逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
「……勝った」
両手の指が震える。
震える指を握って、ぐっと握り込んで、ようやっと実感する。
アタシ、ようやく勝ったんだ。
今回のレースは、誰もが遅かった。
横に走ってるウマ娘が、止まっているようにすら思えた。
スズカ先輩だったら、こんなに悠長に差させてはくれないだろう。
スタートの時点で先頭の二人が、如何にもアタシを待ち構えていたのが見えて下がったら、エアグルーヴ先輩がアタシより前に出たものの、エアグルーヴ先輩もハイペースなレース展開を仕掛けるスタイルじゃないからスローペースなレースになった。
普段、スズカ先輩を相手に差せる範囲に収めて追走するハイペースなレースをしているのが、欠伸が出るほどのスローペースで、潰し合い塞ぎ合いのポジショニングが物を言うレースだった。
この展開なら、最後の直線前に必ず横に広がる混戦になる。
その瞬間に、思いっきり踏み込んで隙間を貫けば勝ち。
その時まで、先頭を射程に収めて脚を溜めていく。
コーナーに入って中程、後ろから一人上がってきたけど、前はまだ静か。
後ろからウオッカが、外を上がってきた。
内に入り、その時を待った。
最終コーナー出口付近、そこで先頭集団が外に外に、と膨らみ始めた。
まだだ、焦るな。
ラチが角を付けてストレートに入る、その瞬間。
今ッ!
思いっきり、下り坂へと飛び込む。
前はがら空き、外にはウオッカが上がり、エアグルーヴ先輩も前を突き上げる。
観客席も近付いた。
誰もが前と外に意識を引っ張られる、今しかない!
真正面が空いた瞬間、内ラチを突っ走る。
隙が見えた瞬間に、まとめて内から差し貫きにかかった。
誰にも触れない、外からの他のウマ娘の進出に前が気を取られた瞬間を見抜いて。
一人に塞がれそうになったが、まっすぐに走るアタシはそれよりも速く前に出た。
あとに残った逃げる先頭の一人は、スズカ先輩よりずっと遅い。
思いっきり踏み込んで、坂を上がる。
全て振り切って、登り坂から空へと飛び出すような感覚。
ゴール板の前は、あっという間だった。
アタシ、ようやっと勝てたんだ。
まだ、ここはスタート地点で、これから始まる長い旅の、ほんの一歩目でしかない。
それなのに、目尻が熱い。
「スカーレット!」
「っ!トレーナーっ!」
ようやくウィナーズサークルに来たトレーナーの顔を見て、ようやく嬉しいという気持ちを実感した。
「アタシが勝ったっていうのに、来るのが遅いわよ!」
「ああ、待たせた!スカーレット!」
ホッとしたような、一段落ついたような顔をしているので、腕を掴んで引っ張りウィナーズサークルの真ん中にトレーナーと二人で並ぶ。
人差し指を立てた右手を、見上げた観客席へと突き出す。
ティアラ路線を制するのは、このアタシだと。
ここでハッキリと言い切ってやる。
「見てなさい!私は、ダイワスカーレット!1番のウマ娘になるわ!」
「トレーナーさん」
「スズカ」
自販機の前でナイスネイチャのトレーナーと話していたところに、サイレンススズカが話しかけてきた。
何か言い出そうか悩んでいる顔で、尻尾を揺らして落ち着かない様子。
決まってこういう時は、いきなり走りたがる時だ。
少しうつむきがちで切り出すのを悩むサイレンススズカの頭に手を置いて軽く撫でる。
「ターフの整備開始までは時間がある。中山のコースを楽しんでこい」
「はい」
言うが早いか、サイレンススズカは駆け出していく。
で、サイレンススズカが走りに行くとそのあとに来るのは……
「スズカー!私も走りマース!」
タイキシャトルがすぐに追いかける。
タイキシャトルが来てから、サイレンススズカを一人で走らせることがなくなったのはいいことだ。
「タイキ、芝のメンテが始まる前には戻るようにな」
「ハーイ!」
タイキシャトルをちょっと利用している気持ちがして、溜め息が出る。
NHKマイルカップを走らせたあとの予定が完全にノープランなのだ。
ダートもターフも構わず走れるパワーと脚の器用さはあるが、2000m超えのコースとなると途端にダレるので大井に殴りかかるのも難しい。
今年のスプリント寄りのレースは気が狂ったような出走ペースで文字通りに蹂躙するサクラバクシンオーと朝日杯で最後に直線でサイレンススズカを追い立ててきたヒシアケボノが目立つ。
今回のフィリーズレビューが短距離戦線の口開けのようなレースになっているので、タイキシャトルをそこに殴り込ませられなかったのが惜しい。
よし、安田記念に出そう。
NHKマイルカップに勝ってくれれば優先出走権は獲れる。
クラシックで安田記念を獲るとなれば、おそらく前人未到だ。
夏まで府中から動かずに済むのも大きい。
シニアクラス相手に最初に挑むのがタイキシャトルになるのは予定外だったが、タイキシャトルがいなければ身体の仕上がり次第でサイレンススズカを送り込むつもりだったので、まぁいいだろう。
サイレンススズカは、気は進まないが素直にオークス出走となりそうだ。
もちろん、桜花賞をちゃんと好走させてからの話になるが。
「フユミくん、ウチのもスズカくんを追わせてもいいかな?」
「ああ、構わない」
ナイスネイチャのトレーナーが空きペットをゴミ箱に入れてから聞いてくる。
マヤノトップガンのタイム固定の件に巻き込ませたことから嫌われたかとも思ったが、あとから話に行ったら笑い飛ばされたあとにそのまま合同練習も持ちかけられたりしているので、最低限の理解はしてもらえたと信じたい。
ホープフルステークスで図らずもナイスネイチャには痛い内容のレースにしてしまったのも「あれで逆にやる気を出したから一向に構わんさ」と済ませてきたのでホッとしている。
「ネイチャー!表にスズカくんがいるからキミも走ってこい!」
「はいはーい」
これでナイスネイチャもターフに向かうと、当然ながら芋づる式でもう一人は来る。
「トレーナーちゃん、マヤも走ってくるね!」
「うん、行っておいで」
マヤノトップガンも一緒に走っていく。
二人ともいい傾向に向いている、と思いたい。
自分の走りたいという衝動じゃなく、誰かの走りに意識して走ろうと思うようになってきた。
きっかけとかはさておき、走ることに対する姿勢みたいなのが少し変わってきた。
サイレンススズカは前は、ただ速く、ただたくさん走りたがった。
それが、今は“誰よりも”がアタマに付くようになった。
レースの世界において、対抗意識というのは速く走るのに一番強く、心を動かす動機だ。
マヤノトップガンも理由はいまいちハッキリしないが、サイレンススズカへの意識が強くなってきた。
練習ですら、サイレンススズカに勝ちに行くためにあらゆる手段を試すようになってきた。
今までの言ってしまえば“猿真似”の領域だったあらゆる模倣を、本物の領域に研ぎ澄ませるモチベーションを得たらしい。
明日の弥生賞、まずはクラシック序盤の一勝負。
サイレンススズカとマヤノトップガンの開幕戦だ。
ゴルシ、とりあえずグラスより年上みたいですね