逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
「バクシンッ……バクシィイイイイイインッ!!!」
サクラバクシンオーがコーナーを抜けた時の不安定な立ち上がりにも関わらず、気合いひとつで内を思いっきり踏み出す。
その外から私は並んで仕掛けに行く。
4コーナー最中のここではまだ、サクラバクシンオーを抜けなくてもいい。
むしろ、ここではまだ抜けては困るのだ。
タイキシャトルがどうやったのか知らないが、セカンドサンライズを内ラチに押し込みかわして、外を捲って上がってきた。
あれを止めるには、サクラバクシンオーと並んだ私の後ろで、レンアンドシックスが少し大袈裟に外に出るしかない。
4コーナー出口の立ち上がりでサクラバクシンオーと並べた時点で、あとは最後の坂でズブズブになるサクラバクシンオーのほんの少し前に出る。
そのつもりで、コーナーから立ち上がった。
「ちょわっ!」
泥水が、内から跳ねて顔にかかる。
サクラバクシンオーが姿勢を崩す。
隣から、サクラバクシンオーの顔が消える。
稍重のバ場で、4コーナーの角から先の内ラチがまだ荒れている!?
坂に入る前にサクラバクシンオーが下がるのは早すぎる。
どのみち、既にストレートに入っている。
ここでサクラバクシンオーが下がった以上、あとはゴール板を目指して思いっきり走るしかない。
『サクラバクシンオー!4コーナー角で脚を取られたか!?ここで僅かに失速!セブンスナナが前に出た!レンアンドシックスが外から並びに行く!』
「レンロクが踏み込んだ!?」
「ナナがバクシンオーのコケにつられたんだ!」
ぐらついたサクラバクシンオーに気を取られた一瞬の、ほんの僅かな減速で、レンアンドシックスが外から追い抜きに来たらしい。
どうやら、レンアンドシックスはこの土壇場で勝ちを横取りに来た。
させて、たまるか!
外から来るレンアンドシックスに張り合って競り合う。
4コーナーで泥跳ねがあるほどズブズブなら、内ラチ側はきっとまだぬかるんでいて、坂の前まではロクに走れたものではない。
つまり今、自分が走っているここが1番の内ラチだ!
ずっと外側を回っていたレンアンドシックスには負けない!
「オイ!内から行ったぞ!」
「バクシンオーがコケた稍重ズブズブの4角からのストレートだ!踏み込める訳がねぇ!」
そんな考えを一瞬で改めさせられることになった。
そのまさに不可侵の内ラチを、タイキシャトルが思いっきり前に身体を倒して踏み込む脚で泥を跳ね上げながら伸びてくる姿を見た瞬間に。
見ればわかるほど葉の色が濃く、荒れている内ラチだ。
あんなとこ、一歩でも踏み込みが少し浅かった瞬間に間違いなくずっこける!
泥濘を芝ごと踏み潰して、水音混じりの足音を鳴らして走るような、あんな力の入りすぎな走りで伸びてくる訳がない!
そのハズなのに!
