コーナーに踏み入った。

 その刹那。

 私は、私の中でひとつのスイッチがはいったような気がした。

 

 

 

 そして、景色が、変わった。

 

 白い。真っ白な世界。故郷で見た吹雪が吹き荒ぶ白銀の世界。

 その中にあってなおも輝く真っ赤な鳥居と、小さな社の前に、私は立っていた。

 

 ここは、どこか。

 

 そんな疑問が出る前に、私は自然と踵を返して背後の絶壁に一歩を踏み出し、雪山を駆け降りていく。

 

『私は』

 

 背後から迫る雪崩に混じって声が聞こえた。

 私の声だ。私が発した声だ。

 

『私のためだけに、走るんじゃない』

 

 全てを飲み込む雪崩が轟音を立てて、私の背後に迫る。

 けれどそれに恐怖はなかった。むしろその雪崩は私の背中を押してくれているような気さえした。

 

『私を信じて』

 

 気づけば吹雪の壁を抜けて、私は大きく飛び上がっていた。輝く白一面を見下ろしながら、燦々と輝く太陽の下を飛んでいた。

 

 ここに至って、私は理解した。

 

『夢を託してくれた人のために』

 

 世界が。

 青く澄み渡る。

 そうか。

 これが、これこそが。

 

「『走るんだ!』」

 

 私の、領域──! 

 

 

 気づけば私は、大外から一気に加速して中団を抜きにかかっていた。よっぽど加速したのかと思ったが、ハロン棒を見るにすでにコーナーの終わり際にまで来ていたようだ。

 中団を抜き去って最終直線にはいると、私の前を走っているのは、あいつらだけになった。

 私はどんどん前に出て、どんどん坂を駆け上がって、どんどん抜き去って行った。

 

 ハルウララ。

 いつも元気で無邪気で、みんなを笑顔にする不思議なやつだ。

 純粋にレースを楽しんで走っているある意味で誰より強いやつだ。

 

 エアシャカール。

 私よりあとにシリウスへはいってきたすごく頭のいいやつだ。

 道を塞いでいた自身の壁をぶっ壊して三冠を取ったすごいやつだ。

 

 アドマイヤベガ。

 私より先にテイエムオペラオーをダービーで負かしたやつだ。

 ひとりのために全てを賭けて走り、ケガにも負けない強いやつだ。

 

 グラスワンダー。

 おとなしい顔の後ろに誰よりも強い負けん気を隠したやつだ。

 誰が相手だろうと常に全身全霊でレースに挑む覚悟のあるやつだ。

 

 キングヘイロー。

 王様を気取るくせに努力を厭わない我武者羅で泥臭いやつだ。

 何度負けても諦めない王者の高潔な決意と不屈の心を持つやつだ。

 

 メイショウドトウ。

 私と同じシリウスの所属でいつもオドオドしてた変なやつだ。

 人一倍ガッツがあってどんなことにもへこたれないタフなやつだ。

 

 エルコンドルパサー。

 凱旋門賞を勝って最強を証明してみせた世界で一番のやつだ。

 自身の言葉に恥じないために誰よりも努力できる格好いいやつだ。

 

 セイウンスカイ。

 常にいろんな策でバ群を操りレースを支配する策士なやつだ。

 昼行燈で過ごしながら誰よりも策を考えて行動する狡猾なやつだ。

 

 そうして私は、私が尊敬しているあいつらを抜き去った後で、最後の最後に並んで走る2人の背中に喰らい付いた。

 

 私の妹分、スペシャルウィーク。

 お前は強い。私よりもずっと強かった。きっと私なんかいなくてもお前は日本一のウマ娘になっていたんだろう。心の底からそう思ってしまうくらい、強くて可愛くて格好いい私の自慢の妹分だ。

 小さい頃は私の背中を追いかけてくる可愛いやつだったのに、いつの間にか私を追い越して行ってしまった。今じゃあ私がお前の背中を追いかけるほうだ。

 だから今日こそ、お前に勝つ。

 私はお姉ちゃんだぞ。お姉ちゃんが妹に負けてたら格好がつかないじゃないか。

 

 私の強敵、テイエムオペラオー。

 中央に来た時に、メイショウドトウと一緒に友達になってくれた優しいやつだ。お前はいつも自信満々で、仰々しくて、騒がしくて、羨ましいくらいに強くて、私の越えるべき背中であり親友だ。

