逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
出遅れたスタート
──中米社、月刊トゥインクル編集部。
「おい、乙名史!乙名史はどこだ!」
「ここにいなけりゃいる場所はひとつっすよ、編集長」
激昂する編集長の咆哮に、へらへらと缶コーヒー片手に金髪をツンツンに尖らせて立てるパンクな髪型の若手が答える。
対する編集長の頭は前線が既に大敗して側頭部はチリッチリクネックネの天然アフロに七色のペグシルが刺さっているというこれまたある意味でパンクな髪型である。
「チクショウ!あンのレースバカ!今回は模擬レースの様子を全体的に捉えた原稿出せって言ったのに、まーた!一人だけ贔屓した原稿寄越して来やがった!」
「まぁあれ、たまたま文才あっただけのレースオタクっすからね。乙名史パイセン。んで、そんなレースオタクな乙名史パイセンは誰に注目したんすか?」
原稿の入っているであろう封筒でバンバンとデスクを叩いて暴れる編集長に、呆れ顔の若手が尋ねる。
「読んでみろ!事細かに書いてあるぞ!クソッ!今回の中特集はそいつだ!そいつを軸にメイクデビュー戦の予想を組むぞ!また組み直しに別途で模擬レースの内容レポートも書かなきゃならん!チクショウ!今月も進行枠組がメチャクチャだ!」
要するに無下にもし難い内容の予定外な原稿に振り回されるらしい。
若手ははぁ、と溜め息を吐きながら編集長から渡された封筒から原稿を引っ張り出す。
見出しにはこうあった。
『期待のウマ娘!サイレンススズカをリポート!』
はて、なんかどっかで……
若手はPCでレース結果のファイルを開いて、サイレンススズカを検索する。
トレセン学園に来た当初の模擬レース、芝1800mで最初から先頭で突っ走ってそのまま他のウマ娘を第4コーナーに置き去りにしてゴール板を抜けるとんでもないレースをするも、トレーナーとの契約後はどうにも冴えない結果が続く一発屋……
バ群から抜け出すパワーや駆け引きを持ち合わせてないちょっと足が回るだけの典型的なレース下手、というイメージしかこのデータからは読み取れない。
ぶっちゃけて言えば、トゥインクルシリーズのレベルには至らない凡才としか思えない。
自分も一度、トレセン学園で話には聞いたが、足は確かに速いがどうにも意固地で気性難で不器用なレースという場に向かない娘という評価だったと思う。
乙名史は確かに記者というより文才があるだけのレースオタクだ。
いや、ウマ娘のオタクというほうがより近いか。
締め切りは守るし、誤字脱字はあんまりないし、分析だって正確だし、知識もある。
トレーナーになればよかったんじゃ、と冗談で言ったら「ウマ娘はレースだけじゃない!そこにあるウマ娘とトレーナーの信頼関係!スターウマ娘達の奮闘!魅力!それらを全てトレセン学園の外に伝えるには記者が一番です!」となかなかの圧を伴って語っていた辺り、記者の使命にもまぁ熱い。
そんな乙名史が注目したのが、この娘らしい。
一応、業界誌としては最大手の月刊トゥインクルの中特集に差し込むような才覚を手持ちのデータでは感じないこの娘の特集原稿を書いてきた乙名史も乙名史だが、その原稿を中特集にして今月の誌面を作ろうとする編集長も編集長だ。
一人に注目するにしても自分ならティアラ三冠を狙うエアグルーヴを選ぶ。
イロモノ枠なら日頃の運頼みっぷりが既に周知なマチカネフクキタルでもいいと思うが、それでも中特集には厳しいだろう。
要するに普通に考えれば「そんな注目するほどか?」というウマ娘だ。
乙名史が錯乱してるのか、編集長が錯乱してるのか、試しに乙名史の原稿を読むことにした。
「失礼します」
生徒会室の扉を開け、中に入ると窓越しに外を見ている女性の背中。
自分が入ったことにも気付いていないらしい。
「……会長?」
「ああ、すまない。外を見ていた」
ようやく気付いて振り返った女性が見ていた外の景色を、隣から見てみる。
そこには、グラウンドの隅で緑の耳カバーと長い髪の少女が渡されたタオルで顔を拭いているのが見えた。
「……スズカ、ですか」
「ああ、どうやら好調らしい。いいことだ」
「スズカの新しいトレーナーは、確か今年入ったばかりの新人でしたが……大丈夫ですか?」
「私にそれを訊くとは、なかなか無粋だな。エアグルーヴ」
「失礼しました」
「いや、構わないよ。君のトレーナー嫌いは承知の上だ。ただ、隣に理解のある者がいるというのは……頼もしいものだよ」
皇帝、シンボリルドルフ。
彼女は既にトゥインクルシリーズG1を7冠という圧倒的な実力を見せつけてここにいる。
その時のトレーナーは、確かトレセン学園に来てまだ重賞未勝利のトレーナーだったハズだ。
そのトレーナーに一気に七冠トレーナーの栄誉をもたらしたのが、ここにいるシンボリルドルフだ。
対して自身は未だにトレーナーとの相互理解に難あり、と言葉で繕える範囲にない状態で契約を解消しては次のトレーナーのスカウトが来て、それを数多の理由で蹴り続けている。
トレーナー不在の不都合は自分でほぼ解決し、それではどうにもならないことは他ならぬその会長のトレーナーが「君からの頼みを断ったとしても、ルドルフがまた同じことを頼むだろう」とカバーしてくれている。
