逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
「裏付け?どんな記事の、なんの裏付けですか?」
「その内容は、他のメディアでは土曜の夜の時点でグリーンニュースでもトピックとして取り上げられていたものです。なんだと、思いますか?」
グリーンニュース、確か深夜に放送しているURAがスポンサーのトゥインクルシリーズを中心にレースのトピックを取り上げる番組だった覚えがある。
専門誌等に属する知識人の出演も多く、ツルツルのハゲ頭をチリチリモジャモジャのアフロでぐるりと囲んだパンクな土星みたいな髪型で有名な月刊トゥインクルの編集長もレギュラーに近い扱いで出演しているハズだ。
フユミにも一度、番組への出演依頼があったのだが、断ったのでそこから先は知らない。
「……わざわざここで切り出すということは、スペシャルウィークに関することでしょう?模擬レースでは圧勝したが、彼女の走りに疑問を感じた……そんな感じの批評が出たんですかね」
「いえ、スペシャルウィークさんの走りはとても素晴らしかった。目を見張るものがあると、概ね賞賛の意見が集まっていました」
「なら、月クルが記事を保留にした理由がわからないですね。その話題を僕に振ったことも含めて」
「……そこで話が終わってないからです。他誌から、今朝の記事に“スペシャルウィーク、チームアルコルへの加入確定!”なんて見出しの記事が出ている……としたら、どうします?」
「飛ばし記事にも程がある。スペシャルウィークにとって迷惑にしかならない誤報だ。急いでたづなさんを呼び出して抗議の必要性を伝えてから抗議と記事の訂正を要求しますよ」
「だとしたら、フユミトレーナーはこれから大忙しになりますね」
やっぱり、という顔で乙名史記者はカバンからプリントを束ねたものをフユミに渡す。
その内容はまさしく「チームアルコルの新星!スペシャルウィーク圧勝!」「スペシャルウィーク、模擬レース圧勝でチームアルコル入り確定か!?」などの飛ばし記事の切り抜きが並ぶ。
中にはスペシャルウィークの模擬レースがあるにも関わらず不在のフユミを批判する記事まである。
「…………なんですか、これ」
「私は昨日まで京都にいたので他の者がスペシャルウィークさんのインタビューに参加したのですが、スペシャルウィークさんがさっきの手紙の話をしていたのが広まって……あとサイレンススズカさんも一緒にいたので……」
「それで、僕が既にスカウトするつもりでいて、実力テストとして彼女に模擬レースを走らせた。圧勝したので正式なスカウトは間違いなし……という記事が広まった。そういうことですか……」
ふざけている。
この飛ばし記事で他のトレーナーがスカウトから手を引いたのだとしたら、彼女にとってこれほどの迷惑はない。
飛ばし記事にするにしても、これは悪質過ぎる。
純朴田舎娘の未来を勝手に書き散らして台無しにしようとしている。
到底、許されることではない。
「えーっと、つまりどういうことですか?」
「スペシャルウィークさんは周りから私と同じチームになる、と思われてるみたい……フクキタルも言っていたわ……」
サイレンススズカと黒鹿毛丸顔娘のやり取りを聞くに、訂正しなければならない範囲は思っているより広いらしい。
フユミは明らかに苛立ちを顕にして、握っているプリントに皺を入れる。
とんだ出鱈目が広まったせいで、将来有望な才媛の未来が台無しだ。
どうすべきか、冷静に考える。
ここでスカウト済みの事実がないことを公言する?
そうしたらどうなる?
本来の予想に違わず、彼女へのスカウトがちゃんと来る?
