逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
「ほほー?3番の子ですか。どれどれ……?ンギャッ!?」
「な、なに?」
マチカネフクキタルがさらりと出走リストを背中のリュックみたいになってる招き猫から出すことに最早何も言うまい。
そう思っていたのに妙な悲鳴を上げるので、サイレンススズカもマチカネフクキタルの反応の理由が気になってしまう。
「い、いぇ……スズカさん、ところで今日はスズカさんのトレーナーさんはいないのですか?」
「え?いないけど……」
タイキシャトルが「思いっきりバーベキューがしたいデースッ!!!」と叫んだのがキッカケで今日はフユミとタイキシャトルはバーベキューが出来るところに出掛けている。
サイレンススズカはアウトドアが好きという訳でもなく、同室のスペシャルウィークが初めての模擬レースに独りで向かうのは心細いだろうと思い、学園に残ることにしたが、マヤノトップガンも「新しく出来た友達と遊びに行く約束しちゃったの」とションボリしながら断ったのが少し意外だった。
マヤノトップガンが友人との約束を反故にするような子ではないのはわかっているが、2択でそちらを選ぶのはちょっと意外だった。
しかし、フユミの所在をなぜマチカネフクキタルが気にしたのか、サイレンススズカは僅かに首をかしげた。
「むむむ……なるほどなるほど……決めました!スズカさんとレースを観るのが、私の今日のラッキーアクションです!」
「えぇ……」
もはや占うことすら放棄したマチカネフクキタルに困惑しつつ、別に静かなのが好きなだけで人嫌いなわけではないサイレンススズカは、そのままマチカネフクキタルとその隣のオドオドしているウマ娘と一緒にレースを観ることにした。
4コーナーを出たところから少し進み、ゴール前2ハロン弱の位置。
実際に立ってコースを観て、サイレンススズカの思考に何かが引っ掛かる。
この位置でなにかあったような、なかったような。
まぁいいか、と一瞬の引っ掛かりを無視して向かい側のスタート地点のほうを見る。
スペシャルウィークも含めてほとんどのウマ娘が多少はゲート練習をしていると思うが、それでも慣れないのか全体的にソワソワしている。
『えーっと、それでは学内模擬レース7ラウンド。ゲート入りが完了して、スタートです!』
今回は実況も練習生なので、不慣れでぎこちない。
もちろん出走するウマ娘も、ゲートの出が全体的にぎこちない。
最初からゲートの出が上手いウマ娘もあまりいないので、それ自体は当然のことだ。
むしろこの中でも一番、ゲート練習を出来ていないだろうスペシャルウィークが出遅れなかったことが意外だ。
フユミが「一回、模擬レース走らせたらあっという間にスカウトの嵐になるだろうな」と彼らしくないほど手放しでベタ褒めしていただけある。
もっとも、スペシャルウィーク本人のいないところでの話だが。
『えーっと!先頭は5番の、ブライトニング!続いて内に4番ガストクラーケ!その後ろからエイトデュレス、外から6番ダークマスターズ!1バ身空けて3番、スペシャルウィーク!外に続いて9番の……アイストリシューラ!ここまでが先行集団、2バ身空けて後続の先頭は2番ゴーストタッチ、並んで外に7番ビギニングロマノフ、その後ろ続いて8番ラプラシアン最後尾!』
9人立てという少人数にも関わらず拙い実況だが、まだ公式戦に出せない練習レベルの実況者なので致し方ない。
先行集団の後方に位置付けたスペシャルウィークは、実際に走り出したら余裕のある様子でペースの乱れなども見られない。
ただ、周囲が気になるのか少しキョロキョロと周りを見回しているが、レース馴れしていない中で多人数の中を走っているのだから、そのくらいは普通だろう。
9人立てのレースだから団子で身動きを取れなくなって沈むということもあまりなさそうだ。
と、言っても所詮は客観的な推測でしかないが。
サイレンススズカは端から見ている時は冷静に状況を判断出来るが、今のスペシャルウィークの位置に自分が実際にいたらきっと上手く走れないのを自覚している。
