夏目漱石「吾輩はウマである」   作:四十九院暁美

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今回は短めで失礼します……_:(´ཀ`」 ∠):




 リュックサックに重石を詰めて、夜明け前に寮を出た。今までとんとしていなかった、朝の走り込みである。

 今朝の冷え切った朝靄の中を無心に切って進むのは存外に気持ちが良く、どこまでも走っていけるような気さえしてくる。東雲の空の、更にその向こうまで、白毛の友人がいる場所にさえ、走って行ける気がした。

 しばらく走り続けてから寮の自室に戻ると、フクキタルが蜂蜜を溶かした熱い牛乳を持って出迎えてくれた。用意が良いのだなと聞けば、これもちょっとした占いの結果の応用です。と言うから、占い中毒者めと憎まれ口を叩いてカップを受け取った。

 牛乳をちびちびと飲みながら、鼻歌混じりに身支度を整えるフクキタルを見ていると、その時にふと思い出した事があった。

 そういえば前にぶつかった時、こいつはよろめきすらしなかったな、と。

 

 弥生賞から一日経った。

 昨日は不甲斐なく情けない負け方をした訳だが、さすがに学校にまでこいつを引き摺るのはよろしくないので、諸々を飲み込んでいつも通りにある。

 教室に行くと、やはり三冠路線を進むと言うのは注目を集めるもんで、同級生が惜しかったねやら、幼馴染ちゃん強かったねやらと次々に話しかけてきたから、これに対応するのが大変であった。

 昼になるといつもの奴らと飯を食って過ごしたが、隣に座ったテイエムオペラオーは迂遠な言い方で私を励ましてきて、メイショウドトウもそれに合わせて慰めの言葉をかけてくるからいささか座りが悪い。

 誤魔化し混じりに壁は高い方が登り甲斐があるもんだと言えば、グラスワンダーに時には足場の確認も必要ですよと返されたから、そりゃそうだなと笑って返した。

 

 放課後になればシリウスの部屋に集まって反省会である。

 ホワイトボードの前に立った干物は、マジックペンでぱしぱしと掌を叩きながら、弥生賞での敗因は何だと思う。と聞く。

 私はこれに、抜かされそうになった時に未完成の末脚を焦って使おうとした事だろう。と答えたのだが、しかし干物はそれもあるけど本質は別だと言って、壁に掛けられたテレビに弥生賞の映像を流し始めた。

 映像では私が最初のコーナーを抜けてから緩やかに加速を始めて行く様子が映し出されているのが、今回のレースにおいてはこの部分、バ群を大外から抜き去ってキングヘイローの背後に付けるまでの何処に、今回の敗北の原因があると干物は言う。

 気付いたことはあるかと聞かれて、わからんと答えた。自分ではこの場面で何か重大な、敗北に直結する程の失敗をした覚えはない。メイショウドトウもどこに失敗があるのかわからないのか、頭を傾げるばかりである。

 一方でフクキタルは、すでに何か気付いている様子で薄く笑みを浮かべているから、何だか負けたみたいに思えて腹が立つ。

 今に見つけてやると意気込んで、数分ほどメイショウドトウとふんふんだのうんうんだのと唸っていたのだが、やはりどこでどんな失敗したのかちっともわからない。結局いったい何がダメだったのだと干物に聞く事となったから、悔しい思いでいっぱいである。

 

 しようがないと溜め息を吐いた干物が、失敗はここであると指したのは、スペを含むバ群を抜き切った場面だった。

 これの何がだめなのだと胡乱に片眉を上げたら、スペシャルウィークからマークを外しただろう。と言われたからぎくりとした。

 干物が言うにはこうだ。

「ここでスペからマークを外した結果、最終直線で追いつかれた事で冷静を欠いた。最大のミスだ。君は追い込みだから常に追い詰める立場だが、何処かで絶対に追い詰められる立場になるんだ。有力な相手は常に警戒して然るべきだろう」

 ぐうの音も出ない程もっともな意見である。私はわずかな間も無く項垂れて己を恥じ入るしかできなかった。

 何故マークを外したと聞かれれば、実は自分でもわからないでいる。私は真剣に勝負をしていたつもりだし、スペを無二の好敵手だと思っている。己の事ながら、こればっかりはてんでわからなかった。

 本当に心当たりはないのかと干物が再三聞き質してきたが、ないものはないとしか答えられんと言うと、また溜め息を吐いてむっつりした顔をして、それからメイショウドトウに何が原因かわかるかと聞いた。

