逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー   作:エアジャガーる

16 / 212
我想う、故に我無し

「どうしてですか?一昨日辺りからサイレンススズカさんの雰囲気が変わったのは、遠目に見ていてもわかります。一番近くにいる貴方にわからないハズが」

 

「遠目だから、そんな脚色された夢を見ているだけです。実際はそんなものではありません」

 

長くなりそうなので、掛けてください。

トレーナーは壁に掛けられて畳まれているパイプ椅子をふたつ取って、片方をたづなさんに渡す。

長テーブルを挟んで座り、たづなさんとトレーナーは対面する。

 

「僕のやったことは、けして褒められないことです。少なくとも、なんら大層なことではありません。それどころか、迷惑だと断じられることでしょう。今まで学ばせてきたものを全部捨てさせて、思うように好き勝手に走れと無責任に言い放ったのですから。こんな指導……いや、これは最早、指導という分類にすることも冒涜です」

 

「ですが、それでサイレンススズカさんは変わりました。間違いなく、貴方が引き出した才能です」

 

「本当に、そうだと思いますか?」

 

トレーナーはデスクのほうに向かい、置いていたファイルを取ってたづなさんに渡す。

 

「最初の模擬レースからサイレンススズカの走行記録を集められた範囲で並べてあります。注目してほしいのは、最初の模擬レースでのラップタイムと、トレーニング中に取った模擬レースと同じ距離の芝1800のラップタイムです」

 

「……このデータを、いったいいつから?」

 

「最初の模擬レースの記録は別件で取っていました。そんなことより、ここです。ここ。最後のコーナーに入るタイミングのラップタイム。模擬レースと自分の好きなタイミングでスタートして走れるトレーニング中の記録の差はありますが、それを差し引いても明らかに今のサイレンススズカは走りの質が違う」

 

確かに、最初の模擬レースはラップタイムが明らかにガタガタだ。

コーナー前のストレートで無理矢理作ったセーフティリードがなければ、他のウマ娘を引き離すには苦しいだろう。

圧倒的大差で勝ったのも、他のウマ娘が序盤からサイレンススズカに追走しなかっただけだ。

最終コーナーで更に加速するという非常識な脚力をサイレンススズカが持ち合わせているとわかっていれば、もっと速めの追走をしていただろう。

それでも、この時点でのサイレンススズカでも実際に差すのには手を焼いたことだろうか。

ましてや入学して初の模擬レースだった他のウマ娘には、あまりにも衝撃的な走りだったハズだ。

 

「そして、今の走りです。彼女は模擬レースではダレていた最終コーナーにトップスピードで突入するように、段階を踏んだ丁寧な加速をしています。なによりこの走りで芝2400を駆け抜けました。これだけの走りをする下地を作ったのは、間違いなくサイレンススズカのトレーナーです。唯一の弱点である他のウマ娘との競り合いも、彼女の逃げ足を徹底的に伸ばしていけば問題になりません。明日の模擬レースでサイレンススズカに圧勝させた上で、そのファイルをサイレンススズカのトレーナーに渡してプランを再考してもらう。そうすれば、あとはトレセン学園の優秀なトレーナーの熱意ある適切な指導の下、彼女はスターウマ娘まで一直線に駆け上がることは間違いありません。そのためにまとめたのが、このファイルです」

 

「そこまでわかっているのなら、貴方が担当になれば」

 

「少なくとも、僕よりも彼女の才能を大きく伸ばす指導力を持つトレーナーは多々いるハズです。まさか、僕程度の指導力でサイレンススズカを埋もれさせるつもりですか?」

 

たづなさんの指摘を遮るように、きっぱりとトレーナーは言い切る。

そこに、表情や感情はない。

 

「自分で彼女を支えたいとか、トレーナーとしての願望はないのですか?」

 

「サイレンススズカという優駿の未来を、実績のない見習いトレーナーなりに考え付く限りで考えて、今こうして話しています」

 

たづなさんの言葉に、トレーナーは毅然と返す。

 

「このファイルとサイレンススズカの走りを見て、他のトレーナーなら違う結論を出す可能性もあるでしょう。僕の思い違いからの余計な口出しである可能性も、もちろんあるハズ。むしろ、そう疑ってかかるのが自然でしょう。トレーナーとして、僕がサイレンススズカへ思うことは、あの日脱走したサイレンススズカをここに繋ぎ止めて、レースの世界に彼女が戻ると決めてくれた時点で……すでに僕が一介のトレーナーとして出来ることは全て終えたとさえ思っています」

 

長々と急ぎがちに、口から出るがままに、トレーナーはサイレンススズカに思うことを口にする。

たづなさんは、ファイルを開いたままで話を聞く。

 

「あと、僕がサイレンススズカの担当に絶対になることはない理由があります」

 

これを、理事長に。

そう言って、トレーナーがジャケットの内ポケットから封筒を差し出す。

わざわざ理事長宛に向かって唐突に出す封筒など、1つしかない。

いつからこれを用意していたのか、それは考えるまでもない。

たづなさんは、だから問う意味のあることを問う。

 

「どこに行かれる、おつもりですか?」

 

「……どこにでも、行けますよ」




ちょっと、乳中海の平和を取り戻すためにバクシンしてくるので更新が遅くなります。
乳中海に向けて、バクシンバクシーンッ!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。