逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー   作:エアジャガーる

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火花散らすダウンヒルアタック

「うわっ!……ひっ…………くっ!」

 

 後ろからリズムがバラバラになりがちな足音と共に、怯えた声がたまに聞こえてくる。

下り坂に入って1つ目のヘアピンコーナーの時点でさっそく脚が垂れてふらついているらしい。

センスがないならここでコケるなり壁に刺さるなりするところを、紙一重でなんとか立て直して、その上で走り続けている。

ツインテのほう、脚はもうダレッダレになってるだろうにまだ諦めていないらしい。

 

 いいことだ。

 

 スカイズプレアデスは口の端を少しだけ上げて、2つ目の左へのヘアピンコーナーに入る直前に、少しだけ身体を浮かせて向きを変えて、右足のつま先を僅かに上に向けて指の後ろ、拇趾から接地していく。

蹄鉄の両端からピタリと着いた瞬間に路面を削りながら滑り、金切り音が鳴り、つま先の下から火花が散り、足裏が跳ねて身体が浮きそうになるのを広げた足の指で押さえ付けて、足首を捻り込み、左足のつま先の踏み込みで向きを微調整しながらヘアピンの半ばまで一気に滑ったところでちょうど出口に向き直り、重心を落として右の足裏が路面を掴みきった一瞬で踏み出して駆け出す。

硬質ゴムではなく蹄鉄でやっただけあって、いつもより足裏への振動も多ければグリップもかなり悪かったが、それでもドリフトは出来る範囲だ。

騒音と焦げ臭さと路面へのダメージが無視出来ないから乱用は出来ないのだが、後ろの2人への問い掛けにあと一度くらいは出来るだろう。

 

 この次の右ヘアピンコーナーまでが問題用紙で、最後のロングコーナーは回答用紙だ。

この状態から追随するための答えを、数多撒き散らしたヒントから見つけ出せれば、コーナーを抜けたゴール前で追い付いて並んでくるハズだ。

もっとも、その答えをこの坂道ではなくターフで使えるようにするのに、もう一手間を問われることになるが、それは自分で見つけるべきことだ。

 

 最後の右ヘアピンコーナーは身体をおもいっきり傾けてインベタを抜けていく。

時間にして3分もないこの問い掛けを、後ろの二人がどのように答えるのか、少しだけ楽しみにしながらスカイズプレアデスは最後の下り坂へと向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「コイツ……くっ……ぅっ!」

 

 スカイズプレアデスがいきなりヘアピンコーナーで足下から火花を散らしながら甲高い金属音を鳴らして滑って行った。

その音に一瞬だけ身が強張るが、下り坂の勢いに突き飛ばされるように走っているせいというべきか、おかげというべきか、ヘアピンコーナーでほんの僅かに距離を詰めたが、コーナー出口の立ち上がりでまた突き放された。

何をどうやったのか、コーナーを曲がりながら滑って行ったのは、実際に見ても意味がわからない。

 

 次のヘアピンコーナーをドリフトせずに身体を傾けて流すように走るスカイズプレアデスに、見覚えがある。

ストライドでコーナーを流しながらキッチリ加速してインにピタリと張り付くように抜けていく走り方。

なんでここで、その姿がちらつく。

やってることがまるで、弥生賞でのサイレンススズカじゃないか。

ダイワスカーレットはスカイズプレアデスを追走するも、どうしても影にも届かない。

向こうは息を入れながら流しているハズなのに、タイトなヘアピンコーナーをくるっと回って、ストレートで全力で追うこちらを突き放しにかかる。

 

 脚が垂れてきた?

息が上がってきた?

そんなのはとっくに感じている。

スカイズプレアデスを追い立てているハズなのに、自分ばかりが苦しくて、情けない。

向こうは平然と、相変わらず蹄鉄の音をあまり鳴らさずに走っているのに。

踵から踏み込んで、爪先から流す。

どうしてそれが出来ない。

 

「最後のコーナー、やれることやってみな」

 

 最後のヘアピンコーナーを抜けたところで、前から声が聞こえた気がした。

同時に、スカイズプレアデスがおもいっきり前のめりに加速する。

下り坂にあんな速度で、突っ込めない。

 

 いや、違う!

 

 突っ込め!

 

 足裏全面を使って踏み出し、最後のコーナーに飛び込む。

爪先が地面に着くというより、引っ掛かるというほうが近い状態。

走るというより、飛んでいる、あるいは転げ落ちている。

麓に向かって、ゴールに向かって!

外側をウオッカが追ってきている。

そんなことよりも前!

スカイズプレアデス!

 

 スカイズプレアデスは最後のヘアピンコーナーを抜けてからの下り坂の半ば、そこでまた一瞬だけ浮いたように見えた。

さっき見た、ドリフトをかますための一瞬だけの予備動作。

甲高い金属音が鳴ることは、もうわかっている。

だからこそ、怯まずに突っ込む。

スカイズプレアデスが足の裏から眩しいくらい火花を散らしながら滑っていく。

そこに向かって、思いっきり前のめりに!

 

「ぁああアアアアッ!!!」

 

 火花を散らしながらドリフトするスカイズプレアデスより内側のラインで最後の下り坂コーナーを抜け、降り切った最後のストレート。

歩道で待ってるトレーナーが見える。

ストレートで立ち上がるスカイズプレアデスの隣に、差し込むように並ぶ。

トレーナーの真横、ゴールの瞬間に見るのはスカイズプレアデスじゃない。

 

 アタシだ!

