逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー   作:エアジャガーる

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ターフに羽衣の舞う

『雲の多い空。日も傾き始め、少し冷え込んできましたが、会場の熱気はそれ以上に熱くなっております。バ場発表は良バ場での発表。中山11レース、芝2000m。例年通りのコンディションでの開催となったクラシックGⅠ、皐月賞!出走準備が始まりました』

 

『今年のもっともはやいウマ娘の走り、今から楽しみですね』

 

 トウカイテイオーが3枠5番に入り、ナイスネイチャが隣の6番に入る。

マヤノトップガンがそこから大きく離れて6枠11番。

6つ外に飛んで17番に入るのはマチカネフクキタル。

その様子を珍しく観客席の最前列で、フユミは立ち見を決め込んでいた。

その左隣にはサイレンススズカと、なぜかオマケで付いてきたスペシャルウィークがいる。

ただでさえ彼女は都内が不慣れで、どうやらけっこうな方向音痴でもあるらしいので、誰かしらと一緒にいたほうがいいだろうから連れてきた。

中央のレースの空気に触れさせるのは、悪いことではないだろう。

 

「すっごい人の数ですー……」

 

「大丈夫?」

 

「はい。私がここで走る時にもこのくらい人が集まるのかなぁ、って思ったらちょっと緊張しちゃって」

 

 人混みに酔いかけなのか、少し疲れが見えるスペシャルウィークをサイレンススズカが気遣っている。

北海道の田舎から出てきてすぐに、GⅠレースの人混みに揉まれるのは堪えているだろうか。

それにしても、自分が皐月賞に出ることが当たり前の大前提になっているのは、何も知らないからか、あるいは皐月賞出走は疑うまでもないと思うのか。

どのみち彼女なら、自信過剰とは言われまい。

目に付く結果を出せば、彼女にはすぐにもスカウトが来るだろう。

 

「あの……トレーナーさん、今日は椅子に座らないんですか?」

 

「少しだけ思うところがあってね。スズカ、スタートして1周目の時は応援したい気持ちをちょっと抑えて静かに観ていてもらえるか?向こうに回ってからは好きにしていいから」

 

「え、はい……でも、なぜ?」

 

「それが一番の応援だからだよ」

 

「hmm……あ、そろそろスタートみたいデス!」

 

 右隣でバケツ入りポップコーンをムシャムシャしていたタイキシャトルの声で、ゲートイン完了間近なのに気付く。

最後の大外にもウマ娘が収まり、作業員が待避していく。

 

『ゲートイン完了』

 

 一拍。

 

『出走準備、整いまして』

 

 ゲートが開く音。

 

『皐月賞、スタートです!』

 

 全員がゲートから飛び出し、内からマヤノトップガンの前を押さえに向かうのが2、3人いる。

マヤノトップガンへのマークは前と外からで4人ほど。

思った以上に多い。

いや、好都合だ。

マヤノトップガンがレースの主導権を握ったようなものだ。

内ラチ側にいるトウカイテイオーの隣、マヤノトップガンはスタートダッシュを敢えて弛めて並んでいく。

狙っていた位置は、トウカイテイオーの外の少し後ろ。

 

『ハナを奪ったのはアンセストリコール!続いてパラダイスバード、ネクロポーテンスは出があまりよくなかったか1バ身後ろに付けています。そこから2バ身離れてファングマルコ、続いてレンアンドシックス、外を回りますキリノドルゲーザ、続いて後ろにセブンスナナ、内々を進むのはトウカイテイオー、続いてその外セカンドサンライズ。その内をマヤノトップガン。ここまでが密集して中団を形成しています。1バ身離れてプライムタイタン、その後ろにナイスネイチャ、外ハチダイヴァースキ、その内からナンバーナイン、続いてタイムスパイラル、外からマチカネフクキタル、その後ろグローリースノー、最後方からのレースとなったのはトレジャークルーズ。先頭から最後方まで全体的に密集した集団のまま1コーナーへ!』

 

「マヤノが前でも後ろでもない!?」

 

「見辛いけどテイオーの真横だ!」

 

「ギチギチに固まってる!弥生賞とは完全に真逆の展開だ!」

 

「ネイちゃーん、がんばれよーっ!!!」

 

 先頭のアンセストリコールが率いる先行集団はさほど後続を突き放さず、わざとらしいくらいスローなペースで走っている。

それこそ、その気になれば走っている一人一人の顔がちゃんと見えるほど。

それに釣られてか、中団も密集状態になっていて後方までほとんど一塊になっている。

極端にスローなレース展開になることは、スタートから一回目の登り坂を抜けた時点で確定的だった。

 

