逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー   作:エアジャガーる

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傘の本懐

「さて、ライブ衣装に着替える前に……タイキ、3コーナーの前で接触したのは左肩で合ってるな?」

 

「イエス」

 

 控え室に戻り、ゼッケンを外した体操服姿のタイキシャトルを椅子に座らせて、左肩に袖越しでそっと手のひらを触れる。

軽く撫でていくと、腕の付け根のところで一瞬だけ顔をしかめた。

しかめた時に触れたところをもう一度触る。

 

「ン……」

 

「我慢しない。痛かったら言って」

 

「ァゥ……ソーリー……ソー……チョビット……」

 

「……ちょっと、なんだな?袖を捲るぞ」

 

 タイキシャトルが一瞬だけ止めようとして、観念したように腕を任せたので袖を捲る。

今のところは、打撲の痕が小さい。

表面的なダメージで済んでいる?

あくまでも外に出さないために引っ掛けただけで、思いっきりぶつかった訳ではないようだ。

青アザが出るくらいで済むだろうか。

 

 直接的に深刻な怪我を負わすようなぶつかりかたをしたら出走停止を食らう可能性や自身の選手生命にも響く以上は、ぶつかりかたも加減するか。

普段からダーティプレイに慣れているからこそ、この程度で済ませられるということか。

これで左肩に大怪我を負わせていたら、審議でも言い逃れはしにくくなるだろうから、そうならないための加減の仕方を身に付けている訳だ。

速く走るためではない邪道な技術であり、とても好ましくないものではあるが、その技術があるからこそタイキシャトルが大怪我をしなかったのだから皮肉なものだ。

 

 そもそも邪道な技術を用いずに真っ当に張り合え、というのは走りの才能に溢れているウマ娘を担当しているからこそのワガママだろう。

飛び抜けた才能がないウマ娘をどうやって勝たせるか、ルールの範囲で試行錯誤することを否定出来ない。

自分だって、同じ立場なら必要を感じて模索するハズだ。

好ましくはないが、それをかわせないなら、こちらの泣き言に過ぎない。

レースの駆け引きの中にこういうダーティなこともあることを注意して、対策をさせることを怠ったのは、指導すべきトレーナーである僕だ。

 

 タイキシャトルの肩を怪我させたのは、つまるところは未熟なトレーナーである僕なのだ。

 

「トレーナーさん」

 

「ん、あぁ……すまない。とりあえず冷やそう」

 

 タイキシャトルが声を掛けてくるくらい、ぼーっと考え込んでいたらしい。

こんな調子でどうする。

 

 情けない。

 

 持ってきた鞄から大判の冷却シートを出して、タイキシャトルの左肩を包むように一度当ててから、ハサミで切り込みを入れて綺麗に包むように腕の付け根に貼っていく。

動かすのに邪魔にならないように二枚に分けて、肩に貼ろうと思ったが、今は体操服を着ているから、肩を出してもらわないと肩のほうには貼れない。

 

「ごめん、肩を出してくれるか?」

 

「……ハイ」

 

 タイキシャトルがそっぽを向きながら、体操服の襟を手で引っ張ってずり下ろし、左肩を出す。

タイキシャトルの噤んだ口から、小さく堪えるような声がする。

本当はやはり痛いのだろう。

ぶつかったダメージが腕より肩のほうに行っている可能性はある。

肩に掛かっている肩紐の下に指を差し入れて浮かせて、冷却シートを隙間に挟み込むように差し込んで、皺にならないようにゆっくりと撫でて、ぺたりと肩に貼り付ける。

ずり下ろしている襟を戻して、痛むだろうタイキシャトルの左肩をそっと撫でる。

 

「……ごめんな。僕の未熟さが招いた怪我だ」

 

「ノープロブレム、デスヨ。トレーナーさん」

 

 気付くとタイキシャトルがこちらを向いていて、引っ張られたかと思うと抱き締められていた。

タイキシャトルの手にゆっくりと背中を撫でられて、どうにか身動きを取るのに張っていた力が抜けていってしまう。

タイキシャトルの肩に首を掛け、身体を預けてしまう。

頬に当たるしっとりとしたタイキシャトルの首筋の肌が、背中を撫でる手がどこか心地よく。

トレーナーとしては見せられない情けない姿を担当に見せてしまっているというのに、身動きを取れない。

 

「あの程度、チャーチルダウンズにいた頃はラフプレーのウチにも入りマセン。トレーナーさんが思ってるより、ワタシはパワフルなんデスヨ?」

 

 怪我をしている担当に、動揺を悟られて逆に心配させるとは、自分がとことん情けなくなる。

タイキシャトルの腕に抱き締められて、離れられないでいる。

 

「トレーナーさん、ホントはとっても……レースが怖かったんデスネ?ヤヨイショーの時もずっと、動きがガタガタデシタ」

 

 自分の情けなさを、タイキシャトルが確かめてくる。

否定しようにも、自分の今の姿が答えのようなものだ。

タイキシャトルに少しだけ身体を抱え上げられると、太ももでこちらの腰を挟んで足を絡めてくる。

 

「……タイキ」

 

「大丈夫デスヨ。ワタシも、スズカも、マヤも、みんなパワフル。ノープロブレム。だから……安心してクダサイ」

 

 同じ年頃の少女に比べると少し大柄なタイキシャトルは、背丈が僕と大差無い。

そのタイキシャトルが、腕だけじゃなく脚まで絡めて抱き締めている。

タイキシャトルのしっかりとした筋肉のある、柔らかい身体がぴたりと密着して、身動ぎひとつ出来ない。

力では逃げられっこない。

だからって、長々とこの状態でいるのをヨシとしてはいけない。

腕ごと抱き締められて、肘から下しか動かせない。

タイキシャトルのお腹に手が触れる。

僕を持ち上げた時に裾が捲れ上がったのか、汗がまだしっとりとしているすべすべとした素肌が柔らかい。

 

「ン……ふ……ァ……」

 

 柔らかな肌の下に、しっかりとした筋肉を手のひらに確かめながらゆっくりと手のひらをお腹から背中に滑らせ、肩を軽く叩く。

もうそろそろ離してもらわないと、僕はきっとダメになる。

 

「タイキ、そろそろ離して。脚の具合を確かめたいし、ライブ衣装の着替えの時間もある」

 

「……オーケー、お願いシマス」

 

 耳元で溜め息が聴こえたあと、タイキシャトルが絡めていた脚が力を抜いてするすると滑り落ちて離れて、抱き締めていた腕が背中を撫でたあとに脇腹を押さえて、こちらを起こしてくる。

 

 トレーナーの立場が、まるでない。

担当に抱き締められるほど心配を掛けるようなトレーナーがあるか。

愛想を尽かされる前に、少しはしっかりしないといけない。

頭の奥がまだくらつくけど、泣き言は言えない。

今の僕は、自分からトレーナーであることを辞められない。

 

 何かがつかえているような左胸をとんとんと叩いて、息を吐く。

タイキシャトルの足元に膝を突いて、両手で彼女の片足をそっと持ち上げる。

3コーナーから途中でかなり無茶なことをしているハズだ。

脚の消耗具合を確認しておきたい。

 

 今日の勝ちで、次走に予定していたNHKマイルの出走枠は間違いなく取れる。

ここで何かしらのダメージがあったら、予定は取り下げだ。

 

「靴とソックス、脱がすからな」

 

「ハイ」




スプリングステークス(トレーナークソザコ回)終わり!
さぁ、桜花賞に跳ぶわよ!(次元の超越)

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