逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
「あ゛~……癒されるわぁ~……」
「揉みほぐしマッサージ機を自分で持ち込んで控え室で癒されてるウマ娘か……これは取材のブイを回せない姿だな」
「い~んですよ~……ネイチャさんは密着取材とかされませんし~……あ~……これ、効くわぁ~……」
ライブの終了後、ナイスネイチャは控え室で持ち込んだ小さめなマッサージ機に、靴とソックスを脱いだ脚を、すぽっと預けてほのぼのとした気の抜けた顔で癒されていた。
俗に言う、こめくいてー顔である。
クラシック路線をバチバチにやりあう現役ウマ娘としては、ちょっとお見せ出来ないレベルのとろけっぷりだが、そういう見栄っ張りは性に合わないので、ナイスネイチャは堂々のこめくいてー顔である。
学生の身には、ちょこっといいお値段をするこのマッサージ機がここにある理由は、平たく言えばナイスネイチャの人徳である。
「電気屋のおっちゃんには感謝しないとね……おぉ~、足裏も行くんだこれ……こりゃクセになるかも……」
「しかし、電気屋の展示品のマッサージ椅子でその顔してたら売れ行きよくなったってのも、納得の脱力感だな。ははははは」
ナイスネイチャが商店街巡りをしてる途中でたまに寄る電気屋で、マッサージ椅子で癒されている姿を見た他の客が「現役クラシックの有力ウマ娘があれだけ癒されているなら」と注文が増えたらしく、今となっては広告代わりに新作のマッサージ椅子でいつも癒されていけと座らされて、毎回こめくいてー顔で溶けているらしい。
その縁もあって、電気屋からの差し入れが、この持ち運び出来るマッサージ機だと言うのだから、実際にどれだけ売れたのかは想像に難くない。
トレーナーの笑い声にナイスネイチャもつられて笑ったあと、溶けて閉じていたまぶたを開く。
「ねぇ、トレーナーさん。今日のアタシさ、ちゃんとみんなの期待に……応えられたかな?」
「ああ、それは間違いない。今日の走りで、商店街のみんなは『皐月賞最有力はネイチャだ!』って大騒ぎだと思うぞ。ははははは」
「またまたご冗談を……スズカには結局、届かなかったしさ。みんな、大袈裟だよ」
「そのスズカくんは、皐月賞にいないぞ」
「えっ……あっ、そうか……スズカはティアラ路線に行くんだっけ……わけわかんないローテするわぁ……」
「で、今回の弥生賞2着はキミだ。スズカくんを除いたら事実上の1着はキミになるな。つまり皐月賞の最有力はネイチャってことになる。そう思わないかね?」
さらに言えば、サイレンススズカと競り合っていたマヤノトップガンは病院に緊急搬送されている。
今のところは重傷とは聞いてないが、下手をしたら皐月賞を回避する事態になるかもしれない。
そうなれば、あとはトウカイテイオーと今回はいなかったマチカネフクキタルしかいない。
「あ、あー……そっか……そっか!ヤバいじゃん!どうしよう!アタシ、ヤバいじゃん!」
ナイスネイチャは急に現実に戻ってきて頭を抱える。
ナイスネイチャは改めて、今の自分の立場に気付かされたらしい。
トレーナーはその様子に、つい面白くなって囃し立ててしまう。
「実は取材の依頼も来てるぞ。皐月賞ウマ娘最有力、ナイスネイチャ!って記事も出たりしてな。これは皐月賞当日は一番人気もあるなぁ、これは。ははははは」
「んにゃああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!そういうのハズカしいからやめてーっ!ナシ!ナシだからね!?取材とかハズカしいからっ!ホントにナシだからね!?」
ナイスネイチャは頭を抱えて他の控え室にも聞こえるほどの鳴き声で叫ぶ。
とは言っても、この翌日にさっそくトレーニング後に電気屋のマッサージ椅子で溶けてるところにインタビューしに来た記者と鉢合わせてしまったのは、また別の話であるが、この話の主役は残念ながらナイスネイチャではない。
その時の話はまたいずれ、機会があった時に。
「スカーレット、どうするつもりだ?」
「どうする、って……トレーニングするしかないじゃない」
中山レース場から府中の寮に帰り、晩御飯とお風呂を済ませてから、部屋に戻って落ち着いた頃にウオッカが訊いてきた。
桜花賞での対サイレンススズカをどうするのか、ということなのは、問われたダイワスカーレットもわかっている。
「お前がそう言うってことは、作戦でどうにもならないってことか」
「文句があるなら、少しは自分でも考えなさいよ。アタシとアンタじゃ脚も走りも違うんだから」
ウオッカにそれだけ言って、寝巻き姿のダイワスカーレットはベッドに寝転ぶ。
練習で併走していた時も、普通に走っている時は速いと思っていた。
そもそも元を正せばダイワスカーレットはサイレンススズカと同じチームにいて、レースではない走りでは、その時点でも速かった。
自分より細い脚が、たまに羨ましくなったこともないとは言わない。
ただ、今回の弥生賞で抱いたのは、羨望よりも……脅威だった。
筋力なら間違いなく勝っている。
フォームだって、自分はしっかりと作っている。
それなら、サイレンススズカが今の自分より速いのは何故?
フユミトレーナーから、一言だけ言われた。
「あれはサイレンススズカというウマ娘だから出来ることだ。君は真似しようと思わないほうがいい」
そのくらい、ダイワスカーレットはわかっている。
ヒントはいくらでもあった。
前を行けば、今のサイレンススズカは迷いなく抜きに来る。
後ろから行くには、相当な末脚と末脚の射程から引き離されないだけのペースが必要。
何より、逃げながら差してくるサイレンススズカの最後の末脚。
難題だと思う。
それでも、負けられない。
必要なものはわかっている。
今よりも爆発的な末脚のスピード。
一瞬しかない的確なタイミングで叩き付ける判断力。
それを丁寧に持ち込むレーシングプラン。
どれも足りてないじゃない。
桜花賞までに、自分は身に付けられるだろうか?
いつもより早い時間に、ダイワスカーレットは手足を投げ出した大の字姿で、ベッドの上に仰向けで天井を見上げる。
不安はいくらでもある。
それでも、桜花賞からダイワスカーレットは逃げ出せない。
ここで逃げたら、サイレンススズカが今期のクラシックでまだ一回目のGⅠにも関わらず問答無用の一番になってしまう。
そんなの、受け入れられない。
最初、サブタイトルは「ネイチャな心意気」のつもりだったけど怒られそうだったからやめた。