「・・・・・でっ?」少女が運んできてくれた茶碗を凝視しながら少年は言った。
「でって?」悪びれずに少女も答えた。
「・・・・・俺はお茶をお願いしたはずだが、これはなんだ?」
「お茶だよ」自ら省みることなぞ何もないという確信に満ちた笑顔で少女は答えた。
「・・・・・愛子、お前のその自信がどこから湧いてくるのかわからないが、我が国ではこれをお茶とは呼ばずお茶っ葉と言う」茶碗一杯に茶葉が膨らんで盛り上がっていた。一見するとまるで「○研のふえるワカメちゃん」だ。
「大丈夫だよ、ほらこうすれば」と少女は一緒に持ってきたお箸で茶碗から開いたお茶の葉を取り除いていく。
タップリお湯を含んだ茶葉を取り除いたせいで容量が1/3になってしまった煮しめたような茶色の液体がそこに残った。
「はい、お茶」
「・・・・・お茶ってお前これは」そこにあるのは見たこともない色をした液体。掃除の雑巾の絞り汁のような液体だった。
「お茶。せっかく康太のために入れたんだから飲んで」とてつもない要求を少女はニコやかに伝えた。
「・・・・・一つ聞きたいのだが、お前の家ではいつもこういう淹れ方をしているのか?」
「ううん、うちは過保護だから何もやらせてくれないんだよね」
それは過保護だからではなく防衛反応なんじゃないかと思ったが、もちろん黙っておいた。
「・・・・・愛子」
「うん、何かな康太?」
「・・・・・つかぬことを聞くが、お前はカルピスを飲んだことがあるか」
「え、それくらいあるに決まってるじゃん・・・・・でも」
冷や汗が流れる。まさかカルピスですら危ないのか。こうなったらミネラルウォーターくらいしか任せられるものがない。
「カルピスよりもフルーツカルピスが好きかな」
「・・・・・そんなことを聞いているんじゃない」
とりあえずカルピスは保留にしておこう。
そうこうしているうちに母親が朝食を運んできて食卓に並べた。普段の3倍速で動いたといっても火加減はそんな空気なぞ読んでくれず、
火力が3倍にはなったわけではないので揚げ物・焼き物共に生焼けになっていて正直食えたものではなかったのだが、
そんな些細なことなど「命の前にはひとえに風の前の塵に同じ」と古典の授業でならった記憶がある。
「あ、愛ちゃんも食べていってね」と母親が愛子の分もよそう。
「わあ、これ凄く美味しいです」と少女はあくまでもニコヤカだ。
「(これをウマいというその舌がそもそも問題なんだ)」と小さな声で少年がツブやく。
「うん、康太何か言った?ほらこの唐揚げなんかレアで美味しいよ」
少女は常にポジティブである。それは普通「生焼け」というのだが訂正する気力もない。
「わあ、この野菜炒めの人参なんかポリポリで、いわゆるアルデンテって奴ですね。素材の味を活かしてるんだあ。勉強になるなあ」
少年は頭を抱えた。これでまた一つ少女のレシピに間違った知識が記載されてしまった。
腐ってもAクラス。記憶したことは忘れないのだ。おそらくこれからずっとアルデンテの野菜炒めを食わされるはめになるのだろう。
恐ろしいことに彼女は皮肉で言っているのではなく、本気で感心しているのだ。それがわかっているから母親も引きつった笑顔しか返せない。
「それはそうと早く行かないと遅刻するわよ。はい、康太お弁当」
「康太のお弁当は、いつも裕ちゃんが作ってるんですか?」
嫌な予感がする。母も不穏な流れを感じたのだろう。言葉が言いよどむ。
「そっそうだけど、みんなの分も一緒だから大した手間じゃないのよ愛ちゃん」
「でっでも一人分だけでも少なくなると裕ちゃんが楽になりますよね」
その少なくなる一人分はどうなるんだろうなどと自分の頭が現実逃避をはじめる。
わかってはいるが認めたくない事実を少女は言い出すに違いないという確信がある。
「じゃ、じゃあ。今度からボクが康太のお弁当を作ってきます」
やっぱりそうきたか。少年は父と兄に救いを求めるように視線を送ってみた。
だが、兄は一生懸命テレビを凝視し、父は顔をくっつけるようにして新聞を読んでいた。
まるで「今の発言は聞いてませんよ」とアピールするかのように。だが、その震える足が全てを物語っていた。
二人の了見はわかっている。ここでヘタに発言すると「じゃあ圭君(お兄さん)の分も一緒に作ります」と言われるのを恐れているのだ。
「まあ。そういうことは家族会議で決めるとして、そろそろ時間だから言ってらっしゃい」たかが弁当がエラい大事になってしまった。それはともあれ救われたことに変わりはない。
「・・・・・じゃ、行ってくる」
「裕ちゃん、ごちそうさまでした」
二人は揃って玄関をでた。