逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー   作:エアジャガーる

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会議の時間

「トレーナーさん、何かあったのかしら?」

 

「ワタシに聞かれても、わからないデス……」

 

「それもそう、よね」

 

 補習からようやく解放されたタイキシャトルとついでに怪しいからという巻き添えで補習に捕まっていたサイレンススズカがチームルームの扉を開けて見たのは、膨れっ面のマヤノトップガンとそのマヤノトップガンを膝に乗せて膨れたほっぺたを俯きながら無心でむにむにしているフユミの姿。

電気を点けていないので、薄暗い部屋の中でいつからこうなってるのかも、どうしてこうなってるのかもわからない。

一回だけ見なかったことにして部屋の外で考えてみるものの、当然ながら理由がわからない。

何はともあれ、部屋に入らないとそれはそれでどうしようもないので、2人は部屋に入る。

 

「お疲れ様です」

 

「は、ハウディー?」

 

 2人が入ってきたことに気付いて、大きな溜め息のあとに、フユミが顔を上げる。

ちょっとだけ落ち込んだ顔をしているのがサイレンススズカにもわかった。

マヤノトップガンがむくれた顔で頬をむにむにされているので、どうやらマヤノトップガンが怒るようなことがフユミの身に起きたらしい。

マヤノトップガンを怒らせたなら、膝に乗ってむにむにされているのはおかしい。

 

「タイキ、補習はどうなった?」

 

「モ、モチロン!バッチリ終わらせマシタ!」

 

「よし、次からは補習じゃなくて自習で頼む。スズカもお疲れ様」

 

「はい、その……トレーナーさん、何かありました?」

 

「……演劇鑑賞が似合わないって言われた」

 

「……はい?」

 

 また俯いたフユミがマヤノトップガンの頬をむにーっ、と伸ばした後に離してぺちぺちと叩いて揉むように撫でる。

珍しく落ち込んでいるような感じだが、演劇鑑賞とは?

サイレンススズカには意味がわからない。

 

「……とりあえず今後のスケジュールの確認をしよう。スズカ、電気を点けて」

 

 壁のスイッチを押して照明を点けた時に、上げ直したフユミの顔はサイレンススズカが知る、いつも通りの顔だ。

そう、いつもの胡散臭い作り笑いだ。

 

「明日、タイキのスプリングステークスに備えて中山に前入りする。正直、弥生賞の時にコースそのものはタイキも把握済みだろうから、この移動は当日のバタバタで疲れたくないためだけのものだ。そして、スプリングステークスのあとはそのまま阪神に向かう」

 

「阪神?桜花賞はスプリングステークスから二週間後ですが……」

 

「ちょっとした野暮用が出来た。朝日杯の時のスズカと今のスズカだと走りの確度も少し違ってきているし、実際に走った時の感覚も違うハズだから慣らしておきたい。それに、大阪杯があるから有力なシニア級も中央から阪神に動くハズだ。そこでシニア級相手の併走も出来たらいいと考えている」

 

 フユミはマヤノトップガンの頭を撫でながら話を続ける。

今となっては日常となった光景も、今日はどこか違和感がある。

たぶん、そのちょっとした野暮用が原因なのだろうか。

ちょっとした野暮用、で済ますということは、話すつもりはないのだろう。

 

「大阪杯に、何かあるんですね?」

 

「大阪杯には何もないよ。現時点で、君達がシニア級を相手にどこまで鍔迫り合いが出来るか確かめておきたい。スズカ、この予定は桜花賞の結果や得票次第にはなるが、初夏の阪神芝2200mを走る心積もりでいてほしい」

 

 フユミの言うレースに該当するのは、ひとつしかない。

走る場所への頓着が薄いサイレンススズカも、流石にその舞台の意味はわかる。

サイレンススズカはてっきり、桜花賞からティアラ路線に進むものだと思っていただけに、フユミの提案は思いもよらないところだった。

 

「それって……宝塚記念ですよね?」

 

