逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー   作:エアジャガーる

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ビートオブライジングサン

「…………ぅ……ぁれ……?」

 

 ゴールドシチーが気が付いてゆっくり起き上がると、見知らないがだいたい察しが付く天井が見える。

どうやら、医務室のベッドで寝かされていたらしい。

膝には掛けられていたのだろうタオルケット。

周りのカーテンは閉められていて、それでもまだ暗くはないから日はまだ落ちていない、ハズ。

 

「ん…………うわわっ!ヤバっ!…………ふぅ……」

 

 足元にあるスリッパを履いて、ベッドから立ち上がろうとしたが、脚がフラフラのプルプルで少しお尻を浮かせただけでバランスを崩してベッドにへたり込む。

ギシィッ、とベッドに音を立てて尻餅を衝いてしまい、思ったより大きな音が出たことに少しムッとしてしまった。

 

 なんで自分はベッドで寝てるんだろう、とこれまでを思い出す。

確か2コーナー明けのストレートでサイレンススズカが露骨にペースを上げて突き放しに来た。

フユミトレーナー以外が明らかに心配そうにこちらを見ていた中で、サイレンススズカが今までよりハイペースな逃げを打ってきた。

この一周で決定的な勝敗を突き付けてきているんじゃないかと思った。

 

 もう、アタシは走れない。

 

 そんなの、認められなかった。

 

「……くっ……ぅ…………ぁああああああああっ!!!」

 

 踏み込んだ。

サイレンススズカを追った。

ペースだとか、フォームだとか、コースだとか、そんなことはもう言ってられない。

ここでサイレンススズカに引き離されたら、アタシはいよいよおしまいだ。

そんなの、許せるわけない!

 

 3コーナーのオーバースピードはわかっている。

それを強引に捻るように曲がり、サイレンススズカの少し外のラインを追う。

ひたすら、前へ!前へ!前へ!

サイレンススズカが更にペースを上げた。

わかっている。

距離を詰めるとサイレンススズカがガチで逃げるのは、ここまでの併走で散々見てきた。

逃げるサイレンススズカに、突き放されるな。

追え、怯むな、追い続けろ、と震え出した太ももを上げ、ターフを掴む感覚の薄い足裏を突き立てるように踏み込み、4コーナーでようやくサイレンススズカに迫る。

内ラチを抜けるサイレンススズカのほうがコーナーでの立ち上がりが速い。

それでも、立ち上がりの瞬間だけはサイレンススズカの横に頭を被せられた。

向こうはほとんど減速しないで4コーナーを抜け、こちらは4コーナーの立ち上がりで加速する。

一瞬だけ、サイレンススズカの肩までは並べた。

下り坂で身体が下に引っ張られて、転びそうになる。

感覚の薄い踏み脚で、それでもしっかりとターフを踏んで、転ばないギリギリのところで突っ走る。

あと50、崩れかけのジェンガのようなバランスを踏ん張りと勢いで保ったまま登り坂を目指す。

 

 苦しい、怖い、危ない、それは隣のサイレンススズカだって同じハズ。

膝から下がちゃんと動いているか、目で見てないからわからない。

太ももはもう震えるどころか痛みで悲鳴を上げている。

息だって喉も辛いし、胸も肺か心臓が破けてしまうのではと思うほど痛い。

それでも、それでも!

登り坂に踏み込んだ瞬間に、頭を思いっきり下げた。

前なんか見ない。

終わりなんか見ない。

全部を叩き出して、脚を止めたところがゴール板より前なら負け。

そして、隣にはゴール板まで一切の妥協なく加速する末脚を持つサイレンススズカがいる。

ゴール板なんかを目標にしていたら、引き離されるに決まっている。

行けるところまで走らなければ、ここからまだ伸びるサイレンススズカには勝てっこない。

 

 ゴールなんかで、止まれない。

 

 ゴールなんかで、終われない!