「よし、もう好きに応援していいぞ」

 

「もう行っちゃいましたけど……」

 

「大丈夫だ。君はマヤに対する一番の応援をしたよ、スズカ」

 

 きょとんとするサイレンススズカの頭を軽く撫でてから、フユミは1コーナーを抜けていく集団を見届ける。

こちらから顔が見えるということは、当然向こうからもこちらの姿は見えている。

これがきっと、マヤノトップガンに出来る一番の応援だ。

 

 

 

 

 

 

 

「…………うっわぁ……これは……テイオーとマヤノトップガンへのマークが……なるほど……混戦は望むとこ……そういうことですか……」

 

「マヤノはテイオーのすぐ側に並ぶことで、マヤノが逃げを打つか最後方から追い込むか、どちらかで考えてマークしに行ったウマ娘とテイオーをマークしていたウマ娘がかち合ってあのゴチャゴチャか……どちらのマークもなまじ弛めればアッサリ切り抜けて飛び出すことがわかっているから誰もこの混戦を回避出来ない、と。恐ろしいことを考えるな……」

 

 観客席の最前列から少し離れたところから、ホオヅキとエアグルーヴはレースを観ていた。

観客は他にもいるハズなのに、なぜかホオヅキの周りだけちょっと隙間が空いている。

エアグルーヴとしては居心地が少しいいが、レース前に一度も話し掛けられもしないのは珍しさを覚えた。

 

「……しかし、聞きしに勝るというか……実際にやるとなると……勝負師というか怖いものしらずというか……血の気が強い……いや、血生臭い……」

 

 2コーナーを抜けてバックストレッチへと進む集団は、固まったままスローなレース展開を続けている。

トウカイテイオーとマヤノトップガンが完全に囲まれているのがわかる。

今のところ脱出路は、見当たらない。

しかし、その2人の前にいる集団もどうにも落ち着かない走りをしている。

前に何もいない先頭集団すら、前に行きたげで堪えているような、フラフラとしたペースで走る。

ときおり先頭が入れ替わるが、明確な脱落者は今のところいない。

その後ろも当然、つられて緩急の落ち着かない走りをしている。

 

「……エアグルーヴ……あれは何が起きているかわかりますか?……明らかに掛かり気味な先頭集団がフラフラとしているのに……後ろがプレッシャーすら掛けずにずっと付き合っている……ここで後ろからつつけば間違いなく3コーナーで崩れるとわかっているのに……です……」

 

「下手に前に行けばせっかくのマヤノトップガンとテイオーに対する包囲が崩れて、そもそもの大前提である2人へのマークが破綻する。タチの悪いことにマヤノトップガンが自身へのマークをなまじ前に引っ張ってからテイオーの横に寄せたせいで前に出たかった他のウマ娘も巻き添え。ほぼ全員がこの乱戦に巻き込まれたせいで、誰も前に出たくても出られないままズルズルと走らされている」

 

「…………加えて言うなら、この皐月賞には19人目の出走者がいます……見える人と見えない人がいますけどね……」

 

「……スズカのこと、か」

 

「……そう、皐月賞にサイレンススズカも出ていたら……あの弥生賞を見たあとでは、そのイメージは簡単には拭いきれるものではありません……桜花賞でダイワスカーレットが徹底的にマークして、最終コーナーの立ち上がり勝負で脚を全て叩き出し死力を尽くした激走でようやく同着だったことを考えれば尚更です……テイオーとマヤノトップガンを包囲した彼女達は同時に、飛蚊症のように前をちらつくサイレンススズカの幻を振り払い続けなければならない……しかし、その幻を捉えて差さなければならない義務感が……肩に重くのしかかってくる」

 

 鬱陶しいと追い抜きにかかれば、空いた穴からマヤノトップガンとトウカイテイオーが抜け出すのが目に見えているからこそ、マークしている彼女達は動けない。

動けないのに、前を行くサイレンススズカの幻はそこに見えてしまう。

自分は果たして、冷静に走れるだろうか?

エアグルーヴは自問自答して、歯噛みする。

 

「……ここまでの密集状態は想定以上でしたが……それでもどこかで自ずと解けるハズ……あとは、そうですね……そこまでの我慢比べです」

 

「我慢比べ、か……」

 

「……えぇ、前にちらつくサイレンススズカの影……後ろからのプレッシャー……誰か1人でも我慢が利かなくなれば……そこで勝負は一気に動きます……」


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