逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
「昨日はすみませんでしたーっ!!!」
翌日の午後のこと。
昨日、いきなり怯えられた例の田舎娘がサイレンススズカと一緒にチームルームに来たかと思えば即座に大きな声で謝りながら頭を下げてきた。
後ろにいたサイレンススズカは身構えていたのか、しっかりと頭の上の耳を手で抑えていたので、どうやらこの田舎娘がこうすることを知っていたらしい。
隣に見慣れているサイレンススズカが同じ格好をしているので、改めてよくわかる。
「……四角い」
「へ?」
「いや、何でもない……えーっと……」
「スペシャルウィークです。あの、なんでしょうか?」
改めて名乗り出たスペシャルウィークに、ふと思う。
ここに来るウマ娘の大半は野心的だったり、挑戦的だったり、闘争心や自信に満ち溢れていることが多い。
しかし、この田舎娘からはそういうのを感じない。
言ってしまえば純朴と良心を枠で固めてウマ娘にしました、みたいな感じだ。
たぶん、彼女の脚の速さを目敏く見つけたスカウトマンがどこかの田舎から引っ掛けてきたのだろうが、レースの世界でやっていけるのか不安になる。
隣にいるサイレンススズカも普段は割とそういうところがあるが、コースに足を踏み入れた瞬間にスイッチが入るのか、苦手なダートだろうが前にいるタイキシャトルを全力で後ろからつつき回すし、息の続かない長距離だろうが後ろから来るマヤノトップガンから意地でも逃げ切ろうとするのでその心配はないが、この田舎娘にはそういう切り替わるスイッチがあるのだろうか。
「君、田舎から出たばかりだろう?僕からはひとつだけ。頑張らないと、って思った時は休むように」
「頑張らないとって思った時は……休む?」
「そう、この意味がわかる前に君に担当が付くことを祈っておくよ」
彼女の心配をするのは僕の役割ではない。
彼女をスカウトするだろうトレーナーの役割だ。
担当になる気もないのにちょっかいを出しては、スカウトしようとしている他のトレーナーにとっては目障りになるだろう。
だから、あくまでも最低限のアドバイスに済ませる。
自分が担当している3人すらちゃんと気を配りきれているか怪しいのに、他の生徒まで構えるほど僕に余裕があるわけがない。
桜花賞でサイレンススズカに勝たせてやれなかったのが、その証拠だ。
どうにもピンと来ていない田舎娘のことはさておき、サイレンススズカに今ある悩みの種をひとつ明かすべきか考える。
まだ仮定や憶測に過ぎないが、もしかしたら最高の対戦カードが転がり込んでくるかもしれないし、彼女にあまりにも早い段階で困難な試練を与えてしまうかもしれない。
ヴィクトリアマイル。
そこに思い付きでなんとなく決めたかのような、とあるウマ娘の出走申請があった。
いずれは立ちはだかるだろうことは予想していたが、改めて当たる可能性が見えてくると緊張感が滲み出てくる。
自分が走るわけでもないのに、本人より緊張することが容易に予想出来て、嫌になる。
ゴールドシチーが春天でメジロマックイーン、スーパークリークを相手に勝負することとかを気に掛けている場合ではないのだ。
「トレーナーちゃーん……って、あれ?スズカちゃん、この人は?」
「あぁ、マヤちゃん。この子はスペシャルウィークさん。私の同室になった子よ」
「そうなんだ!マヤだよー!よろしくね!」
「はい!よろしくおねがいします!」
チームルームに入ってきたマヤノトップガンがサイレンススズカとスペシャルウィークの3人で話し込んでいる。
トレーニングは正直に言えば軽いものにしているし、ライブ練習も振り付けと歌詞を一発で全部覚えてしまうマヤノトップガンにわざわざ何度もする意味もないので時間に追われている訳でもない。
ただ、入ってないチームに里心が付いてしまっても問題だ。
そろそろ雑談は切り上げてトレーニングを始めたいところだが、タイキシャトルが来ない。
どうしたものだろうか、そう思っているとスマホにタイキシャトルからのメッセージが入る。
『SaveMe!』
「……スズカ、今日、授業で小テストがあっただろう。結果は?」
「えっ?小テストですか。数学でありましたけど……」
「わかった。二人とも着替えたらグラウンドに来るように。トレーニングの時間だ」
