逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
「ハァ…………ハァ…………ハァーッ!っし!」
「おめでとう、ゴールドシチー」
ウィナーズサークルに向かってゆっくり歩きながら切れた息を整え、小さく拳を握るゴールドシチーに、フユミは話し掛ける。
「ごめん、作戦とか全部すっ飛ばした。もう脚ガッタガタになってるし、さっきまで息もヤバかった」
「最後の坂、絶対に登りきれないと思っていたが……偶然もあったとはいえ、まさか勝ってくるとは正直思ってもなかった」
「おかげでもうボロッボロ。正直、立ってんのけっこうギリなんだよね……」
ゴールドシチーは苦笑で済ましているが、わずかに太ももに痙攣が見える。
タイキシャトルが右肩から担ごうとしたのを、ゴールドシチーが止める。
「ごめん、そっちはちょっと……」
注意深く見ると左腕に対して、右腕をあまり動かしていない。
競り合いでの打撲が響いているのだろう。
軽い青アザくらいは作っているかもしれない。
「やはり痛むか」
「あ、ビワハヤヒデ」
フユミ達の後ろから駆け寄ってきたビワハヤヒデに、少しゴールドシチーが気まずそうにする。
かなり強引な競り合いをしたのは、ゴールドシチーも自覚しているらしい。
「私も意地を張ってかなりラフな競り合いをしたからな。すまなかった」
「い、いや、アタシもムキになってコーナーを攻めたし……」
ペコリと頭を下げるビワハヤヒデにゴールドシチーは狼狽えながら応える。
ビワハヤヒデも飛び込むようにアタマを捩じ込んだせいでゴール直後によろけて内ラチの柵に背中を打ったりしているというのに、仕草からは負傷の痛みを感じさせない。
「あとでメジロライアンにも謝らなければな。私がぶつからなければ彼女の勝ちも有り得たのを、完全に妨害してしまった」
熱くなりすぎたな、と苦笑するビワハヤヒデにふと思う。
フユミはビワハヤヒデの様子に、少し訝しむ。
わざわざビワハヤヒデがここに来た理由がわからない。
ビワハヤヒデがゴールドシチーと面識があるようには見えない。
「まさか、今日の大阪杯でこれほど計算外のレースを走ることになるとは思わなかった。とても楽しかったぞ。また、大舞台で勝負したいが……どうだろうか?」
ビワハヤヒデが差し出した右手に、ゴールドシチーは戸惑う。
ゴールドシチーが担当トレーナーの不在でラストランになることを、知っている者は少なくない。
競うことになる他のウマ娘のリサーチを怠らないビワハヤヒデが知らないということはないだろう。
躊躇ったゴールドシチーは、握手を返しながら苦笑する。
「走れたら、いいんだけどね。もし叶ったら、って返事しか出来ないんだよね」
「トレーナー不在の話なら聞いている。そこにいる彼は話を聞く限りでは今のところ……新たな担当ではないのだろう?」
「そ、だから今日がアタシのラストランなのは変わんないの。今んとこ、ね」
ビワハヤヒデがこちらにチラリと目を向けた瞬間に、フユミは身構える。
次に言い出す言葉はきっとこうだ。
“どうか、彼女を引き受けてほしい”とかそれに類する言葉だろう。
聞きたくない。
聞いてしまったら、きっと首を横に振れない。
トレーナーであることから、逃げられない。
腕に力が籠って、手を握り込む。
言い出さないでくれ。
フユミはそんな消極的で最低なことを考えてしまう。
力の入った腕に、何かが絡み付く。
フユミが腕のほうを見ると、マヤノトップガンが腕にしがみついてビワハヤヒデのほうを見ている。
マヤノトップガンのほうを見たビワハヤヒデが少し微笑んで、ゴールドシチーのほうに向き直る。
ビワハヤヒデからの提案は、少し意外なものだった。
「……ゴールドシチー、私達のチームに来るつもりはないか?」
「アタシ、が?」
「とても、熱いバトルだった。ガラにもなく私の妹みたいなことを言うが、4コーナーでの競り合いは心躍ったよ。そんな君がつまらない都合でターフを去るのが惜しいんだ。それに、私達のところならスキルアップの面でも申し分ないハズだ。どうだろうか?」
ビワハヤヒデのチーム、つまりそれは世代1つを牽引したBNWが今も切磋琢磨するハイレベルな場に乗り込むということだ。
シニア強豪であるチーム“ケンタウリ”に。
「返事はすぐでなくてもいい。私もトレーナーを言いくる……もとい、説得する時間が必要だし、君もいろいろと時間が必要だろう?」
わざとらしい冗談を交えながら、ビワハヤヒデはゴールドシチーに提案する。
予想だにしていなかったビワハヤヒデからの提案に、ゴールドシチーは少し狼狽えてフユミのほうを見る。
素直に乗ればいいような提案に、ゴールドシチーは明らかに気後れしていた。
ゴールドシチーが気後れする気持ちは、フユミにもわからないでもないが、一先ずゴールドシチーの背中のほうを指差す。
「……スタッフが後ろでマイク持って待ってるぞ。今は、ウィナーズサークルでの責務を果たせ」
えっ、と振り返ったゴールドシチーの後ろで話に割り入るタイミングがなく所在無さげに待っていたスタッフがようやくマイクを渡す。
左手にマイクを受け取ったゴールドシチーは一年以上ぶりのウィナーズサークルで、少し戸惑いがちに口を開く。
「あっ、うん……どーも、ゴールドシチーです……ごめん、久々過ぎてちょっと言葉出ない。えーっと……」
言葉が出てこない。
何から話せば、どれを話せば、どうやって話せば、一度にいろんな考えが頭の中を渦巻いて止まらない。
少しだけ悩んだあと、一度深く呼吸してから観客席を見上げて右手にマイクを持ち替えたあとに、ゴールドシチーは中継カメラのひとつに目線を向けてから一拍おいて左拳を突き出し叫ぶ。
「勝ったよ!アタシ!」