逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー   作:エアジャガーる

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インケース

「んっ!ふっ……ひゃはっ!ひゃははっ!くすぐったい!くすぐったいよ!」

 

 明くる日の弥生賞、レース前の準備中のチーム控え室でのこと。

タイキシャトルの膝の上で抱き締められて座るマヤノトップガンが耐えきれずに笑いながらもがく。

その下では、フユミがマヤノトップガンの足先を持って足裏を圧したり撫でたりしながら、調子を確かめる。

弾力のある足裏を親指で圧すと、すぐにマヤノトップガンはむずがってバタバタと暴れてしまうのでタイキシャトルに抱き締めさせている。

まだ中等部というのもあり、足裏の肉付きは張りがあるというよりぷにぷにと柔らかい。

足の指も柔らかく、踵から足首までの筋や関節も指で軽く圧していき故障があれば痛がるところだが、むずがって笑っているだけなので問題はないだろう。

 

「トレーナーちゃん!もう!くすぐったい!」

 

「もうちょっと我慢しような。爪、ちょっと切るぞ」

 

「うん。綺麗に切ってね」

 

 爪切りを取って、少し伸びている爪を少しだけぱちん、ぱちんと切っていく。

あまり長い爪の状態でウマ娘のスピードでつんのめったりすると、爪が割れたりして危険だし、深爪にすると今度は力が入らない。

ちょうどいい長さは本当に個人差があるので、本人の走り方をよく見ていないとピッタリな調整が出来ない。

ある程度切ってから、ヤスリがけをして……

最後に削りカスを息を吹いて払う。

 

「ひゃ!……もう、トレーナーちゃん!」

 

「悪い、我慢させたな。あとはソックスと靴を履かせるだけだ」

 

 用意していた新しいソックスを履かせて、爪先と踵をしっかりと伸ばしてピッタリと合わせる。

調達に必要な日数ギリギリの日付で採寸して用意した新品なのでちゃんとフィットしてよかった。

これならシューズのほうも問題なさそうだ。

ソックスの上から足を撫でて、皺が寄ったりしていないのを確かめてから、シューズを箱から出してしっかりと履かせて紐を縛る。

 

「少し、足首を振ったりしてごらん」

 

「うん……うん、うん!いい感じだよ!」

 

「なら、よし……タイキ、離してあげて」

 

「ハァイ!今度はスズカをハグしますネ!」

 

 マヤノトップガンを離して立たせたタイキシャトルは、隣にいたサイレンススズカに向かって腕を広げる。

咄嗟に後退りするサイレンススズカに、じりじりとタイキシャトルは迫る。

タイキシャトルはニコニコしながら寄っていくので、サイレンススズカも露骨には嫌がれない。

 

「あの、私は大丈夫だから……ちょっ」

 

 狭い控え室で、バタバタと暴れることは出来ないくらいには常識的なサイレンススズカはアッサリとタイキシャトルに捕まって抱き締められて椅子に二人で座る。

タイキシャトルに頬擦りされて抱き締められているサイレンススズカは困り顔でされるがままだ。

別にサイレンススズカは抑え付けなくてもいいのだが、せっかくだからそのままにしておこう。

サイレンススズカの脚を手に取り、普段履きのシューズの紐を弛めて脱がせる。

靴裏の磨り減り具合と蹄鉄部分もついでに見る。

 

「スズカ」

 

「はい」

 

「…………今日はメイクデビュー以来の中距離だ。マイル戦が続いたから、いつもと勝手が違うと思う。のんびりと走れ」

 

「はい」

 

 今日の返事は早い。

今日は問題なさそうだ。

履いていたソックスを脱がせて、太股から足先まで手のひらで撫でる。

特にむくみや凝りなどは無さそうだ。

走り過ぎの疲労はないらしい。

改めて、サイレンススズカの脚に惚れ惚れとしてしまう。

あれだけの距離と時間を日頃から走っていて、少しも疲れを残さない回復力。

しっとりとしたすべすべな肌の下には、過不足も無駄もない最適化されたような筋肉。

 

