夏目漱石「吾輩はウマである」   作:四十九院暁美

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ゴルシちゃんのおかげでタイシンが当たったので初投稿です。




 日の出から少しして起きると、いつもならまだぐうたらしているフクキタルが部屋にいない事に気がついた。

 こんな時間から何処へ行ったのかと外に出ると、ちょうど帰って来たらしい体操着のフクキタルとぶつかって魂消て尻餅を突いてしまった。

 やい何してたんだお前と聞けば、妙に目が覚めてしまったから走りに出てたと言うから益々魂消てしまった。

 珍しい事もあるもんだ。今日は槍が降るのかも知れん。

 

 メイクデビューからしばらく経ったが、私とスペはお互いにオープン戦を二連勝して、快調な滑り出しを見せている。

 矯正した姿勢もずいぶんと様になってきたもんで、メイショウドトウとのシャトルランには追いつけるようにもなったから調子も頗る良い。

 我々は概ね順調に、ダービーに向けて駒を進めていた。

 

 そんな訳だから、そろそろ重賞に出ようと言う話になった。

 ダービーに出るには、前哨戦たる青葉賞で二着以内にはいり優先権を勝ち取るか、皐月賞を経てダービーへ行く三冠路線に進まなければならんと言う。

 私にはどちらへ行くのが良いかよくわからんからお前に任せる。と干物に判断を投げると、じゃあ皐月賞にしとくよ。と言うので、まずは三月の頭に初の重賞たる弥生賞に出る事となった。

 後に干物から聞いた話では、何でも青葉賞からはダービーウマ娘が出た事がないらしく、験を担ぐ為にも三冠路線と決めたそうだ。よっぽどくだらんジンクスだとは思うが、それを言うとまたフクキタルがうるさいから黙っておく。

 

 皐月賞と言えば我らがスペと、同期であるセイウンスカイとキングヘイローの三名も、三冠を目指す為に弥生賞への出走を決めたと聞いたので、弥生賞から始まるクラシック路線ではこいつらとの激突が必至となった。

 弥生、皐月賞はほとんど同じ条件のコースで行われる。つまり弥生賞で強ければ皐月賞でも強いと言うのが世の通例であるが、こいつらにはたしてそれが通用するものか。

 おそらく今年の三冠路線は、大いに荒れる。

 この事実に干物は、ずいぶんと顔を厳しくしていたのだが、どうせいつかは対決するのだから遅いか早いかの違いでしかないぞ。と肩を竦めたら、今は君の能天気が羨ましいよとのお言葉を頂いた。我がトレーナーながらまったく失礼な奴だ。

 

 弥生賞に向けての調整は順調にある。

 矯正を続けていた上半身に関してはすでに完成しているので、あとはこれによって生み出した力を十全に下半身へ行き渡らせて末脚に繋げる為、各部を擦り合わせる鍛錬のみとなった。

 ところがこの鍛錬なのだが、どうにも上手くいかず苦戦しているのが現状である。

 姿勢の改善により最後まで脚は残るようになったのだが、加速を全身の力を使って行うとなると、途端に難しくなって計が行かぬ。今までがずっと脚の力に任せた強引な加速であったが故に、この全身を使った加速と言うのがどうすれば上手くいくのか一向に取っ掛かりを掴めんのだ。

 しようがないので駄目元でフクキタルに、どうしたらそんな末脚ができるのだと聞けば、まずは重心を前に持っていく事を意識してください。と至極真面目な答えが返ってきたから魂消た。

