逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
「府中に送ってやれなくて、悪かったな」
「気にしないで。押し掛けたのはアタシだからさ。それに、マネジの車だから心配ないって」
日の落ちた阪神レース場の関係者用出入口。
レースのあとのライブも無事に済ませ、シャワーで汗を流させたあとに右肩の青アザを湿布でケアして、晩御飯を食べさせてから、ゴールドシチーは府中に戻る支度をしていた。
左腕でトロフィーや首掛けレイを梱包した段ボール箱を抱えるゴールドシチーの後ろで、玄関前に横付けした軽バンのトランクにゴールドシチーより少し背が低い女性が荷物を積み込んでいる。
「シチー、それも後ろにしまうわよ」
「あ、うん。お願い」
後ろから女性に声をかけられて、ゴールドシチーは段ボール箱を渡す。
あらかじめ「これ、ちょい重いよ?」「大丈夫大丈夫!」とやり取りしたのに、受け取った瞬間に女性が世間体を考えたらちょっと出してはいけない声で驚いたあとに抱えて運んでいく。
「大丈夫?」
「だい、じょうぶっ!ですっ!ふぅ……」
女性のヨタヨタした足取りやフラフラな仕草に対して、音を立てずに段ボール箱をしまったのを見たあと、ゴールドシチーは振り返る。
「あの、さ……生意気言ったりしたけどさ……ありがと」
「別にいい。これからどうするかは、それなりに時間をかけてよく考えろ。あんまり考え過ぎてもタイムリミットがあるからほどほどにな」
「わかってる。それに、どうするかはもう決めてるからさ。あとは、やることやってくる」
今のゴールドシチーはここに来た時とは少しだけ違う。
追い込まれた決意で動いていた彼女は、今は燃え滾る熱意でここを出ていく。
3ヶ月後、彼女は強敵になってここで再びサイレンススズカと戦うことになるのだろう。
そのゴールドシチーの後ろから、腰を擦りながら女性が出てきて頭を下げる。
「シチーのこと、ありがとうございました」
「いや、僕は何も出来てません。むしろ肩にキズを残してしまった。撮影に支障をきたすかもしれない」
「しばらくは肩を出すような服を着せる予定はありませんし、軽い青アザくらいならファンデーションで誤魔化せますから」
「そうそう、それにやったのはアタシだからね。フユミトレーナーのせいじゃないって」
タイキシャトルの時よりもかなり派手な競り合いになっていたし、直後は腕を動かすのを躊躇うくらいには痛んでいただろうに、ゴールドシチーは笑って誤魔化す。
処置はしたが、それでもやはり自責の念はある。
「あー、あと……あのさ。ホントに、ごめん。悪徳トレーナーとか言ってさ」
「いや、それは」
「青アザ1個でそんな顔するようなトレーナーに言うことじゃなかったからさ。ごめん。何があったのかは聞かないけど。たぶん、聞かない以上のことはアタシには出来ないからさ」
ゴールドシチーなりの気遣いなのだろう。
気遣わせるような態度だったのだろうか。
そんなに狼狽えていたのだろうか。
何を言うべきか悩む間に、ゴールドシチーの後ろにいた女性がわざとらしく割って入る。
「ともかく、彼女のことを……ありがとうございました」
「彼女は、自分でチャンスを繋ぎました。彼女が何をどう頑張るのかは、これからですよ」
「そんなこと言っていいわけ?アレ、アンタの名前も入ってるからね」
ゴールドシチーが親指で背後にある軽バンのトランクを指差す。
そこには段ボール箱に梱包したトロフィーがある。
「まったく、僕は嫌だと言ったんだ。それを、スタッフが「決まりですから!なんなら連名にしますから!」ってゴリ押ししただけだ。あとでやすり掛けでもして消しておいてくれ」
「ヤーダ、そのままショーケースに入れて飾ってやるから」
フユミの言葉にゴールドシチーは舌をチロリと出し、冗談めかして言いながら笑う。
フユミにとっては不本意だが、トロフィーの台座のプレートにはゴールドシチーの名前の下、トレーナーの名前を刻む欄にはオイガミトレーナーの名前と一緒にフユミの名前が刻まれている。
「それじゃ、またね」
「どうせすぐに府中のどこかで会うだろう?」
「はは、言えてる」
ゴールドシチーが助手席に乗り込み、女性が頭を下げながら運転席に座る。
エキゾーストというには軽くて低い排気音を吹かしながら、ホワイトパールの軽バンが出ていく。
あの車で阪神から高速乗って府中に向かうのは、なかなか疲れるだろうな。
「……行きましたか」
「ああ、行ったよ」
隣に来たサイレンススズカの問いに答える。
3人にはわざと玄関に出てこないように、念押しして待たせていた。
今生の別れでもなし、大袈裟な見送りをするようなことじゃない。
「トレーナーさん、明日はのんびり休みませんか?」
「スズカから言い出すとは珍しいな」
「私から言い出さないと、トレーナーさんが休みそうにないので」
キッパリとサイレンススズカに言われてしまった。
サイレンススズカが心配するようでは、話にならないのは確かだ。
サイレンススズカに余計なことを考えさせないように、桜花賞での走りに専念出来る状態にしなければならない。
「……わかった、そうしよう。桜花賞まで段々とトレーニングの強度を調整していくからな」
「はい」
「ねぇ、シチー。私はレースの詳しいことはわからないけど、そのビワハヤヒデって子に誘われたチームって、かなり強豪なんでしょ?」
「うん」
「やっていけそう?」
「うん」
「あのトレーナー、いい人だったね」
「うん」
車中でマネージャーが窓枠に肘を衝いて頬杖をするゴールドシチーに話し掛ける。
外の景色を見ているようで、実際にはボンヤリとしているのが丸わかりだ。
「まだ、走る気でいるのよね?」
「うん」
「わかった。なら止めない」
ゲートをくぐった瞬間に電子音が鳴り、シフトチェンジしたギアがガコンと鳴り、エンジンの音が一段階大きくなる。
ボンヤリしていたゴールドシチーが、マネージャーの言葉に気付いて運転席に振り向く。
「今日のゴールの瞬間、ランウェイで私が輝かせていたつもりのシチーよりずっと輝いていたわ。少し、悔しかったくらいよ。あなたが走るのを止めようとしていた自分の目は、節穴だったのね」
「あ、アタシは」
「もちろん、ランウェイのあなたの輝きも捨てがたいわ。でも、ターフで駆けるあなたにも見入ってしまった……シチー、あなたを見習って私もワガママを言うわね。モデルの仕事だけど、とことんハイレベルな仕事に厳選するから、それだけはこなしてちょうだい。その代わり、空いたスケジュール使ってとことん走り込んで鍛えて強くなって、また勝ちなさい。いいわね?」
マネージャーがゴールドシチーに向かって、左手の拳を出す。
ゴールドシチーは少し驚いたあと、ニッと笑って右手の拳をぶつける。
「もち!任せとけ!」
大阪杯、完結ッ!大阪杯、完結ッッッ!!!