 私はずっと悔しかったんだ。お前に勧められたリギルの試験で期待に応えられなかったのが何よりも悔しかった。自分で自分が情けなくなって泣いたくらいだ。

 だから今日こそ、応えてやろう。

 私はお前の最大の強敵でありたい。今日こそお前の期待に応えてやりたいんだ。

 

 3人で並んで走る。

 もう残り100メートルもない。

 坂を登り切った直後、私は思い切り芝を踏み込んで、重心を前に倒した。地面が軋んだとさえ思えるほど蹄鉄が深々と地面に突き刺さったのを確信すると、私は渾身の力を込めて末脚を爆発させた。

 世界に3人だけ取り残されたみたいに何もかもが消え去って、景色が細く線のように伸びていく。

 2人とも前を譲らない。ハナを奪うのは自分だと雄叫びを上げながら走っている。私だって譲らない。必死になって足を回して、負けるものかと踏ん張った。

 ここで踏ん張らなきゃ、どこで踏ん張るんだ。

 

 残り50メートルを切った。

 内にテイエムオペラオーがいる。いつもの余裕そうな笑顔なんてない。必死に歯を食いしばって燃え盛る闘志を剥き出しにして走っている。

 真ん中にはスペがいる。普段の愛嬌のある顔を打ち捨てて、勝利だけを目指す獣の顔をして、声を上げながら全身全霊をかけて走っている。

 負けたくないんだ。ここにいる誰にも、2人は負けたくないんだ。

 私だって同じだ。同じ気持ちだ。負けたくない。ここにいる誰にも、負けたくない。

 ならやることはひとつだろう。

 さあ、脚を回せ。歯を食いしばれ。地べたを踏みしめろ。走って、走って、走り続けろ。

 負けたくない! 

 勝ちたいんだ! 

 私が一番になりたいんだ! 

 あいつらのために勝ちたいんだ! 

 

 ──私が、一番になるんだ! 

 

 トン、と。

 背中を押されたように、最後の一歩を踏み出す。

 

 そうして、私たちは。

 ほとんど横並びのまま、ゴールラインを踏み越えた。

 

 どっちが、いや誰が勝った。

 ゴールを過ぎてすぐに私たちは掲示板を見た。結果は出ていない。接戦だったからなのか、写真判定になっていた。

 全員がゴールしてもまだ出ない。もどかしくって3人で黙って掲示板をずっと眺めていた。

 やがて、パッと掲示板の表示が切り替わった。

 

 一着に表示されたのは、私の数字だった。

 

 それとほとんど同時に、観客席から割れんばかりの大歓声が上がる。急にスペに抱きつかれる。テイエムオペラオーに纏めて肩を組まれる。後から他の奴らもやってきた。メイショウドトウがドジして転んで追突してくる。

 ほとんど茫然自失になっていた私は受け止められなくて、そのままみんなしてステンと倒れてしまった。

 茜空を背景にエアシャカールとアドマイヤベガが呆れたような清々しいような顔で見下ろしているのが見えた。

 それでやっと、理解と感情が追いついてきた。

 

 私は、勝ったのだ。

 みんなに、そしてふたりに勝ったのだ。

 

 それを自覚した途端、瞳からは涙がはらはらと溢れてきた。心底から滲み出た歓喜が、涙になって流れていた。

 

「勝った。勝てた。お前らみんなに、やっと勝てた」

 

「おめでとうお姉ちゃん! 強かった、すっごく!」

 

「もうたいしたウマ娘だよねぇ、ほんと」

 

「世界最強を破るなんて、とんでもないウマ娘デスよ! このこの!」

 

「このキングに勝ったこと、誇りに思いなさいよね!」

 

「今日の負けは、私の記憶に刻み込んでおきますね。……いつかリベンジしますから、そのつもりで」

 

「あのね! あのね! もうホントにすごかったよ! ビューン! って行っちゃってね!」

 

「はわわ、す、すみませ〜ん! ……あ、あの、すごく速くて、強かったですぅ!」

 

「約束されしカムランの丘、その決戦を制したのは君だったとは! ……おめでとう」

 

「やっぱり強いわね、おめでとう。私ももっと、強くなってくるわ。……ほら、あなたも」

 

「ハァ……次は負けねェ。勝つ」

 