だいたい何があったか察したので、サイレンススズカ達に指示を出してから一言だけ返事のメッセージを送る。
現代文だったらともかく、数字は万国共通だ。
なので、留学生ということは情状酌量に値しない。
テストで赤点を取ったりしてレース出走停止になったりしたらそれこそ大問題なので、こちらとしては座学の教員各位には立場が弱いし頭も上がらないのだ。
そもそも追試などのラインが割と下げられている上にレースでの成績次第で割と目を瞑ってもらえる部分もある中で補習を受けるということは、その成績は察して余りある。
こちらに話が来る5秒前、といったところだろう。
と、諸々の事情を踏まえた上で送れるメッセージはひとつしかないのだ。
『Let's study』
『Nooooooooooooooooo!!!』
予想通りのタイキシャトルからの返事に既読だけ付けて、スマホをポケットにしまう。
とりあえずタイキシャトルにはトレーニングより勉強が必要かもしれない。
春期テストの成績が壊滅的だと、安田記念に補習と追試がぶつかりかねない。
それだけはさすがに避けたい。
なんとしてでも避けたい。
是が非でも避けたいので、タイキシャトルには補習もちゃんと受けた上でNHKマイルを圧勝してもらわなければならない。
それくらいはしないと、座学の教員達に頭を下げてちょっと成績が怪しい教科に目を瞑ってもらうことも願えない。
まだ、マヤノトップガンの皐月賞すら終わっていないのに夏まで問題が山積みになり過ぎている。
広くなったチームルームは荷物が少なくてガラガラなのに、もう既に荷物が山積みになって見えてくるほどに。
どれだけ多くともひとつひとつ、丁寧に片付けなければならない。
自分には、その責任があるのだ。
「よろしくおねがいします!」
いや、どうしてだよ。
先にグラウンドで待っていると、サイレンススズカとマヤノトップガン、そしてなんでか知らないがついでにスペシャルウィークがジャージ姿で来た。
今日はマヤノトップガンとサイレンススズカの二人の模擬レースを何本かやるだけのつもりだった。
そこに、このやる気に満ち満ちている態度の田舎娘が何故かオマケでくっついている。
「えーっと、スペシャルウィーク?君はどうしてここに?」
「はい!スズカさんの走りを間近で見たくて!一緒に走らせてほしいんです!」
「あの、トレーナーさん……」
お目々キラキラ尻尾ブンブンでやる気満々の態度のスペシャルウィークに、サイレンススズカもダメとは言えなかったらしい。
マヤノトップガンはマヤノトップガンで頑張ろうねー!なんて言っているので止める気は更々ないらしい。
間近で見たい、ってどれだけの距離を間近で見ていられるのやら。
「まぁ、いいか。息がいっぱいいっぱいになったら自分でちゃんと止まること。それを守れるなら一緒に走ってもいい。あとスズカ、せっかくだから思いっきり走りなさい」
「……いいんですか?」
「いい。今日はマヤとスズカで何本か芝2000mでマッチレースをしてもらう。スペシャルウィーク、君は頑張ってほどほどに追い掛けなさい。勝ち越したほうは皐月賞の前日に買い物に行くから1つだけおねだりしていい」
「ホントに!?」
「あと、スズカは一度でもマヤに4コーナーを出る前にアタマを取られて負けたら、タイキの成績がよくなるまで一緒に補習を受けてもらうからそのつもりで」
「えっ」
サイレンススズカが珍しく困惑しているが、最悪の事態になった時の宝塚記念を考えたらこのくらいの条件は甘過ぎる。
マヤノトップガン相手に4コーナー前にアタマを取られるようでは、勝負にならないような相手が出てくる可能性が大いにあるのだから。
今の時点では1割もあるかどうかの勝率だ。
これを、せめて五分の勝負に持っていく必要がある。
杞憂で済むなら今でも五分の勝負に持っていくことは出来ても、最悪の事態ならまず勝ち目はないのだ。
同時に、マヤノトップガンも今のサイレンススズカを差し切れるレベルで皐月賞に持っていきたい。
ついでにこの田舎娘が実際のところ、どこまで走るのかも確かめておきたい。
この二人相手にそれなりに走れるなら、彼女へのスカウトも多くなるだろう。
「じゃ、芝2000だ。さ、スタート地点についたついた。タイムは計らないから一本目はスズカの好きなタイミングでスタートしなさい。その次からは負けたほうが好きなタイミングでスタートすること。いいね?」