逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー   作:エアジャガーる

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バーベキューピットガール

『集団がついに4コーナーを回り先頭はアンノウンイーサン、続いてハオウデスカール!オーラヴァインが外から伸びてくる!内からエアグルーヴだ!エアグルーヴが抜け出した!伸びる伸びる!エアグルーヴが最内から!外からオーラヴァインが詰め寄るが届かない!?』

 

 青葉賞の中継の音声が折り畳みのサイドテーブルに置いたタブレットから流れる。

トレセン学園から歩いて行ける府中でのレースなのだから、気になるなら観に行けばいいのに、フユミはそうしなかった。

というよりも、出来なかった。

 

『届かないか!?ダービーへの最後の望み!細い、細い蜘蛛の糸が!残り1ハロンを切った!後続が詰まらない!詰まらないまま!そのままエアグルーヴが今!ゴール!2着以下にキッチリと差を付けての圧倒!続いてオーラヴァイン、ハオウデスカール!ダービーへの希望の一筋は、最後の招待状は!エアグルーヴが』

 

 レースの決着がついたところでフユミの指が、タブレットの画面をなぞって中継を切る。

アウトドアチェアに沈み込むように座って、うとうととしているフユミの近くでは、薪が燃え尽きそうになっている焚き火がパチリと爆ぜる音すらなく静かに小さく燃えていて、少し離れたところには被せた蓋との隙間から白い煙を昇らせているドラム缶グリルが肉とスパイスの匂いを振り撒いている。

今、フユミがいるのは林の中に切り開いたのだろうキャンプ場の中。

半信半疑でトレセン学園から車を少々走らせただけで本当に辿り着いてしまった、大自然の中である。

 

「アオバショーのウィナーは?」

 

「当然、エアグルーヴだ」

 

 林の奥から焚き火用の薪を集めて戻ってきたタイキシャトルが、レースの結果を訊いてきたので、走る前からわかっていた結果を伝える。

目ぼしい対抗バもいない、普通に考えたらエアグルーヴが一方的に勝つに決まっている。

そんな出走リストの時点で、マトモに観るようなレースではない。

当面はエアグルーヴと当たるようなレースは予定にないし、ましてや、わざわざキャンプ場に来てまで熱心に観る気にもならない。

走り切った時も、まだ本気を出した様子には見えなかったことは実況の様子からも察して余りある。

あくまでも慣らしで走る前哨戦だし、時計1つくらいは余裕を残しているだろうことは容易く想像出来る。

エアグルーヴは性格を鑑みるに、地力任せの瞬発力勝負になりがちなマイル戦より、レース運びを頭で考えて走る中距離戦のほうが得意なのだろうことは想像に難くなかった。

そんなエアグルーヴが復調して参戦してくる今回のオークスは、ダイワスカーレットにとって苦しいレースになるだろうと思うが、そんなのは今頃は当の本人達が自覚しているだろうし、自分には関わりのないことだ。

何はともあれ、想像や推測の域での話ではなく間違いなく存在する事実は、今年のダービーへの特急券の1枚がゴミ箱に行ったということだ。

もっとも、その特急券が参加賞以上になったことはほとんどないのだが。

 

「しかし、NHKマイルは来週に控えているのにキャンプに連れていくことになるとは……」

 

「キャンプサイトなら思いっきりバーベキュー出来ますカラネ!トレーナーさんもたくさん食べてクダサイネ!」

 

「昼飯の時点でもう1日分は食うもの食ったよ……」

 

 苦い思いをした皐月賞を終えて、トレセン学園に戻ってからのこと。

タイキシャトルは練習こそいつも通りにしていたが、なんだかソワソワしていて落ち着かない様子をちらつかせていた。

本人は隠しているつもりのようだったのでその時は詮索しなかったが、週末になると何故か落ち込んでいたので流石に理由を訊いてみた。

今にしてみれば、それが薮蛇だったとフユミは軽い後悔を覚えている。

 

「思いっきりバーベキュー出来る場所がありまセーン!」

 

 タイキシャトルがたまに寮の庭でバーベキューグリルを出してステーキを焼いているのは知っていたが、どうやら彼女にとっては、ほんの慰み程度にしかなっていなかったらしい。

