逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
「トレーナーちゃん、あれ……」
「……あぁ、これは……まったく……」
隣でジャケットの裾を心配そうに指先でつまんで見上げるマヤノトップガンの頭を上から撫でて、ターフを走るサイレンススズカとゴールドシチーに目線を戻したフユミは苦々しい顔を隠さずに口の中ののど飴をガリ、と噛み砕く。
変わらずサイレンススズカが先行しているが、先程までより更にゴールドシチーを突き放して5バ身ほどの差で向こう正面のロングストレートを抜けていく。
ゴールドシチーは追い縋るが、ジリジリと引き離されていく。
いくらなんでも、サイレンススズカが速すぎる。
「……スズカ、やめろ……やめろ……!」
クラシックを勝ててはいないが、次レースの出走に食い込み続けたゴールドシチーはけして、遅かったわけではない。
皐月賞は差しに行くタイミングでメジロライアンに被られた故の遅れで届かず、ダービーは逃げるアイネスフウジンへ差しに行くも垂れたウマ娘に引っ掛かり差し切れず逃げられ、菊花賞は差しに行ったもののメジロマックイーンに淀の坂で突き放された。
彼女はあとひとつ何かあれば勝てるのではないか?
乙名史はゴールドシチーの惜しい成績を、そう見ている。
しかし、その実態は逃げるサイレンススズカに距離を詰められないでいるのがゴールドシチーだ。
ゴールドシチーは、勝てないのか?
サイレンススズカが3コーナーを抜けた瞬間に頭を下げた。
弥生賞4コーナーでマヤノトップガンを追い回し外へと追いやって、内ラチのラインを貫いたあの走りだ。
加速しているのに内ラチから離れない上に、4コーナーを抜けた最後のストレートでの末脚を溜めている脅威の逃げ足。
あれが出てしまっては、もうサイレンススズカを止められない。
またしてもサイレンススズカが突き放すのかと、後ろのゴールドシチーを見た。
「な、あれは!?」
「……そんな……行ける、のか?……本当に?」
フユミが噛み砕いたおかわりののど飴を口に放り込んで、かり、と噛む。
3コーナーを抜けた4コーナーまで流しっぱなしのやや曲がり気味なストレートを逃げるサイレンススズカに、ゴールドシチーがジリジリと距離を詰め始めている。
明らかに、差しに行くには早いタイミングだ。
ゴールドシチーがここで差しに行っても、角度のキツい4コーナーでロスをすれば内をサイレンススズカに抜かれて不利な立ち上がり勝負になる。
しかし、ここで距離を詰めずに勝てるかという点では間違いなくここから仕掛けるしかないのは確かだ。
ナイスネイチャが弥生賞でサイレンススズカの影を踏みそびれた時、仕掛けたポイントはやはりそこだ。
ここで詰めなければ、そもそもサイレンススズカを差し脚の射程に捉えられないのだ。
しかしそれは、溜めきれない半端な末脚でサイレンススズカを差さなければならないということでもある。
一番近くまで迫ったナイスネイチャがサイレンススズカの影に脚が届き切らなかったのも、トウカイテイオーがマヤノトップガンとの競り合いで沈んだのも、3コーナーからの仕掛けがどれだけ無理があるかという証明でもある。
ましてや3コーナーから4コーナーが短い中山と違って、大おにぎりの阪神の3コーナーから4コーナーの間は向こう正面ストレートと大差無い長さを誇る。
さっきの状態で、ゴールドシチーの脚がマトモに伸びるハズがない。
フォームが崩れたまま無理に加速すれば脚がもつれてそのまま……
「……記者さん、カメラがあるなら4コーナーはシャッターチャンスです。もしかしたら、いい絵になりますよ」
ぞっとするようなイメージをしている隣で、さっきよりはまだ顔の皺が少なく見えるフユミの一言に、乙名史記者は慌ててスマートフォンのカメラアプリを立ち上げる。
フラッシュはデフォルトで切ってあるから問題ない。
構えたあとにズームして、サイレンススズカが内ラチを抜けるハズの4コーナーを捉える。
そこでカメラが動画撮影になっていたのに気付き、構うものかと録画を始める。
「なっ!?」
そこに映るものを見て驚愕し、録画をしているにも拘わらず、乙名史記者は声が出てしまった。
4コーナーの内をサイレンススズカが駆け抜ける、その外に並びかけてゴールドシチーが追走している。
コーナーからの立ち上がりでわずかに加速して、ほんの少しだけゴールドシチーが前に出る。
目を見開いて、絶叫しながら、今までより明らかに速く、身体の全てを振り回すように、ゴールドシチーが走る。
内のサイレンススズカが、無駄のない綺麗なフォームで走る外から、ゴールドシチーが形振り構わずに並んで駆け抜けていく。
登り坂に踏み込んだ瞬間にゴールドシチーが外によれる。
それ以上の加速で、サイレンススズカと並んで走る。
今までのゴールドシチーからは想像も出来ない荒っぽい滅茶苦茶な走り。
ターフを刻むどころか、根から蹴り上げて抉るほどの踏み込み。
隣に鋭く、無駄なく、乱れなく走るサイレンススズカがいるからこそ際立つ。
ゴールドシチーは頭を下げ、更にペースを上げていく。
フォームも、ペースも、ピッチも、全てが滅茶苦茶でそれでいてその全てが前に向かって駆け抜けるという一点だけで束ねられている。
撮ったのが動画だったことは正解だったかもしれない。
4コーナーから目を奪われ、2人がゴール板を抜けるまで乙名史記者はカメラを回し続けた。
駆け抜ける2人の後ろから、フユミの指示でタイキシャトルが追い掛けていく。
フユミがポツリと、安堵したように言葉を漏らした。
「…………思ったより少しだけ、勝ち目が見えた……か」
アオハル杯初見をスズカさんで行ったせいで死にそうになったけど生きてます。