逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー   作:エアジャガーる

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振り返り、前を見て、足元を確かめる

「んーっ……ふぅ……こんなもんか」

 

 段ボールを抱えてチームルーム棟の端から端までを往復すること3回、ようやっと自分の荷物を全て新しいチームルームに運び終えたフユミは背伸びをしてから、広げたパイプ椅子に腰を掛ける。

パイプ椅子に座った状態で足を伸ばして、天井を見上げる。

まだ持ってきた荷物をあるべきところに置く作業があるが、このまま始めても体力や集中力が続かない。

仁川から府中に帰ってきて真っ先にたづなさんから入った連絡は、早急なチームルームの引っ越しの辞令だった。

 

 以前、この部屋に訪れた時に残っていたゴールドシチーの私物である化粧品類は全部引き上げられており、トレセン側の備品だけしかない完全な空き部屋となっていた。

どうやら大阪杯のあと、ゴールドシチーはビワハヤヒデの誘いに乗ったらしい。

ビワハヤヒデの申し出は予想外だったが、思い付く限りでは一番、全員が得をしたハズだと思う。

 

 春の感謝祭も大阪杯や高松宮記念で結果を残したり春の天皇賞やヴィクトリアマイルで有力候補になっているウマ娘が中心になって盛り上げたようで、予定通りに仁川にいる間に終わっていた。

その感謝祭で桜花賞のライブビューイングがあったらしく、サイレンススズカとダイワスカーレットのゴリゴリの鍔迫り合いの末、一着の同着と5人タイムオーバーという結果に会場が騒然としたとかしなかったとか、そんなことはさておくとして。

フユミは扉をノックする音のほうに目をやり、パイプ椅子にちゃんと座り直す。

 

「お久し振りですね」

 

「……たづなさん、どうかしました?」

 

 扉を開けて入ってきたのは緑の悪魔、大阪や!はよ出さんかいタマァ!、りこぴんとダブルデートされる人、スパクリと同時にピックアップされることでトレーナーの財布を塵1つ残さず吹き飛ばした女、といろんな噂が絶えない理事長秘書のたづなさんだった。

フユミにしたら、この春の騒動全てのキッカケである。

軽く身構えたフユミに、ブリーフケースを手に提げているたづなさんは頭を下げた。

 

「ゴールドシチーさんの件、ありがとうございました」

 

「お礼、ですか?僕は年端もいかない少女相手に煽るだけ煽って利用しただけですよ?」

 

「ですが、それでゴールドシチーさんは道を決められました。大阪杯勝利、そこからチームケンタウリへの移籍、そこまでの道筋を立てたのは間違いなくあなたです」

 

「買い被りです。僕はゴールドシチーに煽るだけ煽って大阪杯の出走手続きだけはしてやると言ったまでです。それ以降は全てゴールドシチー本人の努力と熱意の賜物です。僕にその礼をするなど筋違い、もっと言うならゴールドシチーに対する侮辱です」

 

 苛立つようなフユミの態度に、たづなさんは肩を竦めたあとに持っていたブリーフケースをテーブルに置き、フユミの前に差し出す。

 

「たまには、自身を褒めることも仕事ですよ。身体が持ちませんから」

 

「褒める、ですか。例えば僕は息をしていて偉い、とかこのブリーフケースの中身を開く前に拒否しなくて偉い、とかですかね」

 

 この時期にわざわざブリーフケースに入れてまとめて持ってくるような書類など、限られている。

今年のデビューしてレースしても身体が耐えうるところまで仕上がっていると教官がスカウトを許可しているウマ娘のリストだ。

いくらただのヒトより身体能力があるといっても、じゃあいきなり1600mを全力で走って1:40切って帰ってくるような走りを出来るかといったら、それは到底無理な話だ。

だいたい1000も走った辺りで息切れして脚が止まるか、息が出来ずにチアノーゼを出して引っくり返るか、疲労で脚が縺れてターフでもみじおろしになるか、心臓が破裂して死ぬか、まぁまぁ危険だ。

だからこそ葦毛のアレが、なんだかんだサイレンススズカに食らい付き続けたことが驚きだったのだが。

それにレース中に事故を起こさないように、万が一の時の対処が出来るように、走り方についてもみっちりと座学で講習もする。

それらを全部鑑みて、レースに出しても問題ないと教官から判断されてようやくそのウマ娘はトレーナーのスカウトを受ける許可が下るのだ。

ちなみにあの葦毛のアレは身体能力だけなら申し分ないが、レースの態度に“若干の”難アリということでスカウトの許可は出ていない。

試験中にペースメーカーのウマ娘にイラッとして後ろから煽り倒した挙げ句に追い抜いて前からラリアットをかましてダートにアタマから突き刺したらしいので仕方ない。

どうしてそんなのを食らったウマ娘が無事なのかは、今は深く考えないことにする。

今はそれよりも、このブリーフケースの処遇だ。

 

「前にも言いましたが僕はこれ以上、担当を増やしたり面倒を見るのは不可能です。僕にこれを持ち込まれても、自分からスカウトすることは絶対にありません」

 

「ではせめて、一度だけ目を通してください。必ずフユミトレーナーに見せるように、理事長からキツく言われているので」

 

「……見たというアリバイのためだけ、ですよ?」

 

 手を合わせて頭を下げてきたたづなさんに押し切られ、フユミは仕方なくブリーフケースの中から書類を引っ張り出す。

断ったら数分後には頭に猫載せた理事長がやってきて「必読ッ!未来の優駿のスカウトには前向きになッ!」と乗り込んでくるに決まっているのだ。

だったら先に見るだけ見てある程度の判断をした上で断るほうがまだマシだろう。

教官達が合格を出した以上は間違いなく優駿しかいないのはわかっているが、自分のキャパシティの限界を痛感しているから、スカウトする候補探しではなく、デビューしていずれ自分の担当を脅かすだろう仮想敵候補を見つけるつもりだ。

 

「ずいぶん、アメリカからの留学生が多いですね」

 

「アメリカだとダートのほうがメインストリームですからね。ターフが得意なウマ娘がかなりの人数、活躍の場を求めて日本に来たみたいです」

 

 そんな世間話をしながら、資料を捲っていく。

証明写真にマスク付けて写ってるウマ娘とかいるが、これはいいのだろうか?

証明写真をチェキかプリクラみたいに撮ってるアイドル気取りのウマ娘までいるし。

データを見る限り、優駿候補は間違いなく何人かいる。

いずれは手強い相手として対応を考えることになるだろう。

しかし、自分でスカウトなど考えもしない。

自分のキャパシティも足りなければ、指導力も足りない。

その証拠に、桜花賞でサイレンススズカをちゃんと勝たせてやることが出来なかった。

だからって、スカウトしないことを悔やむようなことはない。

今、僕を見捨てないでいてくれる3人に、彼女達が去るまで出来ることをする。

それ以上は、高望みが過ぎる。

 

「これは、来年のクラシックは荒れますね」

 

 書類を縦横に整えてブリーフケースにしまい、たづなさんのほうに返す。

アリバイ作りなら、最後まで見たのだからいいだろう。

 

「返します。そろそろスズカ達が授業を終える時間なので、ここまでで」

 

「そうですか。気になる子がいたら、お願いしますね」




繁忙期……キタサンブラック……というわけでちょっと休みです。
推し作品が更新再開したっぽいからそっち見て気長に次回をカクカラマッテテ。
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