逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
「すまなかったね、スペシャルウィーク。とんだ災難に遭わせた。すまないが、君の担当にはなれない」
「あ、いえっ!そんな……」
乙名史記者が部屋を出たあと、頭を下げたフユミにスペシャルウィークは戸惑う。
目の前で頭を下げたトレーナーは、自分の才能を高く評価してくれている。
しかし、スカウトする気はないというのだ。
トレセンでは常に優秀なウマ娘を探してトレーナーがギラギラした目でウロウロしているから気を付けろ、とお母ちゃんは言っていた。
だから、この状態には戸惑っていた。
担当を断られる理由としては、少し想像出来なかった理由だし、断る態度も本当に申し訳なさそうにしている。
「ちゃんと君が僕の担当になったなんて話が誤報だと周囲にわかれば、スカウトが相応に来るハズだ。ちゃんといいトレーナーを選びなさい」
「あ、あのっ!トレーナーさん、私は」
「僕がいい、なんてのは冗談でも言い出さないでくれ。君はレース経験の無さくらいしか死角になるところがなかった。僕はそこをちょっとしたつまらない小細工で埋めただけだ」
「つまらない、小細工……」
スペシャルウィークは両手で持つ手紙に視線を落とす。
模擬レースで勝った時、この手紙が魔法のようにすら見えた。
しかし、フユミはなんてことのない、つまらない小細工だと言う。
なんだかそれが、ひどく悲しい。
つまらない小細工と言われた手紙も、それで手にした勝利も、色褪せて滲んでいくようで。
「トレーナーさん、怒りますよ」
「もう怒ってるだろう。スズカ、君が腹を立てても、僕にはどうにも出来ないことがいくらでもある。君達をちゃんと勝たせ続けることも出来てない半端な僕が、更に担当を増やすなんてのは、その最たるものだ」
「違います。そんなことじゃありません」
「スズカ?」
スペシャルウィークが視線を上げると、隣にいたサイレンススズカは、いつの間にかデスクを回り込み、フユミの横に立っていた。
スペシャルウィークが知る、いつもの静かで落ち着いていて、綺麗でちょっとマイペースなところもあるサイレンススズカが、耳を絞って、肩を震えさせて、顔をしかめて、睨みつけて、そして、泣きそうな目をしていた。
「トレーナーさん……私が模擬レースで勝った時、置き手紙だけしていなくなるなんて……ひどいことをしました」
「あぁ、それは……うん。今でも耳に痛い」
「スペシャルウィークさんにも、同じような思いをさせるんですか?」
「えっ?」
その瞬間、フユミはサイレンススズカに両肩をがしりと手で掴まれて、背もたれに押し付けられ、膝の上に片膝を乗せられ、捕まえられた状態で迫られていた。
どうやら、サイレンススズカは相当怒っているらしい。
「トレーナーさんのアドバイスで、初めてレースで勝って……ものすごく喜んでたんですよ!?なのに、嬉しかった気持ちをこうやって振り回されて……私にしたことと同じことをするんですか!?」
「スズカ、僕は……」
サイレンススズカがフユミに掴みかかった瞬間に、スペシャルウィークは決意した。
サイレンススズカとフユミが、自分のことで喧嘩になっている。
そんなの、自分に本当にスカウトが来るのかわからないことよりよっぽど嫌だ。
だから、2人の言い合いを止めてからこの部屋を出よう。
そう思って止めようと一歩踏み出した時だった。
prrr……
ポケットの中にあるスペシャルウィークの電話から着信音が鳴った。
「…………出て、いいぞ」
「……そうね。出たらいいと思うわ」
「あ、はい……出ます……ね……?」
フユミに掴み掛かっているサイレンススズカがひとまず止まって、とりあえず喧嘩は中断された。
そのことを確かめてから、スペシャルウィークはポケットから電話を出すが、画面に表示されている番号に心当たりがない。
とりあえず向こうも携帯からかけているらしい。
お母ちゃんはフリーダイヤルは即刻切ってブロックしろ、そうじゃなかったら出て知り合いの知り合いを名乗ったり金の話をしたら切れ、30過ぎてから音信不通だった同級生が冠婚葬祭以外で呼び出してきたらネズミ商法だから縁を切れ、って言っていたような気がする。
とりあえず他の人もいるし、試しに出てみよう。
そう思い、通話をタップする。
1拍、間を置いてから能天気で陽気な声がスピーカーの磁石を揺らして部屋に響いた。
『はーい、アタシはおはようの時間だけど、そっちは……こんにちはの時間で合ってるかなー?いやぁ、電話だからもしもしでいいか!もーしもーし!アタシアタシ!アタシ様だよ!』
