逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
「…………勝った、のか?」
「うん、勝ったよ」
「勝ちマシタ!シチーが勝ちマシタヨー!」
タイキシャトルに隣から抱き付かれて揺さぶられて、ようやく決着を理解した。
本当にゴールドシチーが勝ったのか?
その実感が湧かない。
4コーナーで外から被せに行ってビワハヤヒデのラインを押さえ付けていくような捲りも、ぶつかられても負けじと突っ張るような力も、仁川の坂を登り切れる末脚も、ゴールドシチーが持っているものだとは思わなかった。
多少のグリコーゲンローディングはしたが、下準備の期間の短さを考えれば微々たる物だ。
当初のレースプランも完全に放棄して、ビワハヤヒデにガチで競り合った。
状況から考えれば、ゴールドシチーが勝つことなど有り得ない状態だ。
それを、ゴールドシチーは競り勝った。
ビワハヤヒデが競りかけてきたのを、弾き返して抑え込むようなパワーがゴールドシチーにあるとは思っていなかった。
更に最後の登り坂を全てを捻り出して剥き出しの闘争心だけで登り切るような土壇場での粘りを見せるとは思っていなかった。
いや、サイレンススズカとの併走で一度見せたあの死に物狂いの一差しがある。
ゴールドシチーがあの一差しをまた出せる、そう信じてやれなかった。
それを信じた上で、線の太い作戦を組み立ててやれなかった。
少なくとも、彼女の勝利に僕が寄与した部分はない。
僕は、ゴールドシチーの才気を見誤ったのだろうか。
やはり、僕は……
「……トレーナーさん」
サイレンススズカが席から立ち上がり、手を差し出してくる。
どこか寂しそうな、怒っているような、悲しんでそうな、期待してそうな、諦めてそうな、よくわからない目の色だ。
それでも、彼女の口数少ない言葉より彼女が言いたいことはわかる。
こうされるのも、年明けの京都以来のことか。
「……ウィナーズサークル、か」
「独りぼっちには出来ない、でしょう?」
「……君に言われると、何も言えないな」
抱えていたマヤノトップガンが飛び降りるように膝から退いてから、サイレンススズカの手を取り引っ張り起こされるように席を立つ。
このあとのことはともかく、今は勝ったゴールドシチーを労うべきだ。
彼女達を、もう泣かせるわけにはいかない。
そういえば、乙名史記者が見当たらない。
タイキシャトルの隣に座っていたハズなのに。
「阪神でのGⅠをこれで2勝か……フユミトレーナー、来週の桜花賞をサイレンススズカが勝ったら阪神でのリーディングは今期最上位に来るかもしれないな」
「思っても口にはしないでくださいね。フユミトレーナー、絶対に機嫌が悪くなるので」
フユミ達のいる観客席から少し離れた、レースがギリギリ見える一番後ろの辺り。
呼び出された乙名史記者は、呼び出してきた編集長に釘を刺す。
「……勝利はウマ娘のもの、か。戒めも度が過ぎれば、だな」
アフロに刺さるペグシルでグリグリと頭皮を掻く編集長はウィナーズサークルへとゆっくり歩いているゴールドシチーを追い掛けて歩み寄る四人を見る。
ゴールドシチーに駆け寄り抱き着くタイキシャトルに、フユミトレーナーの隣を歩くサイレンススズカと、前を歩くマヤノトップガン。
フユミトレーナーは微かに気落ちしているように見えるが、ターフを一歩ずつ歩く度にその様子が消えていく。
あと数歩も歩けばきっと、いつもの新人らしさのない底知れない謎のトレーナーの姿をするのだろう。
「やれやれ、オイガミにはなんと言うべきかね……私も、あれをゴールドシチーのトゥインクルシリーズでのラストランにするのは、少し惜しくなっちまった」
「ですが、ゴールドシチーのトゥインクルシリーズ続投には、新たなトレーナーが必要です。その流れになった時に真っ先に槍玉が上がるとしたら」
「ま、フユミトレーナーだろうな。オイガミがいくら駿川女史に釘を刺しても、理事会のほうが言い出したら止められんだろう」
興行面を考えれば、ゴールドシチーは間違いなく目立つ存在だ。
そうでなくとも、まだ走れるどころかGⅠを力ずくでもぎ取りに行けるウマ娘を人間側の不手際で引退などさせられるハズもない。
意地でも彼女のトゥインクルシリーズ出走を続投させようとするハズだ。
かといって、そろそろ新たな世代のウマ娘のスカウトが始まっているタイミングでシニアクラスのウマ娘の担当を引き継ぐトレーナーもいないだろう。
なし崩し的に、ゴールドシチーの担当がフユミトレーナーになる可能性はかなり濃厚だ。
「どうにか、ならないものですかね……」
「今のURAは、上に行くほどウマ娘と人間の天秤がウマ娘側に傾く人だらけだからな……どこかのチームが手を上げる可能性もないことはないが……他のトレーナーはこう思うだろうな。結果を出したならそのままフユミトレーナーに引き継がせればいいだろう、と」
「今回の大阪杯が自分の成果だなんて絶対に言いませんよ、フユミトレーナー」
「でも上から押しきられたら?」
「……彼は、ゴールドシチーさんを預かった……たった数日間でも疲労が顔に出ていました。きっと、倒れますよ?」
乙名史記者は眉をひそめる。
ファミレスでのインタビューの時には隠していたが、明らかに疲労が顔に出ていた。
大阪杯本番が近付くにつれ、ゴールドシチーのトレーニング強度を落とし始めてからは少しずつ余裕を残せるようになったようだが、それでもやはり疲れは見えていた。
そもそもタイキシャトル加入後から、少しずつだがフユミトレーナーからどこか捉えどころのない部分みたいなのが減っていったような気がする。
フユミトレーナーは明らかにオーバーワークになりつつある証左だ。
「そうだろうなぁ。だとしても、我々は部外者だ。出来ることはあまり多くない。なるようになるしかない。それを記録して、後からあーだこーだと言うことは出来るがね」
「無責任、ですね」
顔をしかめる乙名史記者の肩を軽く叩いて、編集長は諭すように言う。
記者としての一線と、人としての一線がダブりかけているのだ。
「そりゃあそうさ。他所様の責任を横から盗んで勝手に背負う訳にはいかないからね。番記者たるもの、肩入れするのはほどほどにしなきゃいけないよ」