『サクラバクシンオーをかわした!タイキシャトルだ!内から上がってきたタイキシャトルだ!内ラチの荒れたターフを踏み締め!蹴り!伸びてくる!セブンスナナ苦しいか!?レンアンドシックスと張り合うその内から!タイキシャトルが並び!タイキシャトルが来る!セブンスナナ!セブンスナナが!タイキシャトルに今!中山の直線の坂!ここでついに捕まるか!?』
「もう坂だ!坂まで来たら間違いなく泥濘が引く!タイキシャトルが来るぞ!」
「ムチャだ!ズブズブの内ラチ走ったあとに中山の坂を登る脚がある訳がねぇ!ナナだ!」
「外から差しに行ってるレンロクに決まってらぁ!」
観客席の前を、3人並んだまま坂を上がる。
坂での立ち上がりで、タイキシャトルがグイッと前に出た。
それに呼応するように、セブンスナナが頭を下げてターフを踏み込む。
レンアンドシックスはちらりと後ろを見て、セブンスナナから僅かに外に離れて踏み込む。
『中山の坂に入る!後ろから大捲りをするアイフォーミュラ!伸びきらない!レンアンドシックスの外から前に出られないか!?セブンスナナ!タイキシャトル!?レンアンドシックス!?タイキシャトルが!前に出たか!?外からレンアンドシックスも並ぶ!真ん中セブンスナナもまだ張り合っている!坂を越えた!残り100m!並んだまま!並んだままか!?抜けた!ゴール板の前!タイキシャトルが抜けた!』
3人ほぼ並んだままゴール板を抜けて、ペースを落として、そして脚を止めて掲示板を見る。
表示を待つ必要もなく結果は、自分が1番わかっている。
一歩、及ばなかった。
前回のまとめて外から撫で切りにされたのに比べたら、レースになっただけマシか。
負けてもうおしまいなのに、不思議と爽やかだ。
ようやっと春が来たような、感覚がする。
あまりにもざまぁない結果で心が晴れやかになるとは、呆れてモノも言えない。
優先出走権には届いたが、自分の走りで皐月賞は厳しそうだ。
純粋な実力勝負だったら、とっくに大負けしていたのだから。
『タイキシャトル!レンアンドシックス!セブンスナナ!』
「勝った、か……」
身体から力が抜けた。
というより、腰が抜けた。
椅子から立ち上がりたいのに、足に力が入らない。
背中が重くて、背もたれから離れない。
トレーナーとして、この上なく情けない姿だ。
早く、ウィナーズサークルに向かわねば。
そう思うのに、身体が動かない。
タイキシャトルは冷静に、サクラバクシンオーが4コーナーの立ち上がりから数歩で崩れる瞬間を捉えて逃さなかった。
サクラバクシンオーが下がって空いた、荒れていた内ラチに躊躇いなく飛び込んで一気に駆け上がった。
踵が着ききらない前のめりな末脚でのスパート時にも靴底全面で稍重のターフを踏み締められるように、アンダー寄りのセッティングをしたのは他ならぬ自分だろうに。
自分の情けなさに、腹立たしい。
無理矢理立ち上がって、よろめいた先の手すりを片手で掴んで身体を起こして、なんとか歩き出す。
両手で掴んで身体を支えたいところを、片手だけでなんとか起こして歩く。
この調子では、ウィナーズサークルに着くのは少し遅くなりそうだ。
まったく、情けない。
いつもみたいにしていればいいだけのことが、まるで出来ていない。
ウィナーズサークルに向かう途中には、手すりがないというのに。
地下通路から、ターフに出る直前に息を吸う。
少し佇んで、意を決してターフに出る。
大丈夫、いつも通りの姿に見えているハズだ。
「トレーナーさん!勝ちマシタヨ!」
タイキシャトルがいつもの陽気な笑顔で手を振ってウィナーズサークルで待っている。
待たせてしまっただろう。
急いでタイキシャトルの元に向かおう。
「タイキ、頑張ったな」
「……?トレーナーさん、お疲れデスカ?」
「いや、疲れてなんかないが。レースを走ったタイキのほうがよっぽど疲れただろう?それに、途中で接触とかもあっただろう?とりあえずあとで身体の状態を確かめたいが、身体のどこかに痛みとかはないか?」
「ムー……ワタシは大丈夫デス。むしろ、トレーナーさんが大丈夫に見えないデス」
タイキシャトルがこちらの顔を覗き込むように見てくる。
あまり向き合っていると、自分の情けなさを見透かされそうだ。
タイキシャトルの頭に手を置いて、視線を遮りながら撫でる。
熾烈なレースでどこかに傷を負っているかもしれないタイキシャトルに、僕のことなんかに気に取らせられない。
「僕のことは気にしなくていい。控え室に戻ったら身体のダメージを確認するからな」
「ムゥ……わかりマシタ」
今回のレース、かなり難産だった……
サイゼリヤのドリンクバー無しに文章が書けない……