逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
「……コーナリングでマヤノトップガンが負けていた?……違う……サイレンススズカの重心移動……内ラチを掠めかねない……いや……横に倒れかねないほどのギリギリの重心で遠心力と釣り合わせた状態で……いやいや……よほどのバランス感覚がないと……そうか……あのスピードで抜けてるからこその……自分が内ラチに入り込むにはあまりにもギリギリな重心移動を遠心力で殺して……いやでもそのスピードをどこから……4コーナーは平地……どれだけ頑張ってもスピードは乗らない……だからあのコーナーで一切減速しない……いやだとしたらその息はどこから……まさかあのタイミングでは走ってない?……あのスピードレンジでの重心移動なら加速出来る?……いやいや、そんな微細なパワーコントロールをクラシック序盤戦の段階で?……」
ホオヅキは4コーナーでサイレンススズカがマヤノトップガンの内を抜き始めた時点からずっと独り言をぶつくさと呟いている。
もう、レースは終わったのにだ。
口許に指を当て、眼を見開きながらいつもの口調でずっと独り言を言っているのは、さすがにエアグルーヴも怖くなってきた。
「おい、貴様いつまで」
「……途中からトップスピードに乗った状態の身体を逆に遠心力で振り回した?……遠心力を自分の重心を動かしての荷重移動と走る時の足裏のグリップでの方向コントロールで前に向けさせて?……そもそもマヤノトップガンが内ラチから離れたのはせいぜいサイレンススズカの肩幅1つ分もなかった……そこにサイレンススズカがねじ込んで割入ることがそもそも……いや、そこからの競り合いになってマヤノトップガンが加速したから余計に開いた内ラチをサイレンススズカが抜けていった……いや、抜ける幅があってもそこに入り込むには……」
エアグルーヴはホオヅキの肩に伸ばそうとした手を、手首から掴まれた。
今のホオヅキはレースを考察する以外のことを、全て拒否するかのような態度。
手を引こうとしたが、手首を掴まれた状態で少しも動かせない。
「今日は良バ場……高速でコーナーに入る条件は整っていた……中山のキツいショートスパンでのハイGコーナーでなら……しかしそれをウマ娘のスピードで?……それほどの効果を得るにはスピード以上にそのスピードを維持するだけの巡航速度が……ターフを一歩でも掴み損ねたら一回のミスで引っくり返る……そんなアタマのネジが吹っ飛んだようなことをマヤノトップガンを追走しながら?……下手したらダブルクラッシュだって……」
「おい、トレーナー!」
「……ああ、そうか……そういうことか……それなら……なんてこと……中山でこれなら阪神なら……エアグルーヴさん!」
「うわっ!なんだいきなり!」
手首を掴んだままグリンと顔を向けたホオヅキに、エアグルーヴはさすがにおののく。
態度はそのまま、表情もそのままなのに、瞳孔だけをバチバチに開いているホオヅキは、あっさりととんでもないことを言い出した。
「……桜花賞を現地で観ます!……サイレンススズカの本気の全力疾走を観ましょう……」
「待て待て!私は!」
「あなたが桜花賞に出られないのは怪我の功名です……サイレンススズカをノーリスクで研究出来ますから……オークスでサイレンススズカに勝つにはまだデータが足りません……」
「おい、スカーレットやウオッカがいるだろう」
「……桜花賞ならともかく……オークスでは物の数ではありません……サイレンススズカが一番手を付けられないのは2000を超えたミドルレンジ、それもコーナーが長いほど彼女の独壇場……桜花賞の阪神1600で今のサイレンススズカを押さえ付けられるのはそれこそ……マルゼンスキーくらいでしょう……」
「なに!」
いつかは、名前が出るだろうとは思っていた。
2200以下の覇者、皇帝に7冠しか取らせなかった深紅の怪物、マルゼンスキー。
その名前が、ここで出るのか。
「マルゼンスキーなら今のサイレンススズカと張り合って捩じ伏せることが出来るでしょうが……彼女がクラシックにいる間はまず実現しない戦いでしょう……私達はあのサイレンススズカに……自分達で立ち向かうしかない……」
「舐められたものだ。同世代では相手にもならぬと?」
「……知恵と工夫無しに挑めば……勝ち目はありません……あれはウマ娘の姿をした災害です……」
「災害、か……」
「そして……サイレンススズカに後ろから追走して一番迫ったのは……他ならぬナイスネイチャで……彼女はクラシック路線に行きます……エアグルーヴさん……この意味がわかりますか?」
ホオヅキの問いかけの意味に、エアグルーヴは気付いて歯噛みして、苦々しく答える。
彼女の問いかけは、いつもエアグルーヴを苛立たせる。
「……わかっている!」
「……状況の再確認は出来ました……トウカイテイオーを迎えに行きましょう……」
ホオヅキはそう言って、エアグルーヴの手首を掴んだまま立ち上がって引っ張っていく。
普段の態度に対して、やることなすことが強引過ぎる。
このトレーナーに付き合っていくのは、まだまだ慣れが必要そうだ。
「おい、引っ張るな!手を離さんか!」
ホオヅキはあっけらかんと答える。
「……どうして?……急ぐのでしょう?……」
全編、ホオヅキが呟いて終わったんだけど……