逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー   作:エアジャガーる

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ghost touch

「稍重にしては、けっこう汚れたな……ちゃんと走れたか?」

 

「ハイ。だからワタシが勝ちマシタ」

 

「それも、そうか」

 

 泥水を吸って湿気ている靴紐の蝶結びをほどいて、少しずつ靴に編んでいる靴紐を引っ張って、靴の中を弛めていく。

靴全体が、ジットリとして砂が浮いていたり切れ飛んだ葉片が付いている。

靴の中にまで染みていたら、履き心地が気持ち悪いだろう。

早く、履き替えさせてやりたい。

全体を弛めてから、足首の後ろから靴の中に指を入れて引っ掛けてゆっくりと外していく。

湿り気のせいで中がきつくなっているのか、靴がすんなりと脱げない。

 

 ここで無理に力任せで脱がせたら、足を痛めることになる。

靴紐を更に弛めて、大きめに余裕を作って、ようやくスルリと外れる。

靴を脱がした左足の踵を片手で持って、足の甲を撫でる。

滲んだ泥水と汗の湿り気を吸ったソックスと、ソックス越しに足先の温もり、火照り。

不自然なむくみや腫れは無さそうだ。

足の裏を触ると、ソックスの拇趾と踵の内側の部分が僅かにだが、少し擦れている。

履かせた時の状態を覚えていなければ気付けない程度だが、ソックスの肌触りがそこだけ他より擦れて生地が薄い。

横向きに強く踏み込んだ証拠だ。

脱がして傍らに置いた靴を裏返して、靴底を見る。

ほぼ縦に入っている蹄鉄に入っている擦れ痕の中に、僅かに網目になっている部分がある。

靴底に横向きに入った傷の深さは、彼女の足首への負担とイコールだ。

 

 靴を脱がしたタイキシャトルの足を、床に付けた僕の膝に踏ませるように乗せて、ソックスの口がある太ももに手を伸ばす。

ソックスの口を引っ張って広げ、まずは膝の下まで下ろす。

膝下でだぶついた分を、足首より上を摘まんで引っ張り、引き抜いていく。

ふくらはぎをソックスがピッチリと包むまで、足首から下を引き抜いたら、またソックスの口を引っ張り下ろして、足首の上まで下ろして、だぶついた分を引き抜いて、足首や踵に引っ掛からないように足先を伸ばさせてソックスをようやく全部引き抜く。

 

 厚めな生地のソックスで蒸れたのか、太ももから足先まで手のひらで撫でると、仄かに肌が赤く火照り、しっとりとしている。

脱がしたソックスには、泥跳ねの跡があった。

きっとレース後からずっと不快だっただろうに、我慢させてしまった。

 

「少し冷たいかもしれないから、驚かないでね」

 

「ハイ」

 

 レース後の疲労を解す前に、まずは予め常温の水で湿らせたタオルで太もものソックスで蒸れたところから拭いていく。

厚めの生地のソックスでも、隙間から泥水が染みるのと一緒に小さな砂粒が入り込んでしまう。

蒸れた汗と一緒に泥水の汚れもここで丁寧に落としておかないと、ライブ中に不快なばかりか気を取られてのミスにも繋がりかねない。

 

 本当は暑さに流れた汗を流させるのにシャワーを浴びさせてやりたいが、そうするとメーキャップにかかる時間と手間が倍増する。

雨なり雪なり降っている日でもないと、なかなかそこまでは出来ない。

 

 太ももから足先へと、湿らせたタオルで少しだけ強めに、足のむくみを絞るように拭いていく。

足首まで来て、くるぶしを磨くように拭いてアキレス腱から踵を挟んで揉む。

 

「ぁ…………ン…………」

 

 タイキシャトルは足から力を抜いて、こちらに任せてくれている。

穏やかな表情を見る限り、足首の痛みはないようだ。

 

 しかし、解せないことがある。

3コーナー前でセカンドサンライズにブロックされた時、踏ん張ったのは右足だ。

左足側で横向きに擦れてるのは、セカンドサンライズを4コーナー前でかわした、あの小技でターフを踏み締めた時のものだろう。

 

 問題は、どこであの小技を覚えたのか。

あれを誰かに教わったのだとしたら、誰が教えたのか。

自分で思い付いたなら、単にタイキシャトルの才能に溜め息を吐くだけでいい。

ただ、誰かに教わったのだとしたら。

有り得ない可能性が、少しでも首をもたげる時点で嫌なものだ。

 

「タイキ、4コーナー前のセカンドサンライズをかわした時の動きだが……あれは、誰かに教わったのか?」

 

「教わった……違いマスネ。一度、見たことが……あって……ぶっつけ本番で真似……マシタ」

 

 拇趾から足の指をひとつずつ拭っていくと、タイキシャトルは話しながらも短く吐息を漏らす。

同時にぴくりと身体を震わせているので、やはり足を触られるのは苦手なのだろう。

 

「アメリカにいた頃か」

 

「ハイ、ワタシの……家にニホンからホームステイしていた……フレンドがやった、ヒサツワザを見たことがあったのデス」

 

 必殺技、ね。

フユミはふと、なんとなく気になっていたことをタイキシャトルに問うことにした。

 

「タイキ、ホームステイしていた者から日本語を教わったのか?」

 

「イエス。ルイビルでアパートを借りるまでワタシの家にホームステイしていた、ニホンから来たフレンドから教わりマシタ。ファームでの仕事をしながら、チャーチルダウンズのコースをセッサタクマ?してマシタ」

 

「切磋琢磨、合ってるよ……ホームステイしていたのは、どんな子だった?」

 

 タイキシャトルの気が紛れるように、話をしながら足を揉んでいく。

痛みがないようなら、足の疲労を残さないように解すだけでいい。

それより、フユミには気になっていたことがある。

もしかしたら、タイキシャトルのところにホームステイしていたウマ娘は、おそらく……

 

「黒いロングヘアーにワインレッドの目をした子で、ワタシにはよく日本語をティーチングしてくれマシタ。他のことはあまり話してくれマセンデシタケド……」

 

「……名前は?」

 

「ン?」

 

「その子の、名前は?」

 

 タイキシャトルは少し首をかしげたあとに、答えた。

その名前は、フユミが一番聞きたくない名前であり、聞くことはないハズだった名前であり、聞くことになるかもしれないと身構えていた名前だった。

 

「チックスユニコーン、だいたい“ニコ”と呼んでマシタ」

 

 フユミは意識して手を止めず、役割を終えた濡れタオルから乾いているタオルに持ち換えて、タイキシャトルの足を拭いていく。

フユミの仕草が少しぎこちないのを、タイキシャトルは口に出さなかった。

きっと、今以上に隠してしまうだけだ。

そうでなくても、いいことにはならないのは確信出来た。

 

「…………そうか」


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