逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
定期的に金曜21時から流れてきてオタクを鬱にすることでお馴染みな耳を澄ましちゃう感じのアニメ映画の聖地。
府中の御近所にある多摩の四激坂のひとつとして君臨している。
つづら折りの坂を聖蹟桜ヶ丘駅側からスタート。
行きはアホみたいにキツ過ぎて自転車だと登ってられないようなヘアピンだらけのヒルクライム、下りはそれがまるごと反転したダウンヒルとなる。
この部分が半分、そこから道なりまっすぐ500m進んだ先のロータリー交差点での往復まで長い長いダウンヒル。
コーナーもなく、往復地点もロータリーとなっているためブレーキング勝負にもなりにくい。
ロータリーを回ると長い長いダウンヒルがまるごと引っくり返りヒルクライムのストレートでの力比べ。
そしてストレートを登りきってコーナーをひとつ曲がった先、ヒルクライムとダウンヒルを繰り返しヘロヘロになった脚を襲うのは急勾配のヘアピンコーナーが待ち受けるダウンヒルだ。
急勾配故に実際の距離感覚は数字のそれを遥かに上回るものとなっている。
パンパンやかましいランエボはいないよ。そっちは栃木の日光いろは坂。
思ったほど速くない?
スタートで飛び出して登り坂1つ目のコーナーを曲がりながら、ダイワスカーレットは後ろに1バ身離したスカイズプレアデスを見ながらそんな感想を抱いた。
ウオッカは更にその後ろ1バ身、もともと後方から最後の差し勝負を得意とするウマ娘だ。
序盤は後方から走ることはわかっていた。
問題はスカイズプレアデスがダイワスカーレットの後ろに付いたこと。
急勾配の登り坂は普段はターフを走るダイワスカーレットよりロードを走るスカイズプレアデスのほうが遥かに慣れているハズだ。
それが、ダイワスカーレットの後ろにいる。
立ち上がりからの加速、坂を登るパワー、つまり単純な脚力の話なら勝っている?
ダイワスカーレットは一個目の左回りヘアピンカーブでさっそく踏み込み、外に振られる身体を内に持っていくために右足の踏み込みを突っ張りクリアしようとする。
その内を、前傾姿勢で流しているように見えるスカイズプレアデスがまるでジェットコースターのように抜けていく。
飛ばしてない、踏み込んでいない、まるで少し急いで歩いているだけのようなストライド。
坂道を登るにもコーナーの内を突くにもあまりに不利なフォームで、平坦なストレートでのトップスピード勝負ならいざ知らず、ヘアピンコーナーで加速しながら、ほんの二人分もあるかどうかの内ラチの隙間を縫いながら、口許を僅かに上げて小さく嗤いながら。
「ふっ、ざけんじゃっ……ないわよ!」
すぐ先にまたヘアピンコーナーが見えているつづら折りのひとつめで内から抜きに来る。
つまり次のコーナーでは内と外が引っくり返っている。
普通に考えれば、このまま並んで立ち上がって次のヘアピンコーナーまで引っ張ればダイワスカーレットが抜き返せる。
こんな挑発があるか。
スカイズプレアデスがここで抜きに来たのは、次のヘアピンコーナーまでのほんの僅かなストレートで完全にアタマを取るという意思表示だ。
コーナーもストレートも遅いと遠回しに言われたようなものだ。
ダイワスカーレットは内から突いてくるスカイズプレアデスに並んで、短いストレートを駆け上がる。
勾配はかなりキツいが、だからこそ全力で走っても次のコーナーに侵入するスピードにピタリと噛み合うハズだ。
ダイワスカーレットはストレート中間から右側に寄り、ヘアピンコーナーで右側のインデッドに飛び込んでいく。
対するスカイズプレアデスはセンターラインに近いところを掠めてショートカットしながら左側を維持していく。
そして、後ろを追うウオッカはダイワスカーレットとスカイズプレアデスの走りを後方から見る位置のまま追い掛ける。
後ろからだからこそわかる、スカイズプレアデスの異常さをまざまざと見せ付けられながら。
「音がしないな」
「音?」
ダイワスカーレットを先頭に登り始めた山を見上げながら、ハルヤマが言ったことをサンジョーは聞き返す。
「ああ、聞こえてこないんだ。ブルーマイカが蹄鉄でアスファルトを叩いているハズの足音がな。ストライドでゆっくり走り出していったからスタートから坂に入るまでの間だけのことかとも思ったが、坂を登って最初のコーナーを曲がった瞬間にもブルーマイカの靴が鳴ることがなかった。そして、今もだ」
「確かに妙だ。この見上げるような坂道をストライドで突入している時点でも割とそうだが、コーナーを曲がる時にも、坂を上がる時にも爪先の蹄鉄が鳴らない、なんてことは有り得ないハズだ」
どうやら、スカイズプレアデスは本当に蹄鉄を鳴らさずに静かに走っているらしい。
どうやって走っているのかはわからないが、少なくとも全開走行には程遠い手加減をしているのは確かだ。
スタートこそダイワスカーレットに出遅れたが、何かを教えるつもりなら早い段階で抜きにかかって前を走るハズだ。
しかし、それをするにはハンデが大きすぎる。
「蹄鉄を鳴らさない、爪先を着かない……いや、爪先で蹴らない……このハンデはかなり重いぞ」
「ハンデにならない、なんならそれが当たり前の走りをしているとしたらどうだ?」
その場で足を動かして足踏みしながら考え込むハルヤマが何かに気付いたのか、顔の前の拳を震えさせながら握り込んで、怒りとも呆れとも取れない表情で三人が登る山を見る。
ひきつらせた口端から、噛み締める歯が見える。
「そんなわけあるかよ。一歩一歩静かになるように抜き足差し足忍び足、なんてやって走れるわけがねぇ。レースを走るようなスピードレンジで音も出さない足裏の着地コントロールなんて普通のウマ娘には出来っこねぇよ……!」