逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
「おおっ、出たぞ!ダイワスカーレット!」
パドックを囲う観客は、奥から出てきたダイワスカーレットの姿に手を振り声援を送る。
ウオッカがさっきまで黄色い声援を浴びていたが、ファン層が被っているのかどっちも応援している層がいるのか、声援の大きさはほとんど変わらない。
「チューリップ賞から上がり調子は変わらずか!どうやら今日も絶好調だ!」
パドックに姿を現したダイワスカーレットはしっかりと仁王立ちして、左手を腰に当て、人差し指を立てた右手を観客に向けて突き出す。
その顔にポスターと同じように、自信に溢れた不敵な笑みを浮かべて。
『チューリップ賞勝利で出走枠をもぎ取ったダイワスカーレット、上がり調子のままここまで来ました。本日の三番人気です』
『二番人気のウオッカとは、ほとんど差がありません。実際には二番人気が2人というほうが正確でしょう。どちらかのファンというよりこの2人を見に来たファンも多いようです』
「さっきのウオッカもキマってたけど、スカーレットも見逃せねぇぜこれ!」
「チューリップ賞でもかなり余裕持った走りをしてたし、春で一気に化けるかもしれねぇ!今年はティアラ路線も熱いな!」
「ティアラ路線も一気に火が着いてきたなぁ。メンツも強くなってきたし、もうクラシックの裏番なんて言えねぇよ」
ティアラ路線はクラシック路線とは趣がだいぶ変わる。
アスリートとしての一面がどうしても濃いクラシック路線だけでは裾野が広がらない、アイドルとしての華やかさを前面に出した新たな路線を作ることでより多くのウマ娘の輝く場を増やしたい。
URA先代理事長はそのためにもうひとつのダービーとしてオークスを、それに併せて前後にクラシック路線とは違う素養を問われるレースを増やすことで作った新たな三冠レース。
いろいろあって今は桜花賞、オークス、秋華賞の3レースをまとめたそれをトリプルティアラとした。
今までは新興路線、クラシックの裏番に過ぎなかったティアラ路線が、この年に関しては注目度が明らかに例年を遥かに上回っている。
その理由は、3つほど。
「おせーぞ、スカーレット」
「ふふん、主役は後から来るのよ!」
まずはウオッカとダイワスカーレットの2人だ。
トリプルティアラを狙うとハッキリと言い切ったダイワスカーレットに対して、ライバルとして立ちはだかるウオッカの構図はURAが流れを作るまでもなく注目を集めた。
何しろ事あるごとに場所を問わず2人が張り合っている様子は、最近ではすっかり日常と化しているくらいだ。
この2人の対決をフィーチャーするメディアも出てきたことで、連鎖的にティアラ路線への注目度も上がってきた。
そして、2つ目の理由。
「……いかんな。見ているのが我慢ならなくなる……」
エアグルーヴは鋭い視線でパドックを見ている。
その姿に気付いた他の観客が明らかにざわつく。
今日、この場にエアグルーヴが顔を出すとは誰も思っていなかったのだ。
「おいアレ……本物のエアグルーヴか?」
「本命のオークスに向けて新しいトレーナーと調整中ってタフ速に出てたけど……じゃ、隣にいるメガネの女がエアグルーヴのトレーナーか?」
「隣にテイオーまでいる!間違いねぇ、あのずっとなんか暗黒呪文唱えてるあのメガネがトレーナーだ!」
スーツ姿にデニムのジャケットと明らかに来る途中で買ったとしか思えない黄色と黒の帽子を被ってパドックを食い入るように見ながら、ブツクサと独り言を早口で言い続けているのがエアグルーヴとトウカイテイオーの間にいるのだ。
背丈と猫背気味なのもあって三姉妹が並んでいるようにすら見える。
ティアラ路線の盛り上がりの理由のひとつは、エアグルーヴだ。
彼女の母親はかつて、オークスを制覇し更にクラシック路線を通ってきた強豪と目された他のウマ娘とのぶつかり合いでも一切退かなかった女傑。
その娘がオークスのみならず、トリプルティアラを制覇すると公言して中央に来たのだ。
チューリップ賞の結果から桜花賞を断念し、オークスに専念すると発表してからは表に姿を現していなかったが、ここで姿を見せた理由は、オークスに向けた敵情視察だろうか。
周囲の観客が距離を取る中、エアグルーヴは溜め息を吐く。
走りたい。
走りたくて、たまらない。
足首を回して誤魔化しているが、太ももから下が明らかに疼く。
今なら明らかにいつもより高いテンションとポテンシャルを発揮出来ると、脚が訴えてくる。
サイレンススズカが走りたくてたまらない、と訴えてくる時の気持ちは、これなのだろうか?
