翌朝、「愛ちゃん、愛ちゃん。助けてくれ」という叫び声で叩き起こされた。
「えっ、何?何があったの?」と周囲を見回すと、アンナの布団がもぬけの殻になっていた。
「まさか本当に夜這いに行ったんじゃないよね」廊下に出ると康太も部屋から出て来た。
二人で颯太君の部屋に行き、ドアをノックして「颯太君、入るよ」と声をかけてからドアを開けた。
そこで見たものは、ベッドの上で直立不動の姿勢になって「助けてくれ」と叫んでいる颯太と
颯太の左腕を豊かなバストが崩れるくらいに強く両腕で抱え込み、左腿を青年の腰に絡めるようにして
スヤスヤと寝息を立てているアンナの姿だった。
「早くこいつを引きはがしてくれ。腕に胸が、胸が」
「うーん、せっかくだからもう少し楽しませてもらったらどうですか?」
「そんなこと言ってる場合じゃないんだ」
「でも、据え膳喰わぬは男の恥って言いますし・・・」
「・・・・・念のために聞くが、お前はその諺の意味を知っているのか?」
「ううん。たぶん出されたご飯を全部食べきれないようじゃ男の恥ていう意味じゃないかな?」
「国語の勉強は後にして、とにかくこいつを何とかしてくれ」
「わかりました。アンナちゃん、起きなよ。このベッドはシングルだから2人で寝ると狭くて颯太君に迷惑だよ」
「いや、愛ちゃん。問題はそんなことじゃあないんだ。一緒に寝てるっていうのが問題であってね」
「あ、そうなんですか?アンナちゃん。アンナちゃん、起きて」
何回か声をかけるとアンナが半目を開いた。そして顔を横に向けて颯太を見つけ
「・・・・・Shu?・・・」と呟いて、青年の唇に自分の唇を重ねた。
颯太の動きが完全に止まった。
「あ、颯太君が死んだ・・・・・」
「・・・・・これくらいで死ぬか。気絶しているだけだ」
「それもどうかと思うんだけど。とりあえずアンナちゃんをベッドから降ろそう。アンナちゃん、ベッドから降りて」
「スゥスゥスゥ・・・・・」
「ねえ、寝てるよ。さっきのは寝ぼけていただけだったみたい」
「・・・・・どうするんだ?」
「いっそ二人ともこのまま寝かせておくってのはどうかな?」
「・・・・・お前、面倒くさくなってるだろう?」
それから苦労して二人を引き離した。
「あらまあ、さっそく実行したのね。アンナちゃん」
「ババア、てめえの入れ知恵か・・・・落ち着いて下さい、お母様。いくら何でも味噌汁を投げると言うのは危険だと思うんです」
「イエ、夜中にトイレに行ったら本当に寝ぼけて部屋を間違えてしまいまシタ」
「なんでピンポイントで俺の部屋に間違えるんだよ。陽太の部屋でも康太の部屋でもいいじゃねぇか」
「「・・・・・俺たちまで巻き込むな」」
ご飯をよそいながら裕ちゃんが言った。
「でもね、アンナちゃん。寝ぼけてキスしたっていうのは、オバさん感心しないわ」
「スミマセン・・・・・」アンナちゃんは、顔を真っ赤に染めてうつむいてしまった。
「ファーストキスだったの?」
「ハイ・・・・・」アンナちゃんは、更に体を縮こまらせて小さな声で言った。
「女の子にとってファーストキスっていうのは、とても大事なものよ。 一生の思い出になるの。愛ちゃんだってそうだったでしょ?」
「はい、ボクの場・・・いえ、ボクもまだ経験ないからよくわかりません」
「・・・・・なんでそんなに顔が真っ赤になっているのだ?」
「康太、うるさい。ほら、さっさと朝ご飯たべなよ」
「だから今朝のことはノーカウントということにしてあげる。今度はちゃんとしたファーストキスをするのよ」
「ハイ!」アンナちゃんの表情が明るくなった。
「ということで颯太。ちゃんとアンナちゃんに協力してあげるのよ」
「何をどう協力するんだよ・・・・・」
「・・・・・ファーストキスというのは、そういう扱いでいいのか?」
