逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
「サイレンススズカとマヤノトップガン……あと、あの見掛けない子は誰かね?」
「……スズカの同室になった、転入生の田舎娘だ。スズカの走りを間近で見たいと模擬レースに交ざっている」
「ふむ。間近で……見られるのか?」
「見るだけなら。2ハロンくらいは、スズカの背中を見られるだろう」
コースの外ラチの柵によりかかって頬杖をつくフユミの隣に、手提げで持ち歩くには大きな紙袋を提げているミスタークラウンが立つ。
ミスタークラウンが1人でここに来た理由はわからないが、ウマ娘を誰も連れずにここにいる時点で様子見や偵察の部類ではないのだろう。
フユミはそこを詮索せず、ターフに意識を向ける。
「距離は?」
「芝2000mの追い掛けっこ。先行するウマ娘の好きなタイミングでスタート。二回目以降は後ろにいたほうが先行でどちらかが途中で抜かれるか千切られたら終わり」
「サイレンススズカが有利過ぎるだろう」
「そのくらいで勝負が決まりきるようなら、皐月賞と宝塚記念は諦めないといけない」
サイレンススズカが早速、スタートダッシュで飛び出してマヤノトップガンをいきなり突き放しにかかる。
そして追い掛けるマヤノトップガンの外からスペシャルウィークが追走する。
ゲートを使わず、スタートの合図も出さず、先行後追いのハンディキャップマッチ。
明らかにサイレンススズカに有利過ぎるこのルールで、ダメ押しにサイレンススズカがスタートを切って先行しているのだ。
3バ身以上離されずにマヤノトップガンが追走しているだけでも、相応にハイペースというべきだ。
問題はその後ろ4バ身。
「転入生、あのペースで走れるのか?」
「さぁ?普通に考えたらコーナー2つ抜けた頃には豆粒、だろうが……」
模擬レースとはいえ、走るとなれば一切の手抜きがないサイレンススズカと、そのサイレンススズカの相手が楽しいマヤノトップガンのマッチレースだ。
トゥインクルシリーズの最前線を走るウマ娘の中でもかなりのハイペースを叩き出す二人を相手にあの純朴田舎娘はジリジリと離されつつも追い縋っている。
見たがっていたサイレンススズカの背中がどんどん離れていくのは、間違いなく焦りに繋がるハズだ。
それにも関わらず、慌ててペースを上げる様子は見えない。
あれが最高速度だとしたらスカウトマンの目が節穴だったというだけだろうが、そこから脱落して足を止めるどころかペースを落とす様子も見せない。
つまり、彼女はまだレースに参加している状態だ。
ポケットにしまっていたストップウオッチを出して、残り800mのところでスイッチを押す。
「……あの転入生、獲るのかね?」
「……まさか。僕にそんな余裕はありませんよ」
ミスタークラウンの言葉に、はたと気付いて、ポケットにストップウオッチをしまおうか考える。
今、あの純朴田舎娘の上がり4ハロンを記録して何をしようと言うのか。
何の役にも立つまいに、どうして記録しようとした?
そもそも、今はマヤノトップガンとサイレンススズカのことに専念すべきだ。
「……弥生賞と桜花賞を中継で観た程度だが……こうして実際に観ると脅威に感じずにはいられないな」
「常に誰よりも速く走り続ける、ただそれだけだからこその最速。貴方は既に一度、自ら対峙した脅威のハズですが?」
「あの時、私はみすみす3つ獲られてしまった。大阪、宝塚、秋天……いつの時代にも理外の怪物はいる……」
「確かに、そうかもしれませんね」
サイレンススズカとマヤノトップガンがやや縺れ気味に、それでもサイレンススズカが前のままゴール板の前を抜ける。
遅れて、純朴田舎娘が頑張って追い上げてそれでも差はあまり縮まらずにゴールしたところでストップウオッチのボタンを押す。
表示されているタイムは見ていないが、サイレンススズカからの差を考えたらかなりの速さでスパートをかけているだろうことは想像が付く。
サイレンススズカと中央に来たばかりの田舎娘とでは、それこそ当たり前のようにタイムオーバーになっていなければおかしいし1ハロン後ろくらいの差が付いたって笑い話で済む程度の実力差があるハズなのだ。
しかし実際に走らせてみれば、届きはしなかったし勝負にもなってなかったが、追うことそのものは出来ていた。
生でレースを観ることすら府中に来て初めてだろうというような田舎娘が、レースのいろはそのものはしっかり身に付けているというちぐはぐを起こしている。
本当に、そこら辺の片田舎から引っ張ってきただけの田舎娘だろうか?
「……今からでも遅くはない。サイレンススズカを宝塚ではなく、オークスに出すつもりは?」
「ありません。忠告には感謝しますが。そもそも貴方は仮にもエアグルーヴに肩入れしていた立場のハズですが?」
苦笑する彼はサイレンススズカをオークスに引っ張り出すことに、メリットなどないハズだ。
エアグルーヴがティアラ路線の一冠目をいきなり躓くことになった以上、オークスは是が非でも獲りに行くだろう。
サイレンススズカをオークスに出させることは、普通に考えたらそれに逆行している。
「エアグルーヴとテイオーは私の手からは完全に離れていてね。今は誰の担当でもない。それどころかトレーナーバッチをしばらくタンスにしまい込むことになった」
「エアグルーヴとトウカイテイオーを他のトレーナーに委ねて、URA理事に就任するという噂は本当だった。そういうことですか?」
「まだオフレコにしておいてくれたまえ。表向きの正式な発表は来週なんだ。ま、だからこそ君にいちおうの忠告染みたことも言えるわけだ。職業病には、悩まされているがね」
ミスタークラウンはいつの間にかポケットに入れていた手を出すと、手のひらのストップウオッチを出してくる。
タイムを見るに残り600mから測り始めたらしい。
図らずも純朴田舎娘の上がりの4ハロンと3ハロンの記録が揃っていた。
「やれやれ、立場が立場だったらと思うね」
「その時は、彼女にかまけている場合ではなかったでしょう?そしてスズカの宝塚記念をわざわざ止めるようなことを言わなかったハズだ」
「確かに、その通りだ。どうしても繋がらない縁、ってのはあるものだ。逆もまたしかり、だが」
ミスタークラウンがようやく、ずっと手に提げていた袋を渡してくる。
きっとこれが本題で、ここに来たのだろう。
受け取ると、よく袋が破けてないなと思うくらいには重い中身が入っているらしく、ずしりと重さを感じる。
「どこぞの出張帰りのお土産ですか?」
「ドバイだ。もっとも、これはお土産の類ではなく預かり物だがね。君宛の手紙代わり、だそうだ」
ウマ娘を頑張るほど執筆が遅れる……あほあほ栗毛なスズカのほうはもう毎日王冠だと言うのに……!
仕事は減りましたが、今度は理事長の技能試験じゃ……!