逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
「一昨年の阪神ジュベナイルフィリーズ……ああ、やっと思い出した。ゴールドシチー、だったか。すまない、すぐに思い出せなかった」
一昨年の阪神ジュベナイルフィリーズ、ということはサイレンススズカ達より一期前のデビューだったのだから、うろ覚えでしか覚えていないのは自分の落ち度だろう。
阪神ジュベナイルフィリーズに勝ったあとは何を思い立ったかクラシック路線に乗り込み、皐月賞はメジロライアンに競り負け、ダービーはアイネスフウジンの決死の逃避行に引きちぎられ、菊花賞はメジロマックイーンに擂り潰された。
掲示板内にはいるが惜しかったとも言えないような感じの結果だった覚えがある。
「……いいよ、別に。記憶に残るような成績じゃなかった。そんだけのことでしょ」
ゴールドシチーは複雑そうな表情で遠くを見る。
言ってしまえば『ジュニアの神童』の典型的な例なのだろう。
イマイチ、走りの印象が薄い。
「で、マヤはなんで知ってるんだ?」
「シチーさんは寮で一番オシャレで綺麗なウマ娘なんだよ!凄くちっちゃい時からモデルをしてるスゴい人なの!」
「で、今もモデルとレースの二足のわらじという訳か」
「その結果が、クラシック三冠全敗だけど。もういい?アタシ、この荷物取ったら帰るから」
「いえ、その前に話を聞かせてください。チームと一緒にレースも引退するっていうのは、どうしてですか?」
テーブルの荷物に伸ばしたゴールドシチーの手をたづなさんが掴む。
ゴールドシチーの目に苛立ちが見える。
本人は隠しているつもりなのだろうが。
「アタシ、もう走る意味がないことに気付いたから」
「走る意味がない?どういうことですか?」
「そのままの意味だよ。アタシは最初から走る意味がなかったんだよ。アタシはどれだけ走っても『ちょっと綺麗なお人形がそこそこ走る』程度にしか見られない。それに気付くまでに、2年も無駄にしたの。ホント、バカみたい」
自嘲するような態度で、ゴールドシチーは肩を落とす。
アイドル的なプロモーションが肌に合わないウマ娘は、いないわけではない。
ターフに求めるものは、千差万別だ。
ただ、彼女は与えられたものと欲しかったものが噛み合わなかったのだろう。
「キミ、確かマヤノトップガンよね?サイレンススズカと弥生賞でガチの身内対決した、あの」
「う、うん」
急にゴールドシチーから話を振られたマヤノトップガンはちょっと驚いて返事をする。
「他の娘がね、話してたの。どっちが勝つかわからない、ガチの身内対決をやるって……ガチで走るところを見られてるの、実は羨ましかったよ」
「シチーさんが、マヤを羨ましいって?」
「アタシはさ、どう走っても必ず始めに「綺麗なのに」って付くんだ。この見てくれになんの努力もしてないわけじゃないよ。ただ、走ってるアタシはなんなんだろうな、って」
乾いた小さな笑いをしながら、俯いて金色の髪に横顔を隠す。
肩を微かに震わせながら、腕を軽く振ってたづなさんが掴んでる手を払う。
「トレーナーはさ。こうやってナーバスなこと言ったアタシをけっこう無理矢理、走らせてたんだよね。たまにマネジとガチで口論したりしてさ。そしたら先にトレーナーがダウンしちゃった」
近くに畳まれていたパイプ椅子を出して、広げて座る。
長話を立ったままというのは疲れる。
「次は春シニア三冠を狙ってみようって、自分が言ったのにその一番最初の大阪杯の前に言い出しっぺのトレーナーが倒れてチームが解散とかさ。マジないわー……もうさ、走るなってことなんだろうなって思うよね」
「だから、走るのをやめる?」
おどけるような口調で言葉を吐き出したゴールドシチーが、やめるのを確かめた途端にピクリと固まる。
あぁ、なるほど。
厄介でワガママでめんどくさいタイプのウマ娘だ。
「たづなさん、その前任のトレーナーって深刻な状態なんですか?」
「今は投薬治療中らしくて、経過観察次第で退院しますが、けっこうな高齢で……回復したとしてもトレーナー業までは……」
「自分がそんななのにさ、アタシに毎日メッセージが入るの。やれトレーニングは順調か、モデルの仕事との調整は大丈夫か、次のチームのアテはあるか、ってさ。点滴とかめっちゃ刺さってるのに外出許可取ろうとしたりさ」
バカみたいだよね、と口許だけ見せて苦笑するゴールドシチーは持ってきたのだろうリュックに私物を投げ込むようにしまっていく。
まるで、何かを振り切るように慌てたように。
「つまり、自分が現役で走ることが負担になるのが嫌だと?」
「……アンタさぁ、デリカシーとかってわかる?いや、わかんないか。アンタ、有名だもんね。ウマ娘をデビュー前に3人潰して、他所から引っ張った重賞ウマ娘も容赦なく潰し合わせることにも躊躇いがない悪徳トレーナー、だもんね」
「シチーさん!」
「たづなさん」
何か言おうとしたたづなさんに待ったをかけて、最後のひとつをリュックに入れたゴールドシチーのほうを見る。
「まったくもって、その通りだ。外聞ってものは、そうそう変わらない。たぶん、君もよく知ってることだろう?」
「…………ちっ」
「シチーさん!」
小さく舌打ちしたゴールドシチーが部屋から出ていこうとする。
たづなさんはさすがに引き留めにかかった。
「走ることに見出だせなくなった?違うね。走った結果を見たくないだけだろう。皐月賞かダービーか菊花賞か、どれかひとつにも届かなかった結果が、君も自称する通りに『ちょっと走るお人形さん』だった。実際にはゴールドどころか真鍮かパイライトだったという現実を見たくないだけだ」
振り向き、こちらを睨み付けて一歩踏み出したゴールドシチーを止めるように、たづなさんが後ろから押さえる。
ゴールドシチーは血管がうっすらと浮かぶほど、拳を握り締めている。
自分のコミュ力のなさに嫌気が差してくる。
サイレンススズカの時は平手だったが、グーで殴られるのは本当に痛いだろうなぁ。
「…………うっざ……なに?わざと?わざとアタシをキレさせて?エラソーに説教ぶって!?走って結果を出して、覆してみろとか言いたいわけ!?」