逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
「あの……金色の鯛、消えちゃいました……」
しばらく椅子に座って、ぼけーっと天井を見たあとに、改めてサイレンススズカは呟いた。
何がなんだかわからない間に、金ぴかのたい焼きが姿を消した。
マーベラスとかボーノとかよくわからないものに包まれた気がする。
マーベラスって?
ボーノって?
何もわからない……
「サイレンススズカ、金色のたい焼きは存在しなかった。いいな?」
「……はい」
「とりあえず危ないからその壊れたテーブルを片付けよう」
「はい」
部屋の真ん中に鎮座するテーブルだったものをトレーナーとサイレンススズカは黙々と片付け始める。
トレーニングを終わらせたらそのまま帰るつもりが、長テーブルの片付けを済ましてからの帰宅になり日が予定より落ちてしまった。
粗大ごみを回収に出す手続きの面倒さは、かなり煩わしいものだとサイレンススズカは初めて知った。
「あの、トレーナーさん。まだそんなに暗くないですし、送ってもらわなくても……」
片付けを終えたあと、暗くなってきたし寮まで送っていくと言うトレーナーの言葉に、サイレンススズカは大丈夫だと断ろうとした。
「目を離した隙にどっかに走り出したりしたら困る」
「そんなことは……」
言われるような心当たりが、かなりある。
ない、と言いたかったが、あっさり反論されてしまうだろう。
そもそもの出会いが出会いなので、致し方ない。
寮に向かって並んで歩くが、会話は全くない。
「すまない。やはり困らせたか」
トレーナーからようやく出た言葉が、これだった。
「いえ、そんなことは……」
もう、寮の入り口が見えている。
何かを話したくても短すぎる距離だ。
話をするなら、部屋を出る前にしそうなこのトレーナーが、話をしたくて一緒に歩いているとは思えない。
なぜ、このその気で走れば分単位を切れる距離を送って行こうと思ったのか、理由がわからない。
「悪い。僕が不安なだけなんだ。こうしないと、僕が落ち着かない」
「……そうですか」
肩を竦めた彼に少しだけ、微笑ましさを感じた。
彼なりの優しさ、なんだろうか。
彼の下どころかトレセン学園から去った三人にも、こうしていたのだろうか。
あるいは、三人が去ったからこうするようになったのだろうか。
気になっても、聞いてはいけない気がする。
「あの、トレーナーさん」
「なんだい」
「その……腕は大丈夫ですか?」
「ん、腕?」
「あの時、思いっきり掴んでしまったので……」
「……あぁ、大丈夫だ。気にするようなことじゃない」
ほら、とトレーナーは腕を上げて手を握ったり開いたりして微笑む。
怪我させてなかったならよかった、とサイレンススズカはホッとしたように胸を撫で下ろす。
「それでは、また……明日」
「うん、また明日」
寮の玄関で、サイレンススズカは頭を下げて、中へと入っていく。
その姿が見えなくなってから、トレーナーは駐輪場へと向かう。
上のほうから「んにゃああああああああっ」と悶えるような珍妙な叫びが聞こえたが、きっと気のせいだろう。
「理事長、お呼びですか」
「待望ッ!よく来てくれた!」
明くる日のこと。
他の生徒がカフェテリアに集まっている昼食時に、1人の生徒が理事長室に入った。
もちろん、ただの生徒が理事長室に呼ばれるハズもない。
生徒会長シンボリルドルフだ。
「用件ッ!サイレンススズカという生徒を知っているな!?」
今回はちゃんと事前に待ち受けていたので、理事長の頭の上にいる猫も落ち着いて寝ている。
そもそもなぜ頭に猫を載せているのかは、シンボリルドルフも知らない。
シンボリルドルフは話題のネタとして理事長の頭の上にいる猫へのトレーナーの考察を尋ねたところ、『きっといつか、ネコと和解するためだろう』と言っていた。
ネコとの和解とはなんだろうか?
新しいなぞかけだろうか、と頭を捻ることになった。
指し示す意味がどうにもわからず、右の耳の掃除が終わって、左に頭を転がして、左の耳を掃除されて、そのあとも意味がわからず、トレーナーの膝枕の上で考え込んでしまった。
耳掃除後のスッキリ感とこの疑問へのモヤモヤでどっち着かずな気分になったのを覚えている。
それはさておき、サイレンススズカの話題である。
「はい、入学当初の模擬レースで他の生徒をコーナーに置き去りにしてゴール板を駆け抜けるほどの俊足を見せましたが、その後は伸び悩んでいる……と記憶していますが」
「うむっ!しかしそれが、先日よりメキメキと実力を発揮している!」
「確か、明日の模擬レースに名前がありましたが……ここ最近、サイレンススズカには何かと問題行動があったと思います」
ここ数日のサイレンススズカの我を忘れたかのような浮浪の状態は、特に目に余るとエアグルーヴが気にしていた。
何日か前に朝から失踪して、翌朝帰ってきたのは特に気を揉んでいた。
表向きには、たづなの手回しで病欠になっているが、シンボリルドルフとエアグルーヴは真相を知っている。
「うむ!それらを解決し、彼女を優駿に導く存在が現れたッ!」
「ほう……それは、誰のことでしょうか」
「確認ッ!フユミ、というトレーナーを覚えているか?」
「はい、今年着任したトレーナーでしたね。確か、担当ウマ娘は三人……いましたが……」
シンボリルドルフは、一度見た顔は忘れない。
この特技は便利だが、反面で去った者のことも忘れられないという弱点もあった。
フユミトレーナーの担当したウマ娘は三人ともこのトレセン学園を去った。
あまり、いい去り際ではなかった。
特に三人目は、シンボリルドルフをしばらく落ち込ませるほどの絶望した顔だった。
翌日、シンボリルドルフが珍しく1日だけ休んで、校内に姿を見せなかったほどだ。
その三人のウマ娘の担当トレーナーだったフユミは、全体でのトレーニングの受け持ちこそしているが、次の担当を選ぶハズもなく、言ってしまえば日々を無為に過ごしているように見えた。
やんちゃ盛りいたずら盛りなマヤノトップガンが懐いているのもあり、マヤノトップガンのトレーナーがそれとなしに庇ってはいるが、他のトレーナーからの評価は低い。
新人で三人も面倒を見ようとした自分の容量を誤認した無能、三人もいたのに一人も芽を出せなかった明らかな指導力不足、コミュニケーション能力の欠如、とどれかしら、または全ての理由でトレーナー不適と評価されている。
そして、来年には他の地方の学園に行くか、トレーナーを辞するだろうと見られていた。
その彼が、サイレンススズカをスターウマ娘に導く?
よりにもよって、サイレンススズカを?
さすがに話が出来過ぎだ。
最後に書き上がるだろう物語も、シンボリルドルフにとっては受け入れがたい物語だ。
「理事長……些か、お伽噺の世界に踏み行っていると思いますが」
それが、シンボリルドルフの率直な反応だった。
※シンボリルドルフの二つ名は湯けむりウマ娘です