 こうみんなしてわーわー言うから、私はだんだんおかしくなって笑ってしまった。短い腕でみんなを抱きしめて、泣きながら大声をあげて笑ってしまった。

 そうしたらみんなも笑い出したから、気付けばもう笑い声しか聞こえなくなってしまった。レース場は万雷の拍手に包まれていたが、それも聞こえなくなるくらいみんなして笑った。

 

 しばらくひと通り笑って満足したら、係の人が申し訳なさそうに来てトロフィーの授与があると言った。そりゃあそうだ。勝ったんだからトロフィーを貰わなくっちゃあ具合が悪い。

 私たちは立ち上がるとみんなしてゾロゾロウィナーズサークルに行った。ウィナーズサークルには記者の軍団がもう待ち受けていて、バシャバシャと無遠慮に写真を撮ってきた。

 壇上に上がってからは、優勝レイを肩にかけて、受け取ったトロフィーを掲げた。するとものすごい歓声が鳴り響いて、観客全員が私の名前をコールし始めたから、私は嬉しくなって観客席の前まで行くと一緒になってコールした。仲間たちも後ろで楽しそうにコールして、はしゃいでいた。

 

 あとはもう控え室に戻る。名残惜しいがここで一旦別れなきゃあならん。私はみんなに挨拶をして、次はウイニングライブで会おうぜと言ってシリウスの控え室に向かった。

 気を利かせたわけではないのだろうが、メイショウドトウとエアシャカールはあとから戻るようだった。

 

「うおおおおおおおおおお!!! かんどうした〜!!!!!!」

 

 控え室にはいるなりウイニングチケットの大声で耳がキーンとなった。気持ちは嬉しいがこいつの声は狭い部屋だと音響兵器だ。

 

「レースすごかったね……ライスも、もう全身がドキドキして、思わず泣いちゃった……」

 

 次に声をかけてきたのがライスシャワーで、こいつはぐずぐずと鼻を鳴らしていた。

 

「おめでとう、ほんとに……!」

 

 干物もライスシャワーと一緒に泣いてたのか鼻先を赤くして目元を拭っている。

 なんだみんな泣き虫じゃないか。トロフィーを机に置いてさてからかってやろうかなんて考えていたら、フクキタルがやってきて、無言で私をぎゅっと抱きしめた。

 

「おめでとうございます……本当に、よくがんばりましたね」

 

 こう涙声で言われたから私は気が削がれてしまった。こんなじゃあからかうなんてできっこない。

 さっきまで全然平気だったのに、急に目頭が熱くなって、鼻の奥がツンとしてきた。フクキタルを抱きしめ返して胸の顔を埋めると、いっそう強くフクキタルが抱きしめてきたから、私も同じくらい強く抱きしめ返してやった。

 

「よく勝ったな、仔犬ちゃん。褒めてやるよ」

 

 そのうちにシリウスシンボリも来て、私の頭を労るみたいな手つきで撫でてきた。私はうんと頷いて笑ってみせた。

 顔を向ければ、いつもより優しい顔つきでいる。よく見れば目元を少し赤くしていやがるから、きっと隠れて泣いてたのに違いない。でも今は気分がいいから、いつもみたいにからかってやらないんだ。

 

 しばらくみんなで泣いていたら、エアシャカールとメイショウドトウが帰ってきた。シリウスが全員揃ったんでみんなでお疲れ様と言い合って、ウイニングライブが始まるまでのちょっとの時間、お菓子とジュースを飲み食いした。実は全力で走ったから腹がぺこぺこだったのだ。

 本当は腹一杯食べたかったんだが、ライブ前に腹一杯になるまで食ったら大変になるので自重した。

 そのうちに係の人が来る。ウイニングライブの準備ができたそうだから、もう行く。

 シリウスのみんなでウイニングライブの会場に行くと、もう会場は超満員ですごい熱気だった。

 途中で関係者席に向かうのと舞台袖に行くのとで別れた。無論私は舞台袖である。

 舞台袖に行くとみんながもう集まっている。勝負服のままで、もう準備万端に控えていた。

 何か言葉をかけるべきかと思ったが、私は自分自身の気持ちをどう言葉にしたら良いか知らなかった。喉まで出かかっているのに引っかかって、うまく気持ちを言葉にできなかった。

 しようがないので、勢いに任せて手を出した。言葉にできないなら行動でやるしかない。

 

 真っ先にスペが手を出してきた。次にはテイエムオペラオー、そして次にはメイショウドトウ、とどんどん続いていく。最後に柄じゃないと嫌々ながらエアシャカールが手を出したので、私はみんなの顔を見回して頷いた。

 今なら多分、言葉にできるような気がした。

 

「みんな、ありがとう。それから大好きだ。……行くぞ!」

 

 おー! 