「ああ、史上初のクラシック級での宝塚記念制覇。過去に誰もやらなかったし出来なかったことだ。これ以上の実力の証明はない。そして、スズカなら桜花賞勝利から宝塚記念制覇までのイレギュラーなローテをやれると思う」

 

 出たいレースにこだわりのないサイレンススズカも、さすがに息を飲んだ。

きっと、冗談で言っているわけではない。

むしろ、大真面目に言っているのだろう。

隣のタイキシャトルはこの意味をわかってないのか、腕を組んだまま首をかしげている。

 

「勝負はシニアから……そういうことだったんですね」

 

「君がクラシック三冠、トリプルティアラを取るのに専念したいとか希望があったら引っ込めるつもりだった。今もまだ君の答え次第でなかったことにするつもりはある」

 

 実際にやってのけたなら、史上初の快挙になるだろう。

しかし、史上初の快挙になる理由は往々にしてある。

サイレンススズカも、さすがに一押しが欲しくなる。

 

「ひとつ、聞いてもいいですか?」

 

「なんだ?」

 

「私は、シニア級相手でも勝てますか?」

 

「その手応えを、桜花賞の前に掴んでおきたい」

 

「勝てる、と言わないんですね」

 

「僕の思い描いた君より速いサイレンススズカは、オークスと秋華賞でタイムアタックをして満足するような小物じゃなかった。君は、他のウマ娘より常に前にいるべきだと思う。本当は安田記念から対シニア級への戦端を開くことも考えたが、そっちはNHKマイルを叩いてタイキに行ってもらう」

 

「ワタシ?」

 

 急に話を振られたタイキシャトルは、話に付いていけてないのか、困惑する。

タイキシャトルに対する提案も、かなりの大きな目標だ。

レート的に通常の出走枠はまず取れない以上、NHKマイルから連勝するしかないのだ。

 

「安田記念はマイル距離では世界最高峰のレースだ。善戦しただけでも、実家の御家族も大喜びすると思うぞ」

 

「オゥ!それはベリーグッドデスネ!ファミリーやフレンズがハッピーになりマス!」

 

「そう思うなら、まずはNHKマイルをしっかり勝つこと。マヤはしばらくリハビリだ」

 

 マヤノトップガンは膨れっ面のまま、フユミのほうに振り向く。

不満なのが、ありありと見えている。

 

「むーっ……マヤ、皐月賞に出るもん!」

 

「それが出来るように、リハビリをしような。弥生賞の時の反動が残ってるまま、皐月賞には出せないよ」

 

 マヤノトップガンの頭を撫でながら困り顔で提案するフユミの顔は、完全にワガママな娘に振り回される父親のそれだ。

サイレンススズカとタイキシャトルは、すっかり見慣れた光景になりつつある、この2人のやり取りに苦笑しながらパイプ椅子を出して座る。

しかし、サイレンススズカは改めて思う。

弥生賞でのマヤノトップガンのダメージは、フユミが心配するほど深いものなのだろうか。

 

「あの、マヤちゃんの身体は……」

 

「いきなりのぶっつけ本番で、派手にやったからな。マヤ、自分でもわかっているだろう?」

 

「……むぅ!」

 

 マヤノトップガンが怒って、フユミの胸元にしがみつく。

それだけで、事態の深刻さを理解した。

中山から府中に帰ってきてから、マヤノトップガンのトレーニングは軽く流すものになっていたのは、マヤノトップガンが自分でわかるほどのダメージから立ち直れていないからだ。

皐月賞まで、猶予はあまりない。

厳密に言えば、フユミが判断するまでの猶予がない。

フユミはたぶん、桜花賞のタイミングであっさりとマヤノトップガンの皐月賞を諦めると思う。

 

 そういえば、マヤノトップガンはそこまで皐月賞に執着していただろうか?

サイレンススズカには、わからないことがまた増えてしまった。

 

「マヤ、皐月賞に出るもん……」




日常生活のスズカさんは逃げられずに巻き込まれがち

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