 こいつのことだからてっきり「シラオキ様を信じなさい」とでも言うかと思っていたのだが、どうやら今回ばかりはふざけるつもりもないらしい。

 お前は真面目な顔ができるのだな。と言ったら、「もう! さすがに怒っちゃいますよ!」と可愛らしく頬を膨らませたので、手で両頬を挟んで空気を抜いてやった。

 普段からこう静かならば有難いのだが、大人しいフクキタルというのも何だか想像がつかないし変なので、今のままがちょうど良いのかも知れん。

 しかし重心を前に移動させるとは言うが、簡単にできたならこうまで苦労はせん。どうすれば良いと聞けばフクキタルは、コツを掴めば簡単です! と両の親指を立てて見せると、私の身体に手を回して重心移動の仕方を教えてくれた。これは存外にもわかりやすく、おかげでやり方も理解できたから有難い事この上ない。

 

 時は進み、三月と来た。

 ついに弥生賞の開幕である。

 

 今はパドックでの見せも終わり、ゲートインを待つ中、控室で干物と最終確認を行っているのだが、いつも以上に難しい顔をしてむっつりしている。

 何をそんな顔をしているのだと聞けば、今の君では勝ち切れないかもしれないとのたまうので怪訝な声を上げてしまった。

 聞けばセイウンスカイ、キングヘイローは、すでに重賞への出走経験があり、同期の中では抜けた実力を持っている。またスペは私と同じく弥生賞が初めての重賞であるが、沖野トレーナーが指導していたこともあり、決して一筋縄には行かない。いまだ末脚が完成していない私では、食らい付くので精一杯かも知れないと言うのだ。

 だがそんな事は始まる前からわかっている。楽に勝てる勝負などこの世にありゃしないし、勝負に絶対の二文字も無い。やる前から勝ち負けを心配して何になると言うのだ。

 勝負を前にくだらん考え事はやめろと首を振ってやると、君は本当に強いな。と干物は笑った。多少は元気が出たようであった。

 

 ターフに出ると、驟雨の如く降り注ぐ歓声が全身を振るわせた。

 数万を超えた観客がスタンドに集まっていると見えて、これにはさしもの私も我知らず唾を飲んだ。流石に重賞、それも皐月賞の前哨戦だけある。

 スペたちと良い戦いにしようと言葉を交わして九枠にはいると、そのすぐあとにはゲートが開く。余韻や感慨に浸る暇も無く、我ら初めての重賞レースは始まった。

 

 相変わらず追い込みとして後方に位置して、レースの状況を伺っている。

 ゲートではのんびりやらせてもらうと宣言していたセイウンスカイが、まずは逃げ脚を使ってハナを進んでいる。追い込みの私としては、縦長の展開にされるのは好ましくないのだが、前方に形成されたバ群は釣られた様子を見せず固まっているから、ひとまずは安心できる状況か。

 キングヘイローは中団より少し上の先行位置に居る。差しを得意とするあれが前方待機するのは珍しく、セイウンスカイに釣られたと見るか、スペと重なるのを嫌ったと見るか、それとも新たな戦法を試しているのか。どうにも判断が難しい位置取りで油断ならぬ。

 スペは中団後方で差しの位置を取っている。わずかに外を走っているのは私への駆け引きかと思ったが、こいつがそんな事を考えているとは思えんので単純に外めにつけただけだろう。

 

 状況の確認が終わると一〇〇〇地点に来た。

 

 ここからはいつものように脚の回転を早めて上がっていく。

 スペを含むバ群を大外からゆっくりと抜き去って、曲線にはいる頃には、二着の位置にいるキングヘイローの後ろに付けた。すると私の事が気になったか、こいつがぐんと加速を始めたからしめたと思った。

 坂を前にこんな無茶な加速をしては、よほど体力が余っていない限りゴール前で体力が尽きて失速するだろう。どんな作戦を考えていたかは知らんが、溜めた脚をここで使っては文字通り無駄脚である。

 こうなれば問題はセイウンスカイだが、これ以上に加速するだけの体力はないと見た。逃げというのはハナを進み続ける為に相当の体力を使いながら、同時に試合の流れを作って後方との駆け引きも行わなければならぬと、まあ大変に体力のいる作戦だ。ただでさえ残り少ない脚を、坂の前に切る事はできまい。