一般論はわかっているつもりでも、本当にその通りなのかは自分が走れないからわからないのだ。
それでも、苦手であることを自覚していなかった頃よりはまだ、そういうものがあるという程度には理解が深まったハズだと思う。
今もまだ、学んでいることは付け焼き刃の知識にしかなってないし、一時期はその知識に振り回されて全てを見失う所だった。
今はまだ、余計なことを考えなくていい。
思いっきり、走りたいように走りなさい。
その言葉で助けられたから、今も走ることが好きでいられる。
ただ、今はまだ、と仕切られていた未来のことがもうそこまで来てしまっているような気もしている。
ダイワスカーレットと引き分けた桜花賞。
あの時、ダイワスカーレットがどう仕掛けてくるのか自分でわかっていたら、もっと上手く、そして気持ちよく、もっと速く走れたのではないだろうか。
レース前に言われた具体的過ぎる指示が自分の苦戦を想定していたものだったことは、実際に体感してわかっている。
そんな指示をさせたことは、今も少しだけ心苦しい。
きっと、彼が前日にスペシャルウィークにアドバイスを請われてから、問い質したタイム等の記録を聞いてからしばらく考え込んだあとに「このまま開けずに、レース前に“誰にも見られないように独りで開けて読むように”」と渡していた封筒の中身にも、同レベルのことが書いてあるのだと思う。
これでは、彼が見ているだろう自分の未来の姿は、きっとまだまだ程遠い。
「うーん……?」
3日前、スペシャルウィークはクラスの友人に「試しに模擬レースに出てみてはどうかしら?」と言われて、即座に枠が空いているレースに出走申請を出したのだが、実際に走ってみたら思っていた以上に長い距離で、そのことをフユミに話したら、タイムや走った時の感覚を根掘り葉掘り聞き出されたあとに、しばらく考え込んだフユミがプリントの使い古しの紙の裏に何やら書いてから封筒に入れて、こう言って渡してきた。
「このまま開けずに、レース前に“誰にも見られないように独りで開けて読むように”」
この時点でも意味のわからない指示だったが、更にレース前に一人で実際に中を開けて読んだらそこに書いてあることも、意味がわからなかった。
書いてあることは指示らしい指示が2つ。
その2つとも、正直に言えば首をかしげるものだった。
あまりの意味のわからなさに、最初はからかわれているのかとすら感じた。
ただ、からかうにしてはその指示はあまりにも端的で、あまりにもやることが具体的で、そして意図がわからないものだった。
スズカを探せ。見つけたら全力で走れ。
まるで何かの暗号だ。
意味はわからないが、やることはハッキリしている。
これが本当にレースでの指示なのかを疑うような指示ではあるが。
『3コーナーを回って半ば、後続が少し上げてきて……先行集団がそろそろ4コーナーへ差し掛かります!』
観客席側に回ってきて、柵の向こうにポツポツと人影が増えてきた。
スペシャルウィークは前にいるペースが落ちてきたウマ娘をかわしながら、4コーナーで外を回る。
そして、スペシャルウィークは観客の並ぶ中にようやく探していた姿を見つけた。
コーナーを出て少し先のところで立っているサイレンススズカを。
「あっ!よーしっ!」
スペシャルウィークは手紙に書かれた通りに、思いっきり走り始める。
気付いたら集団の外に出ていて、前には遮るものは何もない。
まっすぐに拓けたコースを、脇目を振らずに全力で走り切る。
思いっきり走って、走って、そして最後の力を振り絞るまで走って。
ゆっくりと減速して脚を止めた頃には、ゴール板どころか他のウマ娘達も遥か後ろで脚を止めていた。
観客席の人々は、スペシャルウィークのほうを見たり指差したりしながらどよめいている。
走り切った結果は、たぶん勝ったらしい。
スペシャルウィークは掲示板に載る自分の数字の位置を確かめて、“たぶん”と“らしい”をまとめて吹き飛ばすように、腕を振り上げた。