これが土屋家の日常   作:らじさ

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第9話

そこからはもう大騒ぎだった。

「このコーヒー豆固い」

「噛むな。水で流しこめ」

「いくら何でも干物は無理じゃろう」

「仕方ない。細かくほぐしてから呑み込め。できるだけカレーと接触させるな」

「・・・雄二、もう目が見えない。私が死んだら桜の木の下に・・・でも再婚は許さない」

「普通そういう時には、私のことは忘れて新しい人と幸せになってねと言うんだぞ。それに再婚以前に初婚もまだだ」

 

姫路さんの体がスプーンを握ったまま傾いて行くのを慌てて支えてやった。

「姫路さん、しっかり」

「あれ、明久君がいる。じゃあ私は天国に?」

「姫路さん気をしっかり持つんだ。ここは天国じゃない、ほら美波もいるじゃないか。それより、カレーを5秒以上口にいれていちゃいけない。すぐに水で飲みこむんだ」

 

誰かが「メディック!メディック!」と叫んでいる。かなり錯乱しているようだ。

もはや食事というよりは戦闘だ。

 

・・・・・10分後、阿鼻叫喚の大騒ぎとペットボトルを12本空にして僕たちの戦いは終わった。

美波は食卓に突っ伏してる。姫路さんは蒼白の顔色をしている。雄二は床に倒れているし、霧島さんに至ってはお腹をさすりながら「しょうゆ、お母さん頑張ったよ」と子供に何やら報告している。でも、解剖学的に言えばしょうゆちゃんのすぐ隣にあの劇物を送り込んだわけだから、児童、いや胎児虐待なんじゃないだろうか。

雄二に言ったら「なあに、かえって免疫がつく」とか言いそうだが、あのカレーは免疫程度じゃ太刀打ちできないと思うんだ。

 

僕たちが激戦の後で茫然としていると、工藤さんがムッツリーニに食事を食べさせて戻ってきた。

 

「あれ、もう食べ終わっちゃったの?早いんだね」

いや、あなたが戻ってくる前に食べ終えようと死にもの狂いで頑張ったんですとは、とても言えない。

「木下君、おかわりは?」

秀吉が、チワワのような潤んだ瞳で必死に首を振る。

「そっか、吉井君はまだ食べたりなそうだね」

どこをどう取ればそう見えるんだ。今でさえ致死量ギリギリだというのに。

「ははは、何を言うのさ工藤さん。これだけの人数でご馳走になったんだから、もう残ってないでしょう」

「ウウン大丈夫だよ。大鍋で作ったからあと3日分タップリあるよ」

工藤さんが晩御飯を作ると聞いて逃げ出したお父さんやお兄さんの小細工など一撃で吹き飛ばしてしまった。さすが工藤さんと言わざるを得ない。

逃げ切ったと思って安心して帰ってきた彼らが、このカレーを見つけた時の絶望した顔が目に浮かぶようだ。

僕らも苦しんだんだ、たっぷりと3日分は苦しむがいいよ。

 

「いや、僕もお腹いっぱい。それよりも工藤さんも食べなよ」

よく考えたら一番の戦犯は工藤さんじゃないか。自分で作ったものを食べてみて自分がどれだけ恐ろしいものを作り出してしまったのか、しっかりと反省してもらいたい。

「そうだね。じゃボクもいただくね」

 

工藤さんは台所に行って自分の分のカレーを皿に入れて運んでくると、食卓に向かった。

「じゃぁ、いただきま~す」

全員が固唾を飲んで見守る中で、カレーをスプーンですくうと一口に運んだ。

すまない工藤さん、残酷なようだけどこれも君のためなんだ。姫路さんのように手遅れになる前に自分の腕を知っておこうよ。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」工藤さんが黙ってしまった。

 

しまったな、いくら工藤さんのためとは言えちょっとやりすぎてしまっただろうか。

好意とは言え、彼氏の家族にこんなもの食べさせようとしていたと知ったらやっぱり

女の子としてはショックを受けるよね。もう少しソフトなアプローチをとるべきだっただろうか。

 

「工藤さん、あのさ・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・凄い美味しくできてる」

「「「「「えぇー?」」」」」

 