「だっ、誰ですか!?」
『あーれーれぇ?もう忘れちゃった?あんなに悪い人って怯えてたのに忘れられちゃうなんて、お姉さんは悲しくって夜になったら枕がグッチャグチャになるくらい、泣いちゃうなー?』
「スペシャルウィーク、なんでソイツが君の電話番号を知っている?早く切れ」
電話の声の主に、電話を手にしているスペシャルウィークよりも先にフユミが気付いて反応した。
フユミの態度は、サイレンススズカも初めて見るほど不機嫌で苛立っていた。
『おーい、聴こえてるぞー?愛しの愚ッ弟!』
「聴かせてるんだ、クソ姉。スペシャルウィーク、さっさとその電話を切って着信拒否にぶちこんでおきなさい」
『お、着信拒否なんてしてみろー?今度はあの緑の服着た人の電話から呼び出すぞー?』
「えっ?えっ!?」
スペシャルウィークは自分の携帯越しにフユミが、あの怖いウマ娘のお姉さんと喧嘩を始めてしまったことにオロオロしてしまう。
電話の声を聞いた瞬間に明らかにフユミの態度が一瞬で変わった辺り、ただならぬ関係らしい。
基本的にちょっと怖い笑いかたをしているフユミの表情が、明らかに忌々しげに眉間に皺を寄せて電話を睨んでいるのだ。
『さーて、挨拶もそこそこにしよう。スペシャルくん。このとーっても頭脳明晰で素敵なお姉さんが、今のその部屋の状況をピタリと言い当てちゃおうかぁ。キミは大方そこにいるムスッとした顔のポンコツから、ごっちゃごーっちゃと勿体付けた言い訳もそこそこに『君のトレーナーにはならない』とか言われた直後じゃぁないかなぁ?まぁだ言われてないんなら、今にも言い出そうとしてたと思うけど、どーかなー?はい、正解はー?』
「えっ、あっ、はい」
「バカッ、答えるな!」
『はーい、正解!流石だな、アタシ。ホラホラ、凄いと思ったら手を叩こう!はいはい!流石だと思ったなら態度で示そう!ほら、皆で手を叩こう!はいはい!』
捲し立てるような、あるいは、囀ずるような、そこに本心などまるでないような、まるで鐘を雑に叩いて鳴らしたような、核心を突いたような、ギターの弦を手元を見ずに掻き鳴らしたような、まるで的外れのような、音程も音階も楽譜もない、野放図な騒音のような語り。
わからないことが多すぎて、まるで掴めない雲に包まれたような感覚がする。
ひとつだけハッキリしているのは、電話口の向こうにいる声の主は、この部屋で起きていることをまるで千里眼で覗き込んだかのようにわかっていること。
どうやって、なんて疑問は何一つとしてきっと解けやしない。
訊いたところで答えるハズもないことは、明らかだ。
いや、答えられても理解が追い付かないだろう。
これはそういう理不尽な存在だと、少し語った程度でもわからされる。
きっと、自分達とは違う倫理観や法則で生きているのだ。
言葉は通じても会話が出来ない、これはそういう生き物だ。
そう、わかってしまう。
『やい、そこの姉不孝!お前の3日ほったらかしたコッペパンみたいな脳ミソでもわかるよーに話してやるから、よーくよーく聞こえの悪いそのヒト耳の穴かっぽじってぇ、とくと聞けぇ?この携帯持ってる……持ってるよね?机に置いてるとかじゃないよね?スペシャルくんは日本一のウマ娘ぇ……だったっけ?まぁいっか。なんかぁ、そんな感じのになりたいとか、なんとかかんとか、ごちゃごちゃなんか言ってたようなぁ言ってなかったようなぁ、そんな感じな気がするから、まぁしっかり育て上げなさいな』
「何を勝手に!お前に関係ある話じゃ」
『関係なら、あーるよー?この子を北海道の片田舎から遥々そこまでエスコートしたのはアタシ、ついでに一宿一飯の恩義ってものがあーんのよ。どーよ?関係あるでしょー?そもそも、アタシがやれ、って言ってるの。ま、そのうち気が向いたら見に行くから、グダグダ抜かさずしっかりやんなさいねー。それじゃ、ボンボヤージュ!ばーいばーい!』
ピッ、と電子音がして、電話のスピーカーがようやく静かになる。
同時にスペシャルウィークは疲れがどっと出て、腰砕けになって床にへたりこむ。
携帯はなんとか落とさずに済んだが、床に手を置いたら指から力が抜けて、こつん、と手のひらから床に滑った。
「トレーナーさん……今のは、なんなんですか?」
サイレンススズカも聞き疲れたのか、ゲンナリした顔でフユミに寄り掛かって問い質す。
対するフユミも手で頭を抑えて、疲れた様子を露にしている。
伺える顔色も、疲れ切っているのか、かなり悪い。
しばらく間を置いて、フユミはこれ以上ないほど正確に、電話の主と、その関係性を一言で示した。
「…………
(よし、楽しく話せたな)