逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
「ドリフトを絶対の武器にしているわけじゃ……ない?」
「そ。こんなこと、“スカイズプレアデス”がトロフィー担いでマイク片手にこんなことを言ったらどうなるかわかんないけどさ。君達の先輩になり損ねたウマ娘、ブルーマイカとしてなら言えることだよ」
スカイズプレアデスの言葉に、いや、ここではブルーマイカの言葉に、と言うべきだろうか。
ダイワスカーレットは、自分の喉が唾を飲んだ音を聞いた。
先輩になり損ねた?
つまりトレセン学園の生徒になれなかった?
目の前にいる、このウマ娘が?
「ツインテの嬢ちゃんと、ツンツン頭の嬢ちゃん。今からひとっ走り、付き合いなよ。山向こうの最後のコーナー抜けて道なりまっすぐそのまま行くとロータリーがある。そこでぐるっとターンしてここに帰ってきたらゴール。わかりやすいでしょ?」
「あとは走って自分で見ろ。そういうことですね。わかりました」
「いや、わかるなよ。マジで走るつもりかよ!」
「アンタはここで待ってなさい。これは、アタシの」
「バカ言え。オレも行くに決まってんだろ!」
ダイワスカーレットとウオッカが言い合う横で、ハルヤマはサンジョーのほうをチラリと見る。
欠伸を噛み殺しているサンジョーはハルヤマの視線に気付いて、肩を竦める。
サンジョーはウオッカを止めるつもりがないらしい。
ハルヤマとしては、ここまでサンジョーが呑気に構えていることが不思議だ。
ブレーキを踏めるのは、俺だけか?
「チャラい茶髪のトレーナー。君がビビるようなことは起きないさ。そのために桜ヶ丘いろは坂を選び、この靴を履いているんだ。本気で走ってぶっちぎるわけでもないしね」
「私は本気を出すまでもなく相手出来る、と?」
「スカーレット」
少し目付きが鋭くなったダイワスカーレットに、ハルヤマは諌めるように名前を呼ぶ。
ダイワスカーレットは勝敗が絡むとすぐに負けん気が出る。
ダイワスカーレットの逆鱗にギリギリ触らない程度に煽るブルーマイカに、ハルヤマは僅かに苛立ち、そして自身を諌める。
彼女のブレーキである自分が冷静にならなくてどうする。
「ブルーマイカ、つまり……こういうことか?君は、蹄鉄を鳴らさず静かに走るから付いていって自分の目で何かを学べ。そう言いたいわけだな?」
「ま、この靴でも御近所の迷惑にはならないような走りはするさ。ツインテの嬢ちゃんは、私に『速く走りたくて』コンタクトを取りに来た。中央のターフを走るウマ娘なら『レースに勝ちたくて』話し掛けてくるハズ。ましてや中央のタイトルを狙うようなウマ娘なら、なおさらね」
ブルーマイカの目付きが変わった。
今までのどこかふざけたような、気楽さというべきか、煙に巻いたというのだろうか、あやふやさを前に押し出した声色が、変わった。
まるで目の前にいるのは、GⅠウマ娘でも比類なきモンスターかのような錯覚すら覚える。
そんなハズはない。
このウマ娘は中央のターフには来なかった。
少なくとも、スカイズプレアデスというウマ娘も、ブルーマイカというウマ娘も、中央にいたことはない。
ない、ハズだ。
「レースに勝ちたいだけなら、ぶっちゃけて言えば速さはいらない。4コーナーまで本命の動きをマークしつつそこそこに流して、残り3ハロンだけガッツリ踏み込んでゴール板に鼻ツラ捩じ込んでしまえばそれで勝ち。タイムなんぞはオマケ、自己満足だ。ターフにいない私から聞くことなんて、何もないハズなんだ」
ブルーマイカの言葉は暴論だ。
4コーナーまでそこそこに流して?
そこそこに流して遅れないために、アベレージを上げていく必要がある。
残り3ハロンを上がるための末脚を溜める余裕を作る余力の幅と全力走行での最高速度をどこまで大きく取れるか、そこに速さが関わらない訳がない。
ただ、そんな基礎はとっくに固めた上で拮抗した状況だと言うならブルーマイカの言葉に一切の理がないとは言えない。
上がり3ハロンという言葉があることと、ずっとすっ飛ばしたまま走り続けるなんてことが物理的に出来ない現実は否定出来ないからだ。
ただ一人の、例外を除いて。
「速く走りたい……中央にいるようなウマ娘がそう思う理由は、ひとつしかないんだ……っと、まぁいいや。講釈が長くなる前に一回走ろうか。私、口より脚のほうがお喋りだからね」
さっきまで散々好き放題に話していたブルーマイカが、ふざけたことを言う。
彼女の脚は果たしてどれだけペラペラと喋るのか、わかったものではない。
「スカーレット」
「大丈夫よ」
スタートライン代わりの停止線に、ブルーマイカとダイワスカーレットが、そしてウオッカが並ぶ。
ブルーマイカに付いていたスーツ姿の初老の男性がその少し前に立つ。
右手を挙げて、五指を伸ばす。
「カウントは、5で行くぞ。1、2、3」
三人が並び、構える。
ジリ、と砂利を噛んだ鋪装が鳴る。
踏み締めたのは、誰だ。
親指から指折りひとつずつ、カウントが進む。
「4、GO!」
小指を曲げながら、右手を振り下ろすと同時に三人が飛び出していく。
ハルヤマとサンジョーは、それを見送ることしか出来ない。
ハルヤマは口の中でしか言うつもりのなかった言葉が、無自覚にぽつりと外に出る。
「……無事に戻れよ」