 とみんなが声を上げる。それからすぐに呼び出しがかかったんで、私たちはそれぞれ配置に付いた。

 

 歌う曲は決まっている。

 

 私たちの一年を締めくくるのは、いつだってあの曲なんだ。

 

 大きく息を吸って、台に上る。

 しばらくの暗闇と静寂のあと、ファンファーレが鳴り響いて私たちを乗せた台がステージに向けて迫り上がっていく。

 

 そして。

 

「位置について」

 

 スペと、テイエムオペラオーと、手を繋いで顔を見合わせた私たちは。

 

「よーい……」

 

 観客たちが待つ、あの煌びやかなステージに向かって。

 

「ドン!」

 

 勢いよく飛び出していった。












 ふと、目が覚めた。
 身体の違和感にはてと首を傾げて下を見ると、私の腕の中で赤ん坊がお乳を吸っていた。
 どうも子供に乳を与えながら、少しの間だけ居眠りしてしまったらしい。

 点けっぱなしになっているテレビには、今年の有マ記念の様子が画面に流れていて、すでにウマ娘たちがゲート入りしているところだった。
 ふと、居間に飾られた私の名前が刻まれたトロフィーと、みんなで撮った写真を見た。
 これを見ると私は今でもあの頃に戻ったような気持ちになってしまう。
 あれからもう十年が経ったのか。月日の流れってのは早いもんだ。

 今ではみんな学園を卒業して、それぞれが別の道を歩んでいる。
 連絡は今でも取り合っているし、時たま集まってみんなで飯を食ったりもしている。
 繋がりは今でも途切れていない。私たちの絆は、どこへ行っても繋がってるんだ。

 感傷に浸っているうちに、テレビの有マ記念ではもうゲートが開く音がしたんで、慌てて視線をテレビに戻した。
 今年のウマ娘もかなりの強者揃いだと聞いたが、はたしてどんなものだろう。ここ数年は育児が忙しくってろくに情報も見れてない。
 誰が強いとか以前に、誰が誰だかもわからないんだから困ってしまう。子供の世話ってのは大変だ。それも二児の母だ。上も下も手が掛かるからてんてこ舞いで困ってしまう。お袋もこんな気持ちでいたのかと思うと頭が下がる。もう足も向けて寝られないくらいだ。

 そんなことを考えていると、一際目立つウマ娘を見つけて私の視線は釘付けになった。
 白い。真っ白な姿のウマ娘だった。珍しい白毛のウマ娘だった。

『さあ最終コーナーを回って先頭は──』

 私はわずかに身を乗り出した。中団から駆け上がってくる白毛のウマ娘の姿をもっとよく見たくて、わけもわからず固唾を飲んで見守った。

『ここで大外からハッピーミーク!ハッピーミークが来た!』

 ハッピーミーク。
 ハッピーミークと言うのか。

 私がハッと彼女の名前を心中で叫ぶと同時に、ハッピーミークが1番にゴールを駆け抜けた。
 しばし呆然とした。束の間すぐに音量を上げてウィナーズサークルでインタビューを受ける彼女の声に耳を傾けた。

『今回のレース、執念の籠った走りでしたね』

『小さい頃に見て、憧れたウマ娘……"カムイアヴァランチ"さんに……見て欲しかったから……頑張った』

 なんてことはない答え。私の名前が出たのには少し驚いたが、でもそれくらいしかない。
 そのはずなのに、どうしてか私は一筋だけ涙を溢していた。

「おかーさん?どうしたの?」

 泣いている私に気がついた上の子供が、駆け寄ってきて手を握ってきた。
 私はなんでもないよと首を振って、どこか安心した表情でくすりと笑った。

 そうか。
 お前は、やっと。

『ぶい』

 一緒に、走れるようになったんだな。

GLタグいる?

  • いる(鋼の意思)
  • いらない(どこ吹く風)
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