全員一斉に叫んだ。一瞬、聴覚にカレーの影響が残っているための幻聴かとも思ったのだが、

全員が叫んだということは全員同じ言葉を聞いたのだ「このカレーが美味しい」と。

 

「工藤さん、このカレーが本当に美味しいの?いや、美味しかったけど」

「工藤、疲れのせいで味覚が変わっとらんか?カレーは美味かったが」

「工藤、あんまり無理するなよ。俺は好きな味だったが」

「愛子、本当に大丈夫なの。私は平気だったけど」

「愛子ちゃん、なんでもないです」

「・・・愛子、頑張ったのは知ってるから正直に言って。私は美味しいと思ったけど」

 

「えーっと、みんな何をいってるのかな???」

工藤さんはわけがわからないという顔で答えた。

僕たちが知りたいのはただ一つだけ「工藤さんがこのカレーを本当に美味しいと思っているのか」ということなのだ。

どう言えば彼女を傷つけずに聞き出すことができるだろう?

 

「いや、そんなに美味しくできたのかなと思ってな?」雄二がさりげなく聞いた。さすがに腹黒さでは学園一と異名を僕から取っている男だ。

「うん、生涯一の出来だね。これなら圭君や裕ちゃんも満足してくれると思う」工藤さんが得意げに言った。

「さっきから気になってたんだが、圭君とか裕ちゃんって誰だ?」

すると工藤さんは、たちまち真っ赤になった。

まあ、この人の恥ずかしがるポイントはどうせ理解できないからどうでもいい気がするんだけど。

 

「・・・こっ康太のお父さんとお母さんだよ」

「お前、仮にも彼氏の両親をそんな呼び方しているのか」

これはビックリだ。工藤さんがフレンドリーだとは知っていたけど、ここまでフレンドリーだったとは。

「ちっ違うんだよ。初めて康太の家に遊びに来た時にお父さんとお母さんが凄く喜こんじゃって、

「僕は娘が欲しかったんだ、ハハハ」とか、「あらお父さん、愛ちゃんがお嫁に来れば娘ですよ」とか・・・」

「かなり舞い上がっておったわけじゃな」

「それでボクが、つい「康太」って呼んじゃったら、お父さんが「親が子に後れをとるわけにはいかんな。

愛ちゃん、これからは僕のことは圭太いや圭君と呼びなさい」って言って、そしたらお母さんも

「あら、お父さんだけズルいわ。じゃ愛ちゃん、私のことは裕ちゃんって呼んでね」って。

それ以来、圭君と裕ちゃんって呼んでるの」

 

「「「「「のろけかぁ~」」」」」人ののろけ話がここまで聞いてて楽しくないとは思わなかった。

工藤さんは更に顔を真っ赤にして「べっ別にボクが話したかったわけじゃないもん」と小さくツブやいた。

 

「・・・雄二」

「ん?何だ」

「・・・私と雄二は、学校公認のNo1カップル」

「学校公認にもカップルにもなった覚えはないが、それがどうかしたか」

「・・・だから愛子たちに負けるわけにはいかない」

「言っていることがよくわからんのだが」

「・・・雄二も私のお父様のことを権ちゃんと呼ぶべき」

「お前の親父を」

「・・・そう」

「霧島グループの総帥で、見た目がヤクザの総長みたいなあの親父を「権ちゃん」と呼べと?」

「・・・そう」

「翔子いいことを教えてやる。そんなマネしたら翌日には俺は確実に東京湾に浮かんでいる」

「・・・そんなことはない」

「そうなのか?」

「・・・そういう時は浮かんでこないように重りをつけるから、ちゃんと沈む」

「浮かぶとか沈むとかを問題にしてるんじゃねぇんだよ」

 

雄二と霧島さんは、相変わらずかみ合っているんだかいないんだか、よく分からない会話を繰り広げていた。

そんな会話はどこ吹く風と工藤さんは本当に幸せそうにカレーをパクついていた。

 

でも工藤さんの料理の謎が解けた。この人はつまり

 

 「壮絶な味音痴」

 

だったのだ。


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