「……綺麗だな」

 

「トレーナーさん?」

 

「なんでもない」

 

 余計なことを口にした。

伸ばしている足首を上向きに曲げさせ、足裏を見る。

幼さのあるマヤノトップガンと違った、張りのあるしっかりとした感触のある足裏。

本当に余計なものを削ぎ落としたような、無駄のないすらりとした足。

足の裏をなぞるように揉んでいく。

爪は、サイレンススズカはちゃんと自分で手入れしているみたいなので触らないでおく。

新しいソックスを出して、マヤノトップガンと同じように履かせていく。

靴は履かせてみて少しフィットしていなさそうなので、一度脱がせたあとにインソールを中に差し込んでからもう一度履かせる。

最後に靴紐をしっかりと縛って足回りを仕上げる。

 

「よし、これでどうだ?」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 サイレンススズカは少しだけ顔を赤らめている。

年頃の少女の脚を遠慮なく触り過ぎたか、と後悔する。

サイレンススズカは、立ち上がってからその場で小さく、軽くステップして足回りを確かめている。

そして、きゅっと床を鳴らして立つと、サイレンススズカはにこりと笑う。

 

「気持ちよく走れそうです」

 

 

 

 

 

 

 

 

「エアグルーヴさん……あなたが付いてくる必要はなかったんですが……」

 

「契約した初日から担当を放り出して出張する奴があるか。レース後の疲れがあってもこのくらい、なんということはない。それに、私も無関係ではない」

 

 ホオヅキは後ろにいるエアグルーヴにいちおうの釘を刺すが、無理矢理には帰さない。

エアグルーヴが付いてきた理由はホオヅキにも理解できるものだからだ。

中山レース場の選手控え室の並ぶ廊下を歩き、ある部屋の扉を開く。

 

「ホオヅキトレーナー!待ってたよー!早く早くー!」

 

「トウカイテイオーさん……今日の調子はどうですか……?」

 

「バッチリだよー!マヤノにもサイレンススズカにも勝ってきちゃうからね!」

 

 トウカイテイオーの控え室にホオヅキが来たのは、いろいろと込み入った事情がある。

だいたいの原因は、あのいけ好かない皇帝の杖のせいだ。

なんにせよ、トレーナー同伴の最終チェックが必要な以上はトウカイテイオーはホオヅキ無しに弥生賞に出られない。

 

「キミも好運だね!無敵の三冠ウマ娘になるボクのトレーナーになれるんだからね!にししし」

 

「そういうことは、実際に勝ってから言うこと……捕らぬ狸の皮算用、ですよ……」

 

「このボクを侮ってるなー?いいよー!実際に走ってるところを観せてそんなこと言えなくしちゃうもんね!」

 

 ホープフルステークスでマヤノトップガンにうまいことしてやられたあと、しばらくは不調気味だったようだが、すっかりトウカイテイオーは持ち直していたらしい。

ホープフルステークス二位に若駒ステークス勝利で皐月賞に挑むのは既に問題ないが、ここで好走すればより磐石だ。

 

「トウカイテイオーさん……今回の弥生賞……観客はチームアルコルの身内プロレスだと思ってます……あなたのことを無視して、です……」

 

「もちろん知ってるよ。信じらんないよね。このボクもいるというのに、ね」

 

「テイオー、言っておくが……スズカは速い。わかっているな?」

 

「言われなくてもわかってるよ。どうすれば勝てるのかも、もちろん考えてるし!」

 

 エアグルーヴの言葉に、トウカイテイオーは自信満々に返す。

トウカイテイオーは弥生賞出走を決めたあと、サイレンススズカのレースをチェックしていた。

朝日杯フューチュリティステークス。

サウジアラビアロイヤルカップ。

メイクデビュー戦。

だからこそ、トウカイテイオーは言い切る。

しっかりと、自分なりの根拠を持って。

 

「勝つのは、このボクだ」




次回はようやく弥生賞です。本当に長いんじゃ……すまねぇ、すまねぇ……

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