逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー   作:エアジャガーる

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「あれ?さっきまで隣にいた人は……?」

 

 何度か手番を入れ換えて3回ほど走ったあとに、純朴田舎娘が一人でこちらに向かって歩いてきた。

運動後の疲労や発熱発汗は見られるがその表情は明るく、足取りもしっかりとしている。

どうやら無理に頑張ってサイレンススズカ達を限界以上に追い掛けるようなことはしなかったらしい。

 

「僕宛の届け物を持ってきただけだ。もういいのか?」

 

「はい!スズカさん本当に速くて、目一杯追い上げてるハズなのにどんどん遠くなっちゃうんです!今はまだ遠いですけど……これから頑張って鍛えて!まずはスズカさんに届きます!」

 

 サイレンススズカを相手にしたあとに、拳を握ってやる気に溢れた様子を見せるとは思わなかった。

去年、青毛の彼女は遠退くサイレンススズカの背中に絶望してターフを去った。

今もコースの周りにちらほらといるウマ娘は、サイレンススズカ達の模擬レースに一緒に走りたいと言い出すことはなく、遠巻きに観察している。

本人は気にしていないどころかそもそも気付いていないだろうが、ターフにいるサイレンススズカと同じ土俵に立つことを間違いなく周りが避け出している。

そんな中で、この純朴田舎娘はサイレンススズカに挑み続けることを選んでいる。

彼女の姿勢が、少しだけ眩しい。

 

「まずはスズカ、か……」

 

「はい!お母ちゃんとの約束の、第一歩です!」

 

 約束、か。

どうやら今、サイレンススズカの背中という現実を見て尚もその約束は大きいものらしい。

どんな約束をしてきたのか、少しだけ興味はあるが、それをわざわざ聞き出すような関係にはなり得ない。

僕は、今こうしてまた走り出したマヤノトップガンとサイレンススズカと、あと補習に捕まっているタイキシャトルの担当だけできっと手一杯なのだから。

 

「あっ!スズカさんが抜きます!」

 

 純朴田舎娘の声でコースのほうを見れば、コーナーを出た最後の直線で大外に出たサイレンススズカがマヤノトップガンをまさに下しにかかるその瞬間だった。

マヤノトップガンがそこから並んだまま競り合いを続けているが、ゴール板はまだ遠い。

ジリジリとマヤノトップガンの横をサイレンススズカが伸びていく。

サイレンススズカは以前なら追い抜きに行く時は遮二無二追い回して力任せに前へと出ていたのが、今はバタつきなどなく、すんなりと抜きに行くことが出来るようになっている。

 

 これでようやく、宝塚記念はスタートラインに立ったようなもの。

サイレンススズカに“追い抜きかた”を身に付けさせる。

パッチワークのような後付けにしかならないのはわかっている。

ただ、桜花賞でダイワスカーレットに勝ちきれなかった理由の一因も潰せずに宝塚記念へと送り出すわけにはいかない。

ダイワスカーレットは唯一と言ってもいいサイレンススズカの弱点を明確に突いてきた。

あれを例えば、他のチームからラビットが捨て鉢で仕掛けてきたとしたら?

 

 想像しただけでゾッとする。

 

 だからこそ、今は万が一の備えを後付けでもしておく。

大事なのは、追い抜きかたをわかっている、という事実だ。

その事実が、彼女を一段階速くするハズだ。

 

「あれ?えっ?……えっ?」

 

 純朴田舎娘が戸惑うだけのことが起きた。

サイレンススズカがそのままトップスピードで差しに行くかと思われた状態から、並ばれたマヤノトップガンが頭を下げて思いっきり踏み込んでいく。

明らかに一段階加速したマヤノトップガンが、そのまま横に並んだサイレンススズカに最後まで抜かせずにゴール板の前を抜け切った。

それを見た田舎娘は驚きに口を開けている。

アタマ差まで付かない、ハナ差。

少なくとも同タイムだろう。

最後まで、意地で粘りきった?

それは考えにくいだろう。

勝ったほうにおねだりをひとつ聞く、それだけで差しに来るサイレンススズカ相手に1ハロン近くも粘りきれるものだろうか?