「……フユミトレーナー、訂正の記事を出しますか?」
「記者さん、質問の意図がわからないです。悪質なデマで彼女はこうして実際に被害を被っている……それなのに、しない選択肢があるような口振りじゃないですか」
「……そうですね。出過ぎたことを話してもいいでしょうか?」
「……同じ話を蒸し返さないなら」
フユミは少しだけ嫌そうな顔をしたあとに、いつもの胡散臭い笑顔で身構える。
乙名史記者の言いそうなことは、ある程度は想像の範囲内だ。
動機や理由はさておき、結論から言えばこのあとに緑の理事長秘書が顔を出して同じことを言うだろう。
まったく、身勝手にもほどがある。
「フユミトレーナーはスペシャルウィークさんを自身でスカウトするつもりはないのですか?」
「ありません」
「えぇぇぇ……そんなぁ……」
乙名史記者の後ろで愕然としている道産子娘をサイレンススズカが宥めている。
本人としては八方塞がりになったように思えたのだろう。
実際に袋小路に入り込んだような状態では、あるのだが。
「理由は今更問いません。ですが……貴方は自分が見出だした才能を、アテもなく放り出せますか?」
「たまたま僕はキッカケがあって見つけただけのことです。それに、身の程は知っているつもりだったのに、いつの間にか、それを忘れていたことに気付かされました」
フユミがちらりと目線を向けた先は、トロフィーを飾っているガラス棚。
上からサウジ、朝日杯、ホープフル、シンザン記念、弥生賞、スプリング、桜花賞。
そして、一番下の段の隅っこに、日本では見慣れない2つのトロフィー。
あるべきハズのトロフィーが1つなく、あるハズのないトロフィーが2つある。
「あのトロフィーはドバイの……では、本当に彼女は……」
乙名史記者はメモに留めていた、ある名前を思い出す。
アルバスタキヤとUAEダービーを勝った所属不明のウマ娘、アルコルアリコーン。
トレーナー不帯同、所属不明、インタビューにも英語で最低限のことしか話さない寡黙な黒い髪に紅い目のウマ娘。
ドバイレーシングクラブも扱いに困り、なんとか聞き出したトレーナー名がフユミだった。
当然、フユミの担当にそんなウマ娘はいない。
しかし、かつて、と前置きすれば、話が変わってくる。
名前こそ言わないが、彼が自分のことを話すのに真っ先に出るデビューを果たすことなく学園を去った3人のウマ娘だ。
「彼女は僕を排して、ついに勝利した。対して僕は、マヤを勝たせられなかった。だからそこには皐月賞のトロフィーがなく、ドバイのトロフィーが2つある」
皐月賞のトロフィーがない、と言ってもマヤノトップガンは2着だ。
悲観するような大負けだとは、誰も思うまい。
しかし、フユミはそうではないらしい。
ここにある2つのトロフィーは、ドバイで2勝したあの黒い髪のウマ娘が彼の元担当だったという噂が本当だったことを示している。
本人には深く立ち入ったことは聞いていないが、どうやらあまりよろしくない別れをしていることは確かで、それでいて今もここにトロフィーが届くくらいには拗れた関係ではあるらしい。
しかし、しかしだ。
「あのトロフィーは、彼女が僕を否定するために送ってきた。勝つのに僕などいらない、とね。改めて突き付けられないとすぐに忘れてしまうくらい、どうにも僕は自分で思っているより図に乗りやすい性格らしい」
「図に乗りやすい、ですか」
「あまりにも恥ずかしいことで、恥じることすら恥ずかしい。これが、本来の僕です」
フユミにとって自分の評価は、今いるサイレンススズカ達より、学園を去った3人の元担当のほうが適切らしい。
しかし、それでは、あまりにも。
「だったら、この半年の成績はどうなりますか?今ここにいるサイレンススズカさん達は、フユミトレーナーとここまで共に歩いてきたんじゃないですか?」
「そう思ってくれてることまでは否定しないです。ですが、僕が勝たせたなんてことは絶対に言いません。スペシャルウィークが手にしているその紙も、あったから勝てたものでも、なければ負けていたものでもありません。スズカが思った通りの位置で観戦していて、スペシャルウィークが思ったようにスズカを探して、その結果は思ったように勝てるレース運びになった。途中で放棄しても道中さえ考え込んで抑えていれば、ほぼ勝てる状態だった。そこに僕の想像を遥かに上回る誤算がなかった。それだけのことです」
「それだけのこと、ですか」
「それだけのこと、ですよ」
フユミは、それだけのこと、だと言い切った。
乙名史記者の口から、思わず否定の言葉が出そうになる。
しかし、それは口にしてはならない。
それは、記者の領分からはみ出している。
だから、言いかけた言葉を飲み込んで、訊くべきことを訊く。
「フユミトレーナー、2つほど訊いてもいいですか?」
「どうぞ」
「スペシャルウィークさんをスカウトしない理由は自身の能力の問題で、スペシャルウィークさんに非はない、ということですか?」
「そうです」
「フユミトレーナーにとって、トレーナーとはなんですか?」
乙名史記者の質問に、フユミは肩を竦める。
答えに悩むというより、答えることを諦めているような、そんな態度で。
「制度以上のことはわかりません。わからないから、僕は力不足なんですよ」