逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
「……遅いデスネ」
「うん、さすがに遅い」
ライブを終わらせたあと、中山から東京駅まで来たフユミとタイキシャトルは待ち合わせの時間をそれなりに過ぎても現れないサイレンススズカとマヤノトップガンに待たされていた。
フユミはスマホを出してサイレンススズカに電話をかけるが、呼び出すばかりで出る気配がない。
ならばと、マヤノトップガンに掛け直すとまだ電車の中らしいマヤノトップガンが電話に出た。
『トレーナーちゃん!ごめんなさい!まだ遅くなりそう!』
「別にいいよ。何かあったの?」
『私のせいです。ごめんなさい』
電話を代わったサイレンススズカが、電話越しに謝ってくる。
今日は確か、2人はトレセン学園で写真を撮っていたハズだ。
撮影でトラブルでもあったのだろうか?
「撮影が長引いたのか?だったらスズカ達のせいじゃ」
『それは長くなるので、あとで話します。ごめんなさい』
なんにせよ、電車の中であまり通話するのもよくない。
とりあえずこちらに向かっているのと、電話の向こうから聴こえてきた電車内のアナウンスからあと1時間はかかるようなのはわかった。
仕方なく、新幹線の席予約をし直してサイレンススズカ達の到着を待つ。
それから一時間ほどで着いたサイレンススズカとマヤノトップガンと合流した時、すまなそうに頭を下げたのはサイレンススズカだった。
「遅れてごめんなさい」
「いや、いいよ。何かあったの?」
「あの、それなんですけど……」
サイレンススズカが少し、恥ずかしそうにしている。
忘れ物があったから戻った、とかそういう理由だろうか?
ただ、最初の予定がそもそも東京駅の地下街のどこかで晩御飯にしてから出るつもりの時間だったからそのくらいではここまで遅くなったりしないだろう。
ちなみにサイレンススズカが電話に出なかったのは、彼女が持っているカバンの底に電話をしまっていただけだったらしい。
マヤノトップガンが少し疲れたようにヘトヘトになっているのも気になる。
「その、撮影はちゃんと終わらせたのですが……」
「この照明のほうを見上げる感じでお願いします!そうそうそう、はい!」
時間は、スプリングステークス出走より少し前の頃まで戻る。
サイレンススズカとマヤノトップガンが阪神に行く前に、桜花賞と皐月賞のポスターに使う宣材写真を撮りたい。
事務方からの申し出で、スプリングステークスの応援に中山へ行くのをキャンセルして、トレセン学園の一角にある撮影用のスタジオでカメラマンやアシスタントに囲まれながら、勝負服姿のサイレンススズカは言われるがままにポーズを取っている。
照明が眩しくて、スタジオは暑くて、ポーズを取り続けているせいで身動きが取れなくて、サイレンススズカにはとにかく、とにかく窮屈だ。
早く、このスタジオを飛び出してターフを走りたい。
グラウンド中央のコースをぐるっと1周、いや2周くらい、とにかく走り出したい。
「次はこっちのカメラに目線だけください!歩いてる時にたまたま踏んだそこら辺の石ころでも見るような感じで、そうそうそう!その感じで!」
カメラマンさんのオーダーに疲労感すら感じてしまう。
私の写真なんて、何かに使えるようなものでもないだろうに。
写真撮影が終わったら、このままターフを少し走ろう。
身体に纏わり付く重い感じを振り払いたい。
「あー!いいですよ!そうそうそう、こっちにはあくまで目線だけ!顔はそっち!ちょっとだけ左肩引くと構図的にいいかな?そうそうそう、いいですよ!いいですよ!」
視線だけ向けて見下ろしたところに、カメラマンさんがカメラを構えて転がっている。
さっきから脚立を昇ったり、床を転がったり、アシスタントさん達共々、汗だくになりながらシャッターを切っている。
私の写真を撮るだけのことに、ここまで動き回るものなのだろうか。
「はーい!オッケーでーす!ありがとうございましたー!」
「休憩のあと、ウオッカさんの撮影でーす!」
いったい、どういう写真を撮ったのかはわからない。
撮られた枚数を数えるのは、途中でやめた。
数えていたら、却って疲れそうだと思って数えるのをやめてからのほうが長かったので、きっとこの判断は間違いなかった。
「お疲れ様です、サイレンススズカさん」
「あ、たづなさん」
理事長の隣にいる緑の人、200回連続で扉を開け閉めさせても涼しい顔をしている人、たまに微かにニンニクと醤油の匂いをさせている時はGⅠウマ娘すら逃がさないトレセン学園最強最速の門番、そもそもどこまでが理事長秘書の仕事なんだろう?等々の異名と噂で恐れられる理事長秘書のたづなさんだ。
「桜花賞のポスターはやはり、サイレンススズカさん無しには作れないと広報から意見がありまして……急な撮影ですみません」
「いえ……私の写真がそんなに必要とは思えませんが……」
「否ッ!君無しに桜花賞のポスターは成り立たないッ!」
スタジオの出入口から大きな声がして二人で振り向くと、帽子に猫を載せた理事長が扇子を広げながら歩いてくる。
帽子の上の猫は呑気に「にゃー」とあくびをしてだらんと伸びる。
「サイレンススズカ君ッ!メイクデビュー後に君の勝ったレースを挙げてみてほしいッ!」
「勝ったレース、ですか……えぇと……」
この府中でのレースと、年末の阪神でのレースと、あとはこの前の弥生賞だったっけ?
サイレンススズカは普段、あまり前のことは振り返らないので少しうろ覚え気味な記憶を振り返る。
「重賞を既に3つも獲っている上に、そのうちひとつはGⅠレース!君の人気は今の時点で同世代の他のウマ娘から頭ひとつ出ているモノと言っても過言ではないッ!」
「そうなんですか……?」
「はい、取材の申し込みは多々あるのですが乙名史記者が番記者となってから、取材は一律お断りとフユミトレーナーから申し出がありまして」
「うむッ!全てを受けていては取材だけで次のレースまでの予定が埋まってしまうというフユミトレーナーの意見もわかるがッ!……わかるがッ!せめてウマッターくらいは……ッ!」
理事長が難しい顔をしながら唸る、その頭の上で猫がにゃーと鳴く。
なんで頭の上に猫が乗っているんだろう。
そういえば、チームのアカウントがウマッターにあるんだっけ?
スマホにウマッターのアプリを入れてないから、気にしたことがなかった。
「ともかく、君は新たなスターウマ娘最有力候補ッ!その君を推さずにポスターは作れないッ!広報からの意見に私も同感だッ!そこで君の協力を求めた次第ッ!」
とりあえず、大人にはいろいろな事情があるらしい。
ただ、そんなことに今は構っていられない。
「あの、ところで……もうここを出てもいいですか?その……走りたくて……」
「失敬ッ!足止めしてすまなかったッ!」
理事長が退いた横を、足早に出ていく。
スタジオを出た外は少しだけ暑い。
とにかく、今はターフを走りたい。
カメラの前でじっとしていた分、たくさん走ろう。
今は、走りたくて走りたくてたまらない。
サイレンススズカはそのまま外に出た。
勝負服を着た、そのままの格好でターフに向かった。