 

「らぁあああああああああああああああっ!!!」

 

 全力で坂を駆け上がった。

駆け上がって、叫んで、走って。

全身が汗だくで、太ももが上がらなくなって、息も吸えなくなって、膝から下が力が入らなくて、ターフがだんだんと黒くなって、ふらりと横に身体が傾いたような気がする。

そこから先の記憶は、ない。

 

「……うわっ……ヤッバ……」

 

 思い返して、自分がなかなかひどい姿になっているんじゃないかと、周囲を見回して鏡を探してしまう。

 

「何がヤバいんだ?」

 

 鏡はない代わりに、もっと見たくないというか見られたくないものに見られた。

カーテンの隙間から、間違いなく自分の崩れに崩れた姿を、この場で一番見せたくない男が顔を出してきた。

 

「フユミ、トレーナー……」

 

「……歩けるか?」

 

「……ちょい待ち……膝、まだ笑っちゃってるからさ……」

 

「……身体に痛みとかは?」

 

「痛み?……あー……太もも、ちょいヤバいかも……喉もカラッカラ……あと、汗ヤバいからシャワー浴びたい……」

 

 そうか、とフユミが皿に盛ったリンゴとスポーツドリンクを差し出してきたのを受け取る。

誰かがわざわざリンゴを剥いてくれたらしい。

 

「それ食った頃には、足の震えも落ち着くだろう。そうしたら風呂に入って脚をしっかり解すように。タイキシャトル達に着替えは用意させてるから、歩けるようならそのまま風呂に行け」

 

「待ってよ!まだトレーニングの時間は」

 

「今日のトレーニングはこれで終わり、このあとは勉強の時間だ。今日はもう一歩も脚が回らないだろうというところまで走っている。それに、さすがに少しは自習しておかないと、テストで赤点取られたりしたら連れ出してるこっちまで大目玉を食らう」

 

 まだ走るのに専念したかったが、確かに勉強も疎かに出来ない。

文武両道、ということで重賞を連勝していようがテストの成績が悪ければ容赦なく補習が待ち受けているし、授業態度次第ではそもそもレースに出走の許可が下りないこともある。

レースはもちろん大事だが、それを理由に普段の勉学を疎かにするようなウマ娘は中央に相応しくないという訳だ。

だからこそ、フユミのように担当を一週間単位で前入りさせるケースは少ない。

それで成績が微妙なら次から前入りの許可がまず下りなくなるし、テストで赤点なんか取った日には、その日がGⅠだろうが容赦なく出走停止で補習が組み込まれるからだ。

もっとも、そんな赤点ウマ娘が明らかに次のGⅠレースの一番人気候補だったりしたら、さすがに教師陣も頭を抱えるのだが。

 

「……あのさ」

 

「なんだ」

 

 離れようとするフユミを引き留めて、ゴールドシチーは最後に確かめたいことを訊く。

これを訊いておかないと、先に進めない。

 

「最後の併走、勝ったのはどっち?」

 

「自分で確信の持てない結果なら、聞いても無意味だろう」

 

 背中を向けたまま、フユミはアッサリと一言だけで済ます。

そりゃそうか、とゴールドシチーは割り切ることにした。

この男が気の利いたことを言ったところで、自分が信じる訳ではない。

この男が事実を言ったところで、やることも変わらない。

確かに、無意味だ。

 

「……そう、ね」

 

「ただ、最後……どう走ったかはちゃんと覚えておけ。アタマじゃなく、脚で」

 

 去り際のフユミが一言だけ付け足した。

たぶん、賛辞なのだろうと思うが、何しろ口調が変わらない。

さらに言えば、最後の走りは明らかにレースのあれこれを全てを投げ出して、ムチャクチャに走っただけだ。

褒められたようなものではないと思う。

 

「最後、かなりムチャな走りをしたと思うけど?」

 

「お手本のような走りで勝てるなら、君はここにはいないだろう?いいから覚えておけ」




使ってるのタイトルだけでもジャスラックなんたら入れたほうがいいっすかね……?とかたまに思う。

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