 急に当てられたメイショウドトウは、びくりと肩を跳ね上げたあとに一分ほどまごまごしてから、ふと思いついたように「し、親友……だから……」とおそるおそる答えた。

 途端に干物が我が意を得たりとでも言わんばかりに頷き、ボードにでかでかと「油断」と雑に書いてから私に、幼い頃から競い合ってきた親友だからこそ、君は油断したんだ。と叱責するみたいな強い口調で断言した。

 こいつの実力は知っているから。こいつの手の内は知っているから。こいつの癖はこうだと知ってるから。

 そう言う「だから」を無意識に油断として積み重ねたその結果、弥生賞での敗北に繋がったのだと干物は言う。

 

 私は愕然とするしかできなかった。

 

 スペの末脚に負けたのでは無く、己の中に巣食った油断と慢心に負けたと正面から言われた私は、反応も返せない程に呆けて、そして同時に、昼にグラスワンダーが言った言葉の意味を理解して、己に対して深く、誰よりも深く絶望を抱いた。

 共にダービーをかけて競い合おうと言うに、無意識とは言えこんな無様な心持ちで勝負に挑んでいたのでは、真剣勝負を汚した所の話ではない。情けない幼馴染と戦って勝つ意味など無い。士道不覚悟も語るに及ばず。これではスペが気の毒の至りだ。きっと、失望しただろう。信を失ったやもしれぬ。姉貴分も失格だ。

 

 己の情けなさに項垂れていると、フクキタルがタロットカードを並べながら、まああまり深く考えるのもナンセンスですよ。世の中は常に運命で回っているんですから。と言って、それから机に並べたカードの中からまず一枚をめくって見せた。

 現れたのは戦車の逆位置であった。これは失敗や停滞を意味するカードですね。過去に失敗をした事を示しています。と説明を挟んでからもう一枚をめくる。

 今度は吊られた男が出た。試練や忍耐のカードです。現在は失敗を認めて改善する時ですね。と言いながらさらに三枚目をめくる。

 すると今度は愚者の正位置が出たから、事の始まりや巻き返しを意味するカードです。ここを耐えた先の未来は明るいですよ! と、満面の笑みでフクキタルは親指を立てた。

 メイショウドトウはこれを聞いて、挽回できるって事は救いはあるんですね! と笑顔になり、干物もこれに乗っかって、失敗を反省したならあとは改善して巻き返すだけだろう。と鼻を鳴らす。

 フクキタルの占いに便乗して元気付けようなどとは、まったく不細工な励まし方だ。迂遠にも程がある。元気付けるにしても、さっぱり言ってしまえばよろしい。

 しかしそれはそれとして、こいつらなりに私を元気付けようとしてくれたのは嬉しかったので、もう少しましな励まし方をしろと軽口を叩いてやった。

 そしたらフクキタルが「やっといつもの調子に戻ってきましたね! これも私の占いパゥワーのおかげ!」とのたまうから、お前の占いを信じたわけじゃないから勘違いするなよと返しておいた。

 とは言えまったくこいつらの言う通りである。フクキタルの占いを信じるようでいささか癪だが、間違いがあったのならば正せば良い。信を失ったなら行動で取り戻せば良い。まだ取り返せるのだ。

 

 反省が終わったのならば次は改善である。

 末脚の前にまず皐月賞までに精神を鍛える為に修行するぞ。と言って、干物はホワイトボードに「修行!」とやはり雑な字で書き足した。

 しかし修行と言っても何をするのだ、まさか滝行とは言うなよ。と聞けば、日常的にスペを徹底マークするんだと干物は言う。

 今までがなまじスペ以外のウマ娘と本気で競い合う事が無かった事、そして好敵手や超えるべき壁と相対した事で、そちらばかりに気を取られてスペを蔑ろにしてしまった。だから皐月賞までにとにかくスペを意識して、こいつは警戒すべき相手だ。と己に擦り込むと言うのが理屈らしい。

 何とも阿呆の考えにしか思えんが、一応は理屈が通っているから納得はできる。今は従っていた方が後の肝要になろう。

 とは言え四六時中くっついていくのは間抜けも良い所なので、適当に観察するだけにする。いくら無鉄砲な私でも、流石に親友をストーキングなんぞできんのだ。




 吾輩はウマであるは電子書籍化しました。
 本編に大幅な加筆修正に加え、新規エピソードが追加されていたり、各主要キャラの設定を見直したりと、いろいろな部分に手を加えています。
 以下のサイトにてDL可能ですので、まずは体験版からどうぞ。

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