正直に言えば、会長が羨ましかった。
会長のトレーナーだったら自分のトレーナーにも相応しいだろうに、と思っているが、そのトレーナーが「ルドルフのトレーナーは、つまりこの学園のウマ娘全員のトレーナーと同義だよ」とにべもない。
実際、学園内の問題児の類いを一手に引き受けている状態の彼に自身のトレーナーとして契約を求めるのは、苦しいものがある。
会長は最初、前のトレーナーの下で明らかに燻っているサイレンススズカを彼の下に『放牧』するものと思っていた。
しかし、会長が支持した理事長の決断は、サイレンススズカをまだ新人のトレーナーのところに預けるという博打とも言える選択肢だった。
「会長はスズカの新しいトレーナーに、何を見たのですか?」
「そうだな……懐かしさ、かな」
「懐かしさ、ですか?」
「ああ、こんな言葉がある。『トレーナーはそのウマ娘の最初のファン』……という言葉だ」
「はぁ……」
「今はわからずとも構わない。だが、その言葉の意味を理解した時、君はレースに負けているだろう」
「なら、その意味を知ることはないでしょう」
「心強い台詞だ。さて、仕事をしよう」
エアグルーヴの言葉に、シンボリルドルフは苦笑しながらデスクに向かう。
生徒会副会長、エアグルーヴ。
今はまだ未冠、なれど桜花賞までの保留に過ぎない。
秋が深まる頃には、三冠の女帝となる。
これはエアグルーヴの決定事項だ。
「トレーナーさん、記録はどうですか?」
「うん、いい感じになってきた。マヤも頑張ってるね」
「えっへへ!トレーナーちゃん、スズカちゃんだけじゃなくて、マヤのこともちゃんと見ててね!」
トレーナーはすり寄るマヤを自称する小さな女の子の頭を撫でながら、タイムを確認する。
スズカと呼ばれた少女はトレーナーが告げた結果に、にこりと微笑む。
「よし、じゃあ次はマヤが逃げだ。距離は……2400、スズカは1000で行こう」
「はい!」
「はぁい!」
ゴール板の向かい側でトレーナーは次の計測を始める。
その間にマヤは2400のスタート地点に、スズカはゴール前の第4コーナー前ストレートの外側に立つ。
「マヤノトップガン、行くよー!」
少女は名乗って、走り出す。
トラックは広い。
スズカは1000の地点で目を閉じてスタートに構える。
1600、1400、1200、真横に来た。
「行きます!」
スズカが外から駆け出した時、第4コーナーに入るマヤの背中が見えた。
スタートダッシュは良好、スズカの横を抜けた時点でマヤは1400を既に走って来ている。
当然ながらその程度でバテバテになるような娘ではない。
彼女は小さいながら、3200のコースだってここでトップスピードを出せるのだ。
スズカは、ここからトップスピードを出してマヤを撃墜しなければならない。
追う側は集中力と走りのメリハリの両方を問われる。
追われる側はここまでのスタミナ管理と末脚の爆発力を問われる。
そしてどちらも「いつでもスピードを一段階上げて逃げ切る」ことを問われる。
これをお互いにやっているのだ。
要するに自分より余力のある相手を引きちぎって勝つことを目的にしているのだ。
第4コーナーを先に飛び出したのは、外側のスズカ。
しかし内側のマヤもほぼ遅れはない。
最後の直線で文字通り全開で走れるのはスズカだ。
しかし、マヤも懸命に駆け抜ける。
実際、マヤは第4コーナーを出た瞬間に一気に加速した。
それでもゴール板を先に抜けたのは、ハナ差でスズカだった。
「えー、マヤの負け~!?」
「ふぅ……危なかった……」
「後先考えずに全力で走れる状態のスズカにハナ差な時点で充分だ。息が整ったら2000で併走して今日は終わりにしよう」
「わぁい!マヤが勝ったらこの後デートしてね!」
「あまり夕方に外を出歩くと寮長に怒られるぞー……っと、スズカ」
当たり前のようにおねだりするマヤを宥めていると、マヤの後ろにいたスズカが、じっとトレーナーのほうを見ている。
透き通った綺麗な目だなぁ、と普段なら呑気に見たいところだが、少しだけ不満げな目なのくらいはわかった。
「私、負けませんから」
口調も声量もトーンも変わらない、なのに妙な圧のある言葉を、背中から浴びたマヤは一瞬だけピクッとするとマヤは振り返る。
「マヤも負けないもん!」
そう言うと二人並んで2000の位置に向かう。
さてはマヤはスズカの地雷をわざと踏み抜いたな?
静かで大人しい落ち着いた娘のガワを被ったウマ娘の本能の塊みたいなスズカの前で自分が勝つと言い放ったら、そりゃあ火が着くどころではない。
挑発にしてもあまりに危険球だ。
マヤもそれをわからないような娘ではない。
感性で生きてるフシはあるが基本的に物分かりのいい才媛だ。
わざとスズカを焚き付けたとしか思えない。
逃げたい。
逃げウマ二人から逃げたい。
人間の平均時速16キロをもって全力で逃げたい。
いや、無理か。
相手は最高時速70キロだ。
日々のトレーニングのモチベーションになるならいいか、勝負の結果を受け止めてモチベーションにする二人だと信じることにしよう。
2000の地点から走り出した二人の姿を追うことにした。
続きは気分次第。