「さあ?でもアンナちゃんが納得しているから、いいんじゃないかな?」
授業が終わった。アンナが待っているので2人は寄り道もせずに真っ直ぐ帰った。
「ねえ、康太。あれアンナちゃんと颯太君じゃないかなあ?」
商店街を仲良く歩いている二人のカップル。何しろアンナの際立ったスタイルと銀髪は目立つので後ろ姿でもすぐにわかるのだ。
二人は途中お店に立ち寄りながら口論したり、結局は颯太が荷物を持ってやるということをくりかえして商店街を進んでいた。
「・・・・・どうみても新婚カップルだな」
「そういえば、ボク不思議だったんだけど颯太君って女性恐怖症だよね」
「・・・・・まあ、兄貴に限らず、あのバンドのメンバーは全員そうなんだが」
「だけど、なんでアンナちゃんとはケンカしたり、普通に喋れるの?」
「・・・・・俺の想像なんだが・・・」
「ふむふむ」
「・・・・・アンナが美人すぎてリミッターが振り切れて、一周回って普通になったんではないかと」
「つまり・・・・・どういうこと?」
「・・・・・ほとんど男と変わらない程度にしか認識していないのではないか?」
「ボクたちの子供召喚獣みたいな感じ?」
「・・・・・あれを思い出させるな」
「でも今朝キスされたら失神したよね。あれはなんで?」
「・・・・・頭はそう認識しても身体がついてきていなかったのだろう。だから、防御反応で失神したのだと思う」
「ずいぶんややこしい女性嫌いなんだね」
「・・・・・このままだと鉢合わせになるな。ゲーセンで少し時間をツブそう」
「ふふふ、いいのかな。これでも中学時代はストリートファイター愛子と呼ばれ・・・」
「・・・・・お前にはいくつ通り名があるんだ」
「明日から試験休みだし、たっぷり可愛がってあげるよ」
「・・・・・お前の自信に根拠があった試しがないんだが」
1時間ほどして家に帰ってきた。どうやら颯太とアンナの二人はまだ帰ってきてないようだ。
「あ、由美ちゃんも来てたんだ」
「毎日じゃ図々しいかなと思ったんだけど・・・」
「そんなことないよ。圭君も喜ぶよ」
「・・・・・人の親の気持ちまで代弁するな」
「本当は、お兄さんがShuって聞いて興味がわいちゃったの」
「うーん、あんまり期待しない方がいいよ。ボクなんて未だに颯太君とShuが結びつかないもの」
そんな話をしていたらアンナと颯太君が帰ってきた。
「どんだけ買い物するつもりだお前は」
「ロシアじゃこれくらいは普通デス」
「人に大荷物持たして言うセリフか」
「Shuは夫の自覚が足りまセン」
「そんなもんになったつもりもないのに自覚なんぞ持てるか」
「あらあら仲が良いこと」裕ちゃんが台所から出てきて言った。
「どこをどう見りゃ仲よく見えるんだ」
「それはそうとアンナちゃんのバッグは見つかったの?」
「ハイ、警察に届いてまシタ。中身も全部入ってまシタ」
「それは良かったわねぇ。じゃ、アンナちゃん、颯太たちのライブを見にいけるわね」
「ハイ」アンナちゃんが頬を染めて嬉しそうに言った。
「だから今日はお礼にロシア料理をご馳走しマス」
「ほう、ロシア料理」
「・・・・・知っているのか、愛子」
「康太はいつも僕を軽く見てるね。料理が得意なボクとしては、ロシア料理くらい守備範囲だよ」
「・・・・・恐ろしく身の程知らずの言葉が聞こえた気がするが、そこまでいうならロシア料理をいくつかあげてみろ」
「・・・・・ふふふ、ボクに惚れ直すといいよ。まず、ボルシチ、ピロシキ、ビーフストロガノフ、そしてマトリョーシカ」
「・・・・・ちゃんとオチをつけるところが実にお前らしい」
「オチ?何のこと」
「・・・・・いや、わからなければいい。自宅でマトリューシカを堪能してくれ」
「ところでアンナちゃん。今日は何をご馳走してくれるの?」
「ボルシチです、愛子。私のお母さんの得意料理でシタ」