逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
「これは、派手にやったな……」
阪神レース場併設の寄宿舎。
新幹線と電車を乗り継ぎようやく着いて、サイレンススズカ達を急いでお風呂に入らせたあとに、自分の部屋でテーブルの上に置いた、かつて靴と呼ばれていたこともあるかわいそうな姿の物体を裏返しにしたりしながら見る。
爪先から半ばまでの側面と靴底を繋ぐ縫い目から千切れ、踵の部分は内側が擦り切れ、靴底を見れば踵が上から下に削れ、爪先の側面は下から上に削れている。
靴底が削れるどころか熔けてたり、蹄鉄を踏み砕いていたりするようなことがないだけ、どっかのドリフトクソ女よりはまだマシだろうか。
そんな走り方をターフでやったら、間違いなくコースをメンテナンスする職員が顔を青くするような跡がターフに残って、今頃は電話でマシンガンのようなペースで小言を言われていただろう。
なんにせよ、練習用のシューズでもかなり消耗しただろう走り方を、よりにもよって普段履きの靴でやったのだ。
いくら履いているウマ娘が走ることを想定して、硬質ゴムでの簡易蹄鉄が付いていたとしても、さすがにGⅠウマ娘がクラシックディスタンスを全力疾走することは想定していないハズだ。
壊れてはダメなところが壊れてしまっている。
この靴はもうダメだ。
「マヤ、これはもう捨てるしかないな」
「ヤダヤダぁ!やっとマーチンのかわいいのを選んで買ったのに!」
靴の状態を改めて見たあとに、ハッキリとマヤノトップガンに告げると困り顔でこちらに迫ってくる。
お風呂に入ったあとに向日葵模様のパジャマを着たマヤノトップガンが、困り顔で駄々を捏ねても靴は直らない。
これが勝負服用のシューズならいざ知らず、量販品であるこれを直すくらいなら買ってくるほうが早い。
というより、強度を考えるとどうやっても元通りには直らないだろう。
「直しても履いていたらすぐに壊れそうだ。それに、こことかも綺麗に直りそうにない」
「うぅ、マーチンの靴……おこづかい貯めて買ったのに……」
ミスターマーチン。
英国の老舗シューズメーカーで、レース向けのシューズで根強い人気ブランドで、一般向けシューズでも軽さに対してなかなか丈夫だしかわいいと学園の生徒にも人気、らしい。
マヤノトップガンの小遣いがいくらかは知らないが、中等部女子の財布で買うのはなかなか思い切っただろう。
ここで残骸となっている一般向けのティーンズモデルでも、そこそこにいい値段をしたハズだ。
ハイエンドモデルだったなら耐えられただろうが、そっちはそれこそ恵まれた親戚関係を持つおねだり上手な中等部女子がかき集めたお年玉を全部使って更にバイトしたり小遣いをいくらか貯めてようやく、という値段をしている。
マヤノトップガンが小遣いでぱぱっと買えるようなものではない。
恐ろしいことに、背伸びして買ったとしてもそれが長持ちするわけでもなく、日頃からのメンテナンスが必須というのがハイエンドモデルのシューズの恐ろしいところなのだが。
「全力疾走したら2000も保たずにぶっ壊れたのだろう?ここがこんな形で壊れるのは、マヤの脚の力を受け止めきれてない証拠だ。ちゃんと走れる靴を買わないとな」
「ヤダ……かわいい靴がいい……」
涙目になってションボリするマヤノトップガンに、頭を抱えて考える。
ここでマヤノトップガンを甘やかして、ちょっといい靴を買ったとしよう。
『私も新しい靴で、もっとたくさん走りたいです……』
この部屋にいないハズなのに声がハッキリと聴こえてきたような感覚がする。
サイレンススズカなら間違いなく言う。
そしたらタイキシャトルを仲間外れにするわけにもいかないので、タイキシャトルの分も買うことになる。
出費をトータルで考えると、まぁまぁそれなりの出費だ。
プライベートな靴だから、経費で落とすのは難しいだろう。
マヤノトップガンにだけ内緒で買っても、バレたら結局は同じことだ。
こればっかりは仕方ない。
「マヤ、明日はみんなでショッピングモールに行って新しい靴を買おうな」
「うん……」
これが遊園地に行きたいとか、買い物にしても他の物だったら2人で買い物に行こうとか気の利いたことを言えただろうが、よりにもよって靴である。
要するに、走るためのものである。
それをマヤノトップガンと2人で買いに行った等と言ったら、間違いなくサイレンススズカが新しい靴を羨ましがる。
靴を壊した原因を言えば納得するだろうが、そうすると今度は落ち込みそうだし、なによりマヤノトップガンが言いたがらないだろう。
そうでなければ、いくら勝負服に浮かれていたといっても、サイレンススズカがマヤノトップガンの靴の状態に気付かないハズがない。
マヤノトップガンはきっと、言い出せなかったのだ。
言い出せなかった理由は靴が壊れたことじゃなくて、靴が壊れるほど追い掛けても追い付けなかったから。
壊れた靴を寂しそうに見るマヤノトップガンの肩を取って、胡座をかいている膝の上に座らせる。
左手をお腹に回して、右手を首元にそっと添えて背中から抱き寄せる。
風呂上がりなのに、どこか寒そうな気配をさせていて、こうするくらいしかやりようが思い浮かばない。
右手に重なったマヤノトップガンの手が、ぴとりと冷たい。
湯冷めして風邪でも引いたら大変だ。
右手でぽんぽんと優しく肩を叩きながら、左手でお腹を擦って力を抜けさせる。
マヤノトップガンがだんだんと、こちらに背中を預けてくる。
少しは、気分を落ち着けてくれたらいいのだが。
「マヤ、まだまだゆっくり練習しような」
「……うん」
レオ杯、とりあえず他人のスズカさんに自分のスズカさんが一度も負けてないのでヨシッ!