逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー   作:エアジャガーる

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風のロマンは仁川の舞台を吹く

「やっぱり縺れたか……」

 

「トレーナーちゃん、このままじゃ」

 

「あとはスズカ次第……違うな、あの2人次第だ」

 

 膝の上のマヤノトップガンを抱き締めながら、フユミは下り坂に並んで突っ込む2人を観る。

外からの強襲でサイレンススズカの前に強引に出ることは想定外だったが、それをサイレンススズカが外にラインをずらして躱す形で三歩だけ足を抜いたことで、思わぬ形で“おまじない”が効果を発揮した。

勝負は下り坂の突っ込み勝負、そこで目の前に迫る登り坂に向かってどこまで踏み込んでいけるかが勝負の鍵だ。

 

 サイレンススズカに伝えた言葉の真意は、ダイワスカーレットに一瞬だけアタマを出させて、先頭1人で下り坂に突っ込むことの恐怖を気付かせるための罠だった。

何も基準や道連れが見えない1人でのダウンヒルの突っ込みは、暗闇の舗装路ではもちろんのこと、明るい時間のターフでもそれなりの恐怖を伴う。

ましてや、下り坂のすぐ先に登り坂が待ち受けているのだ。

視覚的には緑の壁に向かって突進するような感覚に陥るだろう。

サイレンススズカと同じペースで突っ込むとなれば尚更だ。

そして、理論的にもそのあとの登り坂に脚を残すことを考えてしまう。

下り坂でハイペースになりすぎて登り坂で沈んで差されるのは、先行バとしてのプライドが許せない。

右脳も左脳も、この下り坂にガタガタに揺さぶられグラグラに煮え立つことになる。

ただ、これを乗り越えられるウマ娘であったなら。

 

「あのダウンヒルへのアタック、観てるコッチもゾクゾクデスネ……」

 

 手にしていたローストチキンの最後の肉にかぶり付きながら、タイキシャトルは少し肩を竦める。

仁川の舞台、最後の登り坂はここを冷静にかつ勇気をもって飛び込んだ者に微笑む。

だからこそ、サイレンススズカにとことん走り込ませた。

内回り4コーナーよりも鈍角になり、ハイペースで下り坂に打ち出されることになる外回りの4コーナー出口。

サイレンススズカにとっては下り坂で今更、恐怖心などないだろう。

むしろ、前にダイワスカーレットがいることに苛立ち、ぶち抜きにかかるハズだ。

追われるダイワスカーレットは前には登り坂、後ろからはサイレンススズカが迫る状況で、真価を問われる。

阪神JFでの敗北をなぞるのか、恐怖心を捩じ伏せるのか。

 

 フユミが勝敗の結果をサイレンススズカ次第ではなく2人次第とマヤノトップガンとタイキシャトルに言ったのは、ここを勝敗の要にしていたからだ。

4コーナーで前を塞ぎに来ることは想定済だったからこそ、勝負のポイントを敢えて4コーナーを出てからの下り坂にまで引き伸ばした。

それでも、勝率は半分もあれば上々、という程度にしか出来なかった。

何しろ、更にこの後ろからウオッカが全力で差しに来るのだから。

 

「……あとは覚悟が全て、か」

 

 

 

 

 

 

 

「っ!ぅう……っ!」

 

 ダイワスカーレットに並んだままで逃げるどころか、前に出るのも覚束ない。

ダイワスカーレットが外から捩じ込んできた瞬間、サイレンススズカは思わず足を弛めてしまった。

その拍子に外に膨らんで、慌てて競りかけたサイレンススズカはダイワスカーレットに外から逆襲する形になったが下り坂でダイワスカーレットが一歩も引かないことに、どうしたらいいかわからなくなる。

 

 4コーナーから差してくる、紙一重の勝負になるって、トレーナーさんが言ってたのはこういうことだったんだ。

このまま登り坂でのパワー勝負になったら、きっと自分のほうが不利だ。

その前になんとしてもスカーレットの前に出ないと勝ち目がない。

 

 どうしたら、そう思いながらサイレンススズカは前を見る。

目の前に壁のように迫る最後の登り坂に入るまで、この下り坂は残り50もない。

 

 何か、何か!

 

 その瞬間、サイレンススズカの頭の中に閃きがあった。

普通なら考えもしない、考えたところでやりはしない、考えただけでもバカにされそうな、本来なら危険な賭けだ。

しかし、サイレンススズカはある意味では安易に、ある意味では躊躇いなく、勇敢と無謀の境界線上にある結論へと手を伸ばして掴んだ。

 

 一歩目、前の登り坂を見て。

二歩目に、下り坂の先を見て。

三歩目に、これだと決意した。

 

「っ!」

 

「なっ!?」

 

 ターフを思いっきり踏み締めた三歩目で、サイレンススズカは前の登り坂に向かって“跳んだ”。

 

 ダイワスカーレットの横顔が下に離れていく。

サイレンススズカの身体が宙にふわりと浮く。

前に飛び出した身体が、登り坂へと投げ出されていく。

息を呑みながら足を前に出して、前に迫るターフを足裏に捉えて下に踏みつけて上に向かって四歩目を踏み出す。

 

 下り坂と登り坂の境目、その上をサイレンススズカは跳んだ。

 

「マジ、か……?」

 

「下り坂と登り坂の間を、跳びやがった……!」

 

 登り坂の途中に着地した一歩目を踏み切り、踏み込みで抉った芝を蹴飛ばし飛び出すように坂を登り始めたサイレンススズカの半バ身後ろを下からのクライムを始めたダイワスカーレットが並ぶ。

サイレンススズカは誰もいない前を、ゴール板めがけて頭を下げて全力で突っ走る。

 

 前にあるのは緑のターフと青い空の境目。

あとは内に聴こえる足音を、振り切るだけ。

 

「く、ぅああああああああっ!!!」

 

 内ラチから迫る叫び声を、突き放すだけ。

歯を食い縛り、脚をターフに突き立てるように踏み込み、飛び出すように駆け抜ける。

視界の端に再び入り込む赤茶色の侵食を、突き放して消し飛ばすために!

もう一度、緑と青と境界線しかない、あの景色を見るために!

ずっと、見たいのに!

このまま、見ていたいのに……!

 

 赤茶の侵食が、止まらない……!

 

 来ないで!

 

『サイレンススズカ!?サイレンススズカがぐっと前に!?仁川の舞台を駆ける!駆け上がる!ダイワスカーレットが内から食らい付く!ダイワスカーレット並ぶか!?並べるか!?残り50だ!スカーレット!スカーレットが!外からウオッカも行く!無理か!?スズカとスカーレット!並ぶか!?並ぶ!?ならっ!ゴっゴールだ!ゴールだ!サイレンススズカとダイワスカーレット、縺れてゴール板に飛び込んだ!どうなった!?どっちだ!?』


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