彼女はどうやら一日中ずっと火を焚いてじっくりと大きな肉をローストしたり、もっと手間隙のかかる本格的なことがやりたい衝動を我慢するのに本人的にはサッと焼ける小さめのステーキを焼いていたらしいが、実家から送られてきたという大きな肉をブッチャーナイフでこちらに来てからの自粛したサイズに切り分けようとしたところで、ついに我慢出来なくなったらしく、ホームシックも込みで落ち込んでいたというのだ。

どうせならここにサイレンススズカとマヤノトップガンもいればよかったのだが、サイレンススズカはスペシャルウィークの模擬レースを観たいからと残り、マヤノトップガンは新しく出来た友達と遊びに行く約束をしていると少しションボリしながら断ったので、フユミとタイキシャトルの二人きりだ。

おかげでフユミの胃は、タイキシャトルの普段のスケールで作られるバーベキュー料理に埋もれている。

 

「しかし、誘うのが僕だけでよかったのか?せっかくのバーベキューも相手が僕だけでは張り合いがないだろう?」

 

「ワタシはバーベキュー出来てハッピーデスヨ?あとはトレーナーさんがハッピーならオーライ!デスヨ」

 

「それなら、ハッピーで済む範囲で納めてくれ。今日、ここに来てからたった半日も経たずに一週間分はカロリーを摂った気がする」

 

「ノー……トレーナーさんは食が細過ぎマス。もっとたくさん食べてパワーアップしまショー!」

 

 フユミの側に持ってきた薪を置いたタイキシャトルはそれだけ言って肩を竦めるとグリルの蓋を開けて、中の物をいじっている。

あのドラム缶グリルの中は、焼いては食べてまた焼いてを繰り返しているので今は何を入れているのか、中を覗き込んでいないフユミにはわからない。

ひとつだけフユミにわかることは、タイキシャトルが持ち込んだ食材の山は、まだまだ残弾が尽きることはないということだ。

 

「……向こうでのバーベキューに近いことは出来てるか?」

 

「イエス!週末はこうして庭でジックリと時間をかけて焼いていたのデスガ……コッチだとファストでミニマムなモノしか焼けなくて……」

 

「ファストはともかく、僕に出すのはミニマムなモノで頼む」

 

 タイキシャトルが持ってきた薪を一本ずつ、フユミは焚き火の中に放り込んでいく。

薪を飲み込んだ焚き火は、少しだけ火の勢いを増して小さいながらも音を立てる。

フユミは焚き火をじっと見ながら、頬杖を衝いて物思いに耽る仕草をしながら、何も考えずに足元のクーラーボックスから出した缶コーラを空けながら、気まぐれに薪を放り込む。

入れた薪が少し太かったのか、しばらくして火の中から少し大きな音を立てて爆ぜる。

雑に焚べたことを少し後悔して、次に掴んだ薪にはサイドテーブルに起きっぱなしにしていた鉈を持って、そこそこの大きさに叩き割ってから入れる。

 

 焚き火をただ見ながら、ゆっくり飲み食いして過ごす夕方。

トレセン学園のトレーナーになってからというもの、こういう何もすることがない時間を過ごす日が来ることになろうとは、フユミは想像もしたことがなかった。

何かしようと気持ちはざわつくが、椅子に座って焚き火に薪を投げ入れる以外のことを思い浮かばない。

それ以外のことは昼過ぎには全て済ましてしまったか、ここでは出来ないことしかない。

あとは水を入れたヤカンを火炙りにして、沸かしたお湯で何か飲み物を淹れるくらいだろう。

泊まり掛けのキャンプに来るには、明らかに暇潰しの用意が足りなかった。

というよりも予想以上にタイキシャトルの段取りが良すぎて、あっという間にやらないといけないことが片付いてしまった。

サイドテーブルに起きっぱなしにしているタブレットも、手にして作業をしていたら「トレーナーさん、今日はオフですカラネ?」と後ろからタイキシャトルが圧を掛けてくるので、迂闊に触ることもままならず、飲み物片手に焚き火の番をするしか、やることがない。

 

「トレーナーさん、今夜はご機嫌なリブステーキデスヨ!」

 