 

 

 

 

 

 

 

 

「最後、ヤケクソだった?それともなんかわかってやった?」

 

 走り終えたあと、ボロボロになった靴を履き替えたスカイズプレアデスは、自販機の前でダイワスカーレットとウオッカの二人と並んで改めて訊く。

蹄鉄付きのシューズは蹄鉄がひび割れ擦り切れ、その周りも焼け焦げ、踵部分も削れて、もう使い物にならない姿になっていた。

今、スカイズプレアデスが履いている靴は、車を運転するために残していた靴であって、スカイズプレアデスが自分で走るのには耐えられない。

 

「なんだかもう、無我夢中で……思いっきり前のめりになって追い掛けて、ようやくなんとか……」

 

「んー……まぁ、ヒントくらいはなったかもね」

 

「えっ?」

 

 プルタブを開けた缶コーヒーを一気に流し込むように、スカイズプレアデスは飲み込む。

ダイワスカーレットにとっては、最後はほぼスカイズプレアデスに追い付くために無我夢中の追走をしただけで、何かを得た実感はあまりない。

 

「平らな道こそ転がり落ち、脚ではなく身体で走る……最後のヘアピンコーナーから先、脚力がほとんど残ってないだろう状態だったからこそ、自分が何を使ってどう走ったのかイメージしやすいハズ。そいつをしっかりモノにしなさい」

 

「ひうっ!?」

 

 ゴミ箱に空き缶を投げ入れたスカイズプレアデスは、ダイワスカーレットに歩み寄り、背中に手を回して抱き寄せてからお腹に片手を這わせる。

ビクリと震えて怯えるダイワスカーレットに、スカイズプレアデスはクスリと笑って囁く。

 

「アタマでは漠然としてるだろうけど……ここが覚えてるからその内、ふとした時に気付けるわ。たぶん」

 

「ぉっ……こ、こ……へそ?」

 

 体操服越しとはいえ、スカイズプレアデスに急に親指をヘソに押し込まれて、小さく悲鳴を挙げながら後ろに飛び退きお腹を手で押さえながら、ダイワスカーレットは怪訝そうに見る。

 

「ま、そんなとこ。そっから先はあっちのトレーナー二人に教わりなよ。私が意味もなくドリフトして靴1個削り焦がしたのも含めて、なにがどうなのか、ちゃんと一から言語化して教えてくれるハズよ」

 

 少し離れたところで待っているハルヤマとサンジョーのほうを指差して、スカイズプレアデスは胡散臭く笑う。

ウオッカはなんだかどうにも、スカイズプレアデスの笑い方をどこかで見たような気がしてならない。

それと同時に、引っ掛かっていたこともある。

 

「やっぱり最後のあのドリフト、意味なかったんすね」

 

「自分で気付いてたか。ツンツン頭、カンがいいねぇ。アレはせっかくだから最後くらいファンサービスしとこう、って思ってね。私が言いたかったこととかは全部、最後のヘアピンコーナーからゴールまでに詰まってる。ま、ターフで役立つようなことじゃないと思うけど」

 

 スカイズプレアデスは一区切り付いたと言わんばかりに腕を頭上で組んで背を伸ばしながら路地の陰で待っている初老の男性のほうに歩き出す。

その後ろには、なんだか少し丸っこさのある古い赤ワインみたいな色のセダンが、低いエンジン音で唸りながら待っている。

 

「あ、あの!ありがとうございました!」

 

 ダイワスカーレットの言葉に後ろ手に手を振り返して、スカイズプレアデスはセダンの運転席に乗り込む。

スカイズプレアデスの乗るセダンが路地を出て曲がり、いろは坂通りの坂を登り始めて姿が見えなくなった辺りでスキール音が鳴る。

 

「はぁ……やっと行ったか」

 

 ハルヤマがどっと疲れたようにぼやくと、ダイワスカーレットがムッとした顔で振り向く。

 

「ちょっとアンタ、なんの挨拶もしないで」

 

「いや、関わったらダメな女の気配が凄くてな……まぁ、多少は得るものもあったか」

 

「下で待ってただけなのに、あの人が何をしていたかわかるの?」

 

「ある程度は、だけどな。ウオッカ、後ろからずっと見てたんだろ?悪いけど帰ってからでいいから、詳しく聞かせてくれ。答え合わせをしてから、じゃないとな」

 

「ちょっと、なんでアタシじゃなくてウオッカに聞くのよ」

 

「大方、途中で突き放されるまでムキになって競り合ってたんだろうお前より、後ろからずっと見て差すタイミングを計ってたんだろうウオッカのほうがよく見てるだろ?」

 

「ちょっと!?何よ、その言い方!」

 

「ははっ、言われたな。スカーレット」

 

 あっけらかんと答えるハルヤマに、少し拗ね気味にダイワスカーレットが怒る。

その様子に、少し得意気にウオッカが鼻の下を指で擦りながら笑う。

 

「もぅっ!何よ!」

 

「まぁまぁ、世の中には向き不向きってものがあるということだ」

 

 ムスッとしたダイワスカーレットに、サンジョーがいちおうのフォローはするが、大方の予想通りにツンとそっぽを向く。

拗ねたダイワスカーレットは、すぐには機嫌が直らない。

ハルヤマはそんなダイワスカーレットの頭をポンポンと撫でて宥める。

 

「ま、もしかしたらフユミがスズカに仕込んだあの意味のわからない走りに真っ向からやり合える数少ない手札になるかもしれない、そのくらいの感覚で行こう。さ、帰るぞ」




なんで長距離因子5は反応しないで中距離2に反応して中距離Sになるんですかね……

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