まさかサイレンススズカは、あの物静かで澄ました表情で、ボンヤリしている時もその場でぐるぐる左に回っている時も、この疼きを隠し持っているのだろうか?
「来た!来たぞ!」
パドックの奥に気付いた観客の1人が指差す。
エアグルーヴが足元からパドックに意識を戻すと、小さな蹄鉄の音が、明らかに耳に響く。
背筋に、痺れるような感覚がする。
「……おい、スカーレット。主役は後から来る、だっけ?」
ウオッカの軽口に、ダイワスカーレットはいつものような反応を示さない。
パドックのカーテン、その奥を見つめて動かない。
カツン、カツン。
3つ目の理由が、来る。
静かに、ゆっくり、一歩ずつ。
まるで時計の秒針のように。
目を閉じて歩いていた彼女が、パドックに姿を現す。
勝負服の上から肩に羽織っている緑色のケープを左手で脱ぎながら、静かに顔を上げて目を開いていく。
音もない風が花弁を舞わせて、彼女の側を吹き抜けていく。
青い瞳がパドックからの景色の端から端までを見ると、彼女の口許が微笑む。
どよめきはパドックの内からも、外からも。
出走しないエアグルーヴですら、硬い唾を飲んだ。
「サイレンス……スズカッ!」
パドックに姿を現したサイレンススズカを周りの観客が注視する中、ダイワスカーレットはウオッカが制止しようとしたのを意に介さず、サイレンススズカに向かって歩く。
今日の桜花賞は、ダイワスカーレットにとって重要な意味を持つものだから。
「スズカ先輩」
「スカーレット」
ダイワスカーレットとサイレンススズカは、改めて向かい合う。
サイレンススズカは意を決した表情のダイワスカーレットに、そっと微笑む。
「こうして実際にレースで走るのは、初めてね。スカーレット」
「はい。今日は、お願いします」
頭を下げたダイワスカーレットに、サイレンススズカはキョトンとする。
それを見たウオッカも、後ろで唖然としている。
「スカーレット、あなた……トリプルティアラ、目指しているのよね?」
「もちろん、そのつもりです。桜花賞を勝つ程度で満足するつもりはありません」
「だったら尚更……あなたは今日、私に勝つって言うのだと思ったけど」
サイレンススズカの言葉に、ダイワスカーレットは拳を握り俯く。
僅かな肩の震えが、彼女の苦渋と我慢をありありと伝える。
強気と負けん気が信条のダイワスカーレットにとって、いい勝負をしようという挨拶が本心であろうハズがない。
サイレンススズカもそのくらいはわかる程度には、付き合いがある。
「アタシだって、本当ならそう言いたい。本当なら、勝ちたい。勝たなきゃ、いけない。でも、そう思うほど……脚が重くなることもわかってる。だから……今日これから今は……」
ダイワスカーレットはキッと目を細めて、顔を上げる。
ターフだけを見ている青い瞳に、紅い瞳が刻み込まれるように。
「全力で走る。それ以外は……忘れます!」
久しぶりにミラボ戦やったら炭にされました