「ご機嫌なリブステーキ、か」

 

 バタンとグリルの蓋を閉めたタイキシャトルが、満足げに焚き火の向かい側に置いていた椅子に座る。

タイキシャトルの日頃の我慢が多少は解消出来たなら、今日の多少の胃もたれくらいは安いものだろう。

 

「…………トレーナーさん、ひとつだけ訊きたいコトがアリマス」

 

 改まった態度のタイキシャトルに、どうやら質問に対する真剣さが見える。

ただの日常的な疑問なら、ここに来てまで訊きはしないだろう。

 

「……何かな?」

 

「サツキショーの前にチームルームに届いてた2つのトロフィー、アレはなんデスカ?」

 

 タイキシャトルはどうやらトロフィーをしまっておくために用意したガラス棚の、本当に一番隅に置いていたあの2つのトロフィーに目敏く気付いていたらしい。

タイキシャトルが補習を終えて戻ってくる前に片付けたし、特に話題にもしていなかったので気付いていないと思っていたが。

 

「あれはアルバスタキヤとUAEダービーのトロフィーだ。ドバイの大きなレースのものだな」

 

「それはわかってマス。どうしてそれがトレーナーさんのところにあるんデスカ?」

 

「獲ったのが……前に、僕が担当していたウマ娘だった。といっても、大したことはほとんど教えたりしないまま別れることになったけど」

 

「そのこと、スズカとマヤは知ってマスカ?」

 

「さぁ。僕はちゃんと教えてはいないけど、自分で調べたら気付いているかもしれないね」

 

 教えた覚えはないので首を横に振る。

サイレンススズカにも、マヤノトップガンにも、面識のないウマ娘のことだ。

彼女のことを教えたところで、何も得るものはないだろう。

それに元担当と言っても、僕が教えたことはそう多くもない。

本当に、本当に小手先のことを教えたことはあった、という程度だ。

それこそ鼻っ面だけでもゴール板の前に出して勝つためのことを、さわり程度に。

そのあとはもう、何かを教えたりするような暇はなかった。

それなのに今更になって、あんなトロフィーを送り付けてきた理由など、容易く想像出来た。

 

「ノォー……あのトロフィーがチームルームに届いてから、なんだかスズカもマヤもピリピリしてマシタ……」

 

「……そうか。特に気にしなくていいから忘れろ、とあれほど言ったのに……さっさとゴミ箱に投げ込んでおけば……」

 

「ノーッ!捨てるのはダメデス!アレはニコが」

 

 タイキシャトルはハッとして自分の口を手で塞ぐ。

どうやら、本来の話題はそこにあったらしい。

 

「……そっか。タイキは面識があるんだな。今は“Alcor_Alicorn”を名乗る彼女と」

 

 タイキシャトルは、黒く長い髪に紅い眼の彼女を知っている。

それについて触れてこなかったのは、必要がなかったから。

しかし、タイキシャトルは「“Alcor_Alicorn”を名乗る彼女とフユミとの関係」という伏せていた事柄に気付いた。

そして、伏せられていたものに気付いてしまったから、知らずにはいられない。

タイキシャトルはそれとなく断片的に聞き出して推察しようとしたのだろうが、それが出来るほどタイキシャトルは慎重な歩幅では歩けない。

 

「ニコは、ニホンにいた時のことはほとんど話してくれマセンデシタ……トレーナーさんが担当だったことも、ニホンのトレセンにいたこともデス……ただ、やりたいことがある……それだけしか言わなかったデス……ニコのやりたいコトって、なんデスカ?」

 

「やりたいこと、か……僕にはわからないよ。わかるのは、あのトロフィーに入っていたメッセージだけだ」

 

「メッセージ?」

 

 そう、そんなメッセージ程度で僕は動揺した。

隠したつもりでも、爪痕はキッチリと刻まれていた。

そのせいでマヤノトップガンの走りがブレたのだとしたら、まさにメッセージ通りのことが起きたとしか言えない。

 

「……お前(トレーナー)はいらない、だよ」




キタサン引いたはいいけどスピードアイコンにキタサン使えないのどうしよう問題。サンタマヤちゃんと正月フクキタルを完凸出来なかったのが今更になって痛い……

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