逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー   作:エアジャガーる

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ここから2章です。メモ


Classic Stage
一回休み


「240、ヤード……?」

 

 空港から飛行機で東京に向かう途中、エントランスの壁に貼られた桜花賞のポスターを見る。

黒い格好でポーズを決めてなんだか格好つけてるウマ娘さんのポスターと、大きなツインテールで青い華やかな衣装のウマ娘さんが不敵に八重歯をちらつかせながらこちらを指差し笑うポスターの隣にある、もう一枚に目を引かれた。

 

 そっぽを向いた栗毛のウマ娘さんがこちらに綺麗な目だけ向けた写真に「240ヤードの挑戦」と書かれているポスター。

他の2枚のポスターに写るウマ娘さんとは明らかに何かが違う気がする。

 

 それよりも240ヤード、って何メートルだろう?

急に変な単位を出されてもわからない。

 

「240ヤード、んーまぁザックリ220メートルってとこだねぇ。アタシにゃあ縁がなかったけど……キミには、関係のある数字だねぇ」

 

「220メートルが、ですか?」

 

 昔、美術の本で見た夜の海の絵みたいな色のキラキラした髪をしたウマ娘のお姉さんはにこりと微笑む。

ウチの牧場の側を、大きなリュックを背に行き倒れかけていた「マイ」と名乗るこのお姉さんは、たまたま私がトレセン学園に向かう日と同じ日に東京に戻る用事があったらしく、2日ほど泊まり込みで牧場の仕事を手伝ったあとに、私の北海道から東京までの道程に付き合ってくれている。

 

 親切で茶目っ気も感じる明るい人だけど、なんだかたまに怖い時がある。

レースの話をしている時にちらりと見える影とか、中継されているレースを見ている時に感じる怖気。

あまり悪く言いたくないけど、今もなんだか尻尾の筋にピクリとくる感覚がして、どうにも苦手だ。

 

「そう、ソイツはむかぁしむかしぃと幕を開くにはちぃぃっとばかり新しい昔話。時は18世紀、場は日の沈まぬ繁栄の島、これは……とあるウマ娘の姿をした災厄のお話さ」

 

「ひぅっ!」

 

 嘘臭くわざとらしく胡散臭い芝居がかった口調で話しながら、私の左肩を掴んで右肩に顎を乗せてきた。

顔は笑っているが、灰色がかった黄色い瞳が明らかに穏やかではない感情を伴っている。

自分に向けられている訳ではないどころか少し漏れ出ているだけの圧力に背筋が固まり、尻尾の毛が逆立ってしまう。

 

「五つの地を駆け抜けども、三つの海を渡りても、未だに空にだけは届かぬ私達の先に確かに存在した。遥か高く空を翔け、太陽を喰らった災厄だ。聴くかい、スペシャルくん?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「トレーナーさん、何してるんですか?」

 

「何って、桜花賞での必要な情報の整理だけど」

 

 大阪杯の翌朝。

フユミの泊まる部屋に入ったサイレンススズカは、窓の側に置かれたちゃぶ台で起動したままのノートパソコンとその隣に重ねられた資料を見咎める。

ノートパソコンにはいくつかのレースの動画や、何かのグラフが表示されている。

それと、いくつか並ぶ明らかに今さっき飲んだものではないコーヒーの空き缶。

今からみんなでお出かけするからフユミに連絡しよう、という目的はこの瞬間にサイレンススズカの脳裏からあっさりと消え失せた。

明らかに休暇の予定だった今日、なんなら昨日の夜から仕事をしていた様子のフユミに対する苛立ちが、彼女の理性という安全ピンを引き抜いてしまったのだ。

 

「今日は休みましょう、そう言いましたよね?」

 

「うん、今日は休みだ。トレーニングとかは無し。君達の外出許可とかは全部、昨日の内に用意しただろう?」

 

「……わかりました」

 

 サイレンススズカは傍目にも明らかなほど怒っている。

普段からサイレンススズカと接しているフユミには、激怒しているのが丸わかりだ。

無言のサイレンススズカが一歩歩くと、フユミは後ろに一歩退く。

6歩ほどの攻防の末は、フユミが後ろのベッドに躓いたことで決定的になった。

 

「……今日は休みです。いいですね?」

 

「……今日は、休みだよ」

 

 フユミがベッドに仰向けで倒れた瞬間に駆け寄ったサイレンススズカに肩を手で押さえ付けられて、上から覆い被さられているフユミはバツの悪そうな顔で返事をする。

サイレンススズカの長い髪が降りて、フユミの見える世界は、周囲が栗色のカーテンで覆われてしまっている。

あるのは、正面の怒っているサイレンススズカの表情だけ。

片手で片方の肩を掴まれているだけなのに、まるで身動きが取れない。

サイレンススズカの片手が、フユミのシャツの襟をゴソゴソと引っ張り弄る。

サイレンススズカの手が襟から離れた時、その指先にはいつも襟に留めているトレーナーバッジが摘ままれていた。

 

「今日はトレーナーさん、と呼ぶのはやめます。トレーナーさんも休みですから。こう言わないと、わかってくれませんか?」

 

「返し」

 

「返しません。今日は私が預かります」

 

 フユミが何か言うのに被せて、サイレンススズカはキッパリと言い切る。

サイレンススズカは、ゴールドシチーがいる間はゴールドシチーのトレーニングを最優先にせざるを得なかったから、止めるに止められなかったが、この数週間で明らかに疲れの見えるフユミに休んでもらおうと思って言い出したことを、トレーナーとしての仕事のひとつに勝手にねじ曲げられたことに腹が立った。

いつもいつも、こうだ。

自分のことをまるで考えていない。

 

「フユミさん」

 

 敢えて、名前で呼ぶ。

トレーナーバッジのない今のフユミはトレーナーではない。

休みの日はトレーナーの仕事をさせない。

今の彼はウマ娘一人に押し倒されて身動きひとつ取れないただの人だ。

これ以上なにか言ったら力ずくで休ませる。

 

 サイレンススズカは他にも言いたいこと全てを名前を呼ぶ一言で突き付ける。

フユミが何か言おうと視線を動かす度に、肩を押さえ付ける力を少し強める。

観念したフユミがようやく口を開いた。

溜め息を吐いたあとに、フユミは答えた。

 

「…………わかったわかった。今日はあとは寝て過ごす。それでいいか?」

 

「寝て過ごしながら頭の中で働こうとか考えましたね?」

 

「どれだけ厳しいんだ、君は」

 

「今日1日、トレーナーらしいことは何もしないでください。考えないでください」

 

「そんな無茶な」

 

「今日1日、トレーナーらしいことは何もしないでください。考えないでください。いいですね?」

 

 サイレンススズカは同じことを、今度はわずかに語気を強めて言う。

自分の苛立ちが、きちんと伝わるように。

 

「あなたに選べるのは2つです。私達と仲良く並んで部屋でゴロゴロして過ごすか、私達と一緒にお出かけするか……どうしますか?」

 

 要するに部屋の中で3人にずっと見張られて無理矢理休まされるか、一緒に遊びに外へ出かけるか選べということだ。

フユミは少しだけ悩み、改めて答えを出した。

 

「……出かけようか」

 

 サイレンススズカは覆い被さったまま、ゆっくりと上から顔を下ろし、フユミの目の前まで顔を近付ける。

栗色の髪がシーツの上でよれて、フユミの頬に重なる。

 

「では着替えてください。スーツ姿で観光するつもりですか?」


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