おねだりのモチベーションだけで、それだけのことをするのは不可能だと思う。

精神的な理由は除外すべきだ。

だとしたら、マヤノトップガンが競り勝った理由は、最初から競り勝つつもりだったから、だろう。

 

「うん、わかっちゃった!」

 

 ゴール板の先で減速して流しながら旋回したマヤノトップガンは、尻尾をバタバタと振りながらフユミ達のほうに歩み寄ってきた。

明らかに喜んでいるのが丸わかりだ。

きっとマヤノトップガンは、最初から試していたのだ。

これから順番や段階を踏んで、最終的にそれを身に付けさせる相手も決めていた、フユミが教えられるだろう数少ない、そして最後になるだろう技術の基礎。

それをマヤノトップガンは、一足飛びどころか数段飛ばしで試みている。

 

「トレーナーちゃん!マヤわかったよ!」

 

 明らかにいつもより更に前のめりな態度のマヤノトップガンは、何を思い付いて、何をわかったのだろうか。

そんなの、とっくに解答も問題文も知っている。

ただ、マヤノトップガンにその問題文をまだ出題していない。

 

「よし、次はそれを抜きに行く側の時に出来るようにしていこう。いいね?」

 

「うんっ!」

 

 自分のひらめきで拾った武器は、研ぎやすく強固な武器になる。

マヤノトップガンが自分で見つけ出したものを取り上げる必要はない。

だったら今は飛ばして辿り着いた段階で学ぶことを教え込んで、飛ばしたことで足りないものをあとから継ぎ足していけばいい。

普通なら回り道にしかならないが、マヤノトップガンにはこれが一番走りやすい近道なのだ。

 

「トレーナーさん、もう少し走ってきてもいいですか?」

 

 はしゃぐマヤノトップガンの後ろで、ほんの少しだけ目付きが鋭くなっているサイレンススズカが言い出す。

この周にマヤノトップガンを差し切れなかったことが、どうやら相当に不満らしい。

サイレンススズカに、少し悪いことをしてしまうかもしれない。

 

「いいよ。ただ、次で終わりにすること。これでスズカが抜かれなかったらスズカの勝ち、いいね?」

 

「はい」

 

 いちおうの釘を刺したが、次の模擬レースの結果できっと彼女はまだ走りたがるだろう。

桜花賞から明けて間もないタイミングで、あまり走り込んでほしくはないが、それでストレスを溜めることになるのは問題だ。

気分が晴れる程度には走らせるつもりだが、一度だけ本人の気が済むまで走らせたら日が落ちてもずっと走っていたことがあったので油断ならない。

トレーニングのつもりで走っていたら気付いたら走るために走っているし、走っているとどんどん走りたくなるのが彼女なのだ。

主に門限的な理由で目を離すわけにはいかない。

トレーニングのために走っている時と、走りたいから走っている時の違いはなんとなくわかってきたので、頃合いを見て止めることにする。

時間を忘れて走った結果、晩御飯とお風呂を逃して落ち込むのは、他ならぬサイレンススズカ本人なのだから。

 

「じゃあ行ってくるね!」

 

「うん、行ってらっしゃい」

 

 マヤノトップガンとサイレンススズカがまたスタート地点へと向かっていく。

それを見た田舎娘も何かを言い出しそうな口を噤んで尻尾を振っている。

言いそうなことはだいたい想像が付く。

これだけやる気に満ち溢れていて、走りそのものもしっかりしているのなら、彼女はすぐにでも他のトレーナーにスカウトされそうだ。

今のサイレンススズカに食らい付けるということは、そこら辺のデビュー前のウマ娘くらいは物の数にもならないハズだ。

デビュー前のウマ娘による模擬レースの一回でも出れば、引く手数多に決まっている。

 

「……君はこの一回で今日は終わり。いいね?」

 

「…………はいっ!」

 

 やる気には満ちているが、次はさすがにちぎられるだろうな。

何しろ、苛立ちの溜まったサイレンススズカがガチで逃げるのをマヤノトップガンが追い回すのだ。

いちおう練習のつもりだったさっきまでとは、スピードレンジが2段階は違う。

この一回で周囲の目にマヤノトップガンの走りを見せ付けておくことで、皐月賞に布石を打っておこう。

スプリングステークスでタイキシャトルに包囲戦を仕掛けてきたチームマーネンが4人も送り込んでくることを踏まえても、他陣営に少しでも揺さぶりをかけておきたい。

取材を許可していない記者が遠巻きで観ているだろうことが予想出来るからこそ、ここでパフォーマンスを見せる必要がある。

あとはタブロイド紙などでどう書かれるか、それ次第で皐月賞の戦略を考えよう。




おいサイゲ。
今回のチャンミの舞台が有馬記念ってのはわかる。すげーよくわかる。だが来月のチャンミは当然、東京大賞典だよなぁ?(用意していたダート編成をしまいながら)

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