 前方二人がこの調子であれば、この勝負は貰ったも同然であろう。最終直線を前に、私は肺に大きく息をいれて力を溜めた。

 

 さても曲線を抜けると、そこは心臓破りの坂であった。スタンドが沸いた。ハロン棒が光って見えた。

 いよいよ踏み込んだこの勾配は、スタンドから見るのではわからぬ険しさがある。幾多のウマ娘を呑み込んできた魔物であるとさえ伝えられており、決して一筋縄には超えられない。

 セイウンスカイは残していた脚を使って上がるが、やはり速度がとんと落ちている。キングヘイローはなけなしの体力で懸命に登っているが、ずるずると下がっている。もはやこの二人には、私を突き離すだけの体力は残っていないようだった。

 ここに来て遠慮はできん。私はフクキタルに教わったように重心を前に動かし、未完成ではあるものの強力な末脚を使う為の構えを取った。坂を登り切ったその瞬間に使う算段であった。

 はたして坂を登り切ったその時に、私はこの溜め込んだ脚を炸裂させようと強く踏み込んだ。

 

 しかし勝負と言うのは、往々にして思い通りに行かぬのが現実である。

 

 ふとスタンドから大きな歓声が上がった。後方のスペが登って来て、私のすぐ後ろにまでつけたのだ。

 どっと怖気が背筋に流れ込んで来た。

 ゆっくりと視界の端に映ったスペは、芝を踏み込んで加速しようとしている。ここで先行を許せば、瞬発力で劣る私はもう追い付けんだろう。

 させるものかと慌てて踏み込んだ。だが焦りは私の末脚を殺した。

 未完成だった重心移動が乱れてしまい、末脚はただ力任せなだけの踏み込みに成り下がったのである。

 南無三と失策を悟った。束の間には、呆然と見送ったスペの背中が、セイウンスカイを追い越していた。

 己がスペに負けたのだと気がついたのは、その時であった。

 

 初めて挑んだ重賞、GⅡ弥生賞。

 最終局面で乱された私は、不甲斐なくも三着の結果に終わった。

 

 控室に戻ると、干物が心配した様子で大丈夫かと声をかけて来たから、いやあスペには参ったと戯けて見せてやった。負けた程度で心配するなと、笑って見せた。

 ウイニングライブの前には、どこか居心地悪そうに私を見ていたスペの頭を撫でて、お前の脚には驚いたぞ。いつあんなの身につけたんだと誉めてやった。

 ライブが終わって裏に捌けるとキングヘイローが、皐月賞では絶対に勝ってみせるわと意気込んで来たから、いいや勝つのは私だと宣言してお互いに笑い合った。

 セイウンスカイが別れ際、私たちどうしてスペに負けたと思うと聞いて来たから、お前は逃げるにしては素直だったから、もう少し緩急をつけてはどうかと助言を送った。

 

 寮に戻ると、フクキタルがいつもの能天気な笑顔で出迎えて来た。手元には招き猫と手拭いがあるから、こいつは私のレースも見ずに掃除をしていたらしい。

 チームメイトの晴れ舞台を観に来ないとは薄情な奴めと八つ当たり混じりに言えば、あっけらかんとした様子で負けるとわかってたのでと言うからよっぽど殴ってやろうかと思った。

 だが何かするより早く、フクキタルはすっくと前に立って、私の頭を撫でながら「初めての重賞で勝てる方が珍しいんですから、あんまり気にしてちゃ幸運が逃げちゃいますよ?」と諭して来たからもう何もできない。

 しかしこのままでおくには口惜しいから、皐月賞では勝ってやると睨みつけてやったが、フクキタルは何も言わずに微笑むだけであった。




 吾輩はウマであるは電子書籍化しました。
 本編に大幅な加筆修正に加え、新規エピソードが追加されていたり、各主要キャラの設定を見直したりと、いろいろな部分に手を加えています。
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