逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー   作:エアジャガーる

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般若面を被る

「あの、トレーナーさん……」

 

 喉元を指先でとんとん叩いて渇きを誤魔化していると、サイレンススズカが話し掛けてくる。

突然現れたシニア級のウマ娘のみならず、普段なら怒鳴らないようにしている僕が誰かに怒鳴っているのを初めて見たハズだ。

間違いなく、困惑しているだろう。

 

「驚かせてごめんな。怒鳴ってる時はゴールドシチーに向かってのことだ。スズカ達は気にしないで……っていうのも難しいか」

 

「……はい」

 

 ウマ娘は耳がいい。

ましてやサイレンススズカは普段からイヤーキャップを欠かさないくらいには、騒がしいのが苦手だ。

そのサイレンススズカが、聞き慣れない僕の怒鳴り声を近くで聴いたらビックリするに決まっている。

まったく、ままならない。

 

「スズカ、とりあえず今はゴールドシチーの走りを見ておくんだ。なんだかんだ阪神JFを獲っただけはある差し脚をしている。桜花賞前に練習相手としてこれ以上ないハズだ」

 

「……あの、ゴールドシチーさん……でしたっけ?いったいどういう関係で……?」

 

「チームがひとつ潰れたから、繰り上がりで僕達が空いたチームルームに引っ越すことになった。で、潰れたチームの中で彼女だけが次の行き場がないまま保留の状態で大阪杯を控えていた。それだけだ」

 

「私達のところに移籍、ですか?」

 

「そんなことあると思う?」

 

「ないんですか?」

 

 サイレンススズカが少し、ムッとした顔をしている。

なんであると思ったのか、と聞くと不機嫌になるのは予想出来た。

ないよ、と断言しても不機嫌になりそうな気がする。

どっちに転んでもダメだと気付いたので、口を閉じる。

 

 ゴールドシチーはせいぜい、大阪杯ギリギリに来て駆け込むくらいだろうと見込んでいたのが甘かった。

クラシックを一年、勝てずとも戦い抜いたウマ娘の諦めの悪さを甘く見ていた。

前任のトレーナーからの委任状と、ほっといたら何をするかわからない勢いで頭を下げてくるゴールドシチーに、完全に押されてしまった。

ゴールドシチーの大阪杯を理由に他より先に前入りして、年度末年度始めのゴチャゴチャした環境から逃げてきた以上は、放置するわけにもいかない。

 

 つくづく、ままならない。

 

 そうこうしている内に4コーナーをゴールドシチーが立ち上がる。

ぶっ通しで走らせて、ざっくりと15周。

疲れが明らかに出てきているが、足のブレは減ってきた。

下り坂から登り坂への切り替わりのタイミングでの、足のトラクションもしっかりしてきた。

そもそもの体力が限界でヨレるのは、今回は目を瞑ろう。

サイレンススズカに耳を塞いでるようにジェスチャーしてから叫ぶ。

 

「休憩だ!クールダウンして戻れ!」

 

 ゴール板を抜けたゴールドシチーが減速するほど大きくヨタヨタしながら歩き、足を止めると汗だくで膝に手を突き下を向いて大きく口を開けて肩で息をしている。

追い込み過ぎたかもしれない、とさすがに焦ってカバンから携帯酸素ボンベと水の入ったペットボトルを出して駆け寄る。

 

「大丈夫か?」

 

「ハァーッ……ハァーッ……ハァーッ…………ハァ……ハァ……アンタ、やっぱり……鬼じゃね?……」

 

 こちらが駆け寄ったのを、ゴールドシチーは片手で制しながら息絶え絶えにぼやく。

ゴールドシチーの限界点はなんとなく見えてきた。

あと3日で、少しは勝負出来るところには持っていけるかもしれない。

勝てるとは、言わないが。

 

「君の言う通り、僕は3人潰してるからな。ぼやく息があるなら問題ないな。酸素吸っておけ」

 

「まったく……キツい、冗談……言うなって……」

 

 酸素ボンベを渡すと、ゴールドシチーはゆっくりと携帯酸素ボンベの口を口許に持っていって、酸素を吸い込んで息を整える。

息が戻ってようやく手足の自由がちゃんと戻ったのか、ゴールドシチーはターフにへたりこむように座ってからそのまま仰向けに寝転ぶ。

 

「ある程度、息が戻ったら次は併走だ。マヤに追われるのと、スズカを追うのと、どっちがいい?」

 

「はぁ……はぁ……どっちも……やる……」

 

「わかった。マヤ、ゴールドシチーを思いっきり追い回せ」

 

「トレーナーちゃん、待って!」

 

 マヤノトップガンに指示を出すと、怯えた顔のマヤノトップガンがこちらの腕を掴んで引っ張る。

サイレンススズカとタイキシャトルが困惑した顔で待っているところまでマヤノトップガンに引っ張られて、ゴールドシチーに聞こえないように、小さな声でマヤノトップガンが訴えてきた。

 

「トレーナーちゃん、いくらなんでもシチーさんが……」

 

 最初にここでゴールドシチーを見た時、明らかに不満げだったハズのマヤノトップガンがここまで言うということは、僕は表面上だけでも期待通りの悪徳トレーナーを取り繕えているらしい。

 

「わかってる……わかってるんだ」

 

「なら、なんで!?トレーナーちゃんらしくないよ!」

 

「ああでもしないと、ゴールドシチーは振り切れない。とことんまで自分を追い込んで、言い訳出来ないほど備えに備えて、その上での結果を見ないと、きっと自分の本心を受け入れられない」

 

 正直に言えば、ここまでの追い込みはハッキリ言えば非効率なほうだし、好き嫌いで言うならこんなトレーニングは大嫌いだ。

それでも、今は必要だと思う。

少なくとも、本人が望んでいる。

半端なことは出来ない。

 

「ゴールドシチー自身がどうしたいのか、踏ん切りを付けさせるためにもとことん追い込むし、とことん走らせる。それが他ならぬ本人の望みでもある。ダメなラインは僕が見極める。併走という形でマヤ達のトレーニングも兼ねるけど、基本的にはゴールドシチーを追い込むトレーニングだ。相手は既にシニア級に入ってるんだ。遠慮は一切するな。地の果てまで追い回すつもりでやってくれ」


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