逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー   作:エアジャガーる

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杮落としは、雨の中

「……サイレンススズカ、ですか?」

 

理事長は自分の中では根拠のあることしか言わない。

つまり、誰かしらに期待があるという裏返し。

その候補は、サイレンススズカしかいない。

 

「うむッ!かの優駿が起こす疾風ッ!それはここより抜け、飄嵐として世を駆けるッ!」

 

理事長はサイレンススズカを高く買っているらしい。

確かに、ここ数日のサイレンススズカは間違いなく昇り調子だろう。

だが、それを結果に繋ぐにはあまりにもあらゆるものが不足した。

 

まず、時間が足りなかった。

相互理解が足りなかった。

巡り合わせも悪かった。

噛み合わせも合わなかった。

 

なかったものとダメだったものを事細かに挙げればざっと50ほどある。

 

しかし、それでもだ。

それでも、ここでサイレンススズカが勝ったならば。

 

まだ、たづなさんの胸の内にしまっている封筒を何としてでも、どうにかしなければならない。

八方手を尽くして、それで足りなければ十六方手でも、なんなら三十六方手をももってしてでも。

 

 

 

 

 

 

 

「レース場には行かなくていいのか?フユミトレーナー」

 

観覧客向けのカフェテラスで壁モニターを見易い席に座ってコーヒーを啜るフユミの席に、一人の男が来た。

何も言わない内に勝手に相席で座った男の顔と名前くらいは、フユミも知っている。

 

「貴方こそ、でしょう?ハルヤマトレーナー。今回の模擬レースに出走するのは、貴方の担当ウマ娘です」

 

「まだ君が出すべき書類を出していないだけのことだ。俺は既に、スズカは君の担当だと思っている」

 

「スズカ、ね」

 

茶髪のスーツ姿の男、ハルヤマは勝手に追加で紅茶を頼んでいる。

せめて個別で注文しろ。

フユミは少しだけイラッとしたが、用件には都合がいいので我慢することにした。

 

「聞いたよ。スズカをだいぶ甘やかしたらしいね」

 

「僕なりの最適解でした。あれでダメならサイレンススズカは潰れるしかない」

 

「それは、復讐かい?」

 

ハルヤマはふふん、と笑いながらさらりと言う。

コーヒーカップで口許を隠しているフユミは、僅かに目を細める。

 

「何に対しての?」

 

「サイレンススズカと、ついでに俺への」

 

「何を復讐する必要が?」

 

「だって、君の担当していた三人がターフを去ったのは」

 

「僕の指導力不足です。それ以外はない」

 

「……としか、君は言わないだろうね。トレーナーの鑑だよ、君は」

 

フユミはハルヤマからの侮蔑にも近い目を正面から見る。

 

「なら聞きますが、貴方のところにいるダイワスカーレットがティアラ路線に行くのは表明済みだが……そのティアラ路線で全冠を路線で競合するエアグルーヴが奪って行ったら、貴方はエアグルーヴを恨むか?」

 

「恨まないよ、なんてキッパリ答えられるほど俺は人間が出来てない。たぶん、悔しさで机を殴るくらいはするさ。もっと他に出来たことがないか悔やんでね。ただ、それでもレースは他にある。まだ走らせてやれる。その時はそれで納得するさ」

 

もっとも、スカーレットが負ける余地などないがね。

ハルヤマはそう付け加えて答えた。

 

「同じですよ。全ては僕の指導力が招いたこと。恨むのも、責任も、全てはそこにしかない。他の理由を探すのは、ただの現実逃避だ」

 

「そんな指導力に問題ある君が手を入れたスズカは、このレースで勝てるかい?」

 

ウェイトレスから砂糖とミルクアリアリの紅茶を受け取り、一飲みしたあとにハルヤマは訊いてきた。

 

「勝ちますよ。貴方が育てたサイレンススズカは、間違いなく強い。今でも並のクラシック級程度なら影だって踏ませない」

 

「なら、答え合わせと行こう。こんなところで遠巻きにではなく、直接わかるところに」

 

「これから雨予報だ。風邪を引きますよ?」

 

「それはこれから走るウマ娘全員がそうだろ?」

 

「ダイワスカーレットに風邪を伝染すつもりですか?」

 

「多少の雨で風邪を引くような奴がトレーナーになると思うか?」

 

「僕は風邪を引くトレーナーなので」

 

ハルヤマトレーナーははぁ、と肩を竦めると持ってきていただろうカバンから透明なビニールの袋を渡してきた。

中身は、ビニールの合羽だろう。

 

「こんなモニター越しでわかることなど、観客席の一割もない。そうだろう?」

 

「貴方がわからないだけです。僕は既に決着がわかっている」

 

「レースに絶対はないよ」

 

「絶対はない、という絶対もない」

 

「わかったわかった。なら俺に付き合え。ここの会計は俺が持つから。それでどうだ?」

 

コーヒーが奢りになった。

これで断るほど、フユミも強く出る理由はない。

 

「レースの決着が一番わかりやすいところでなら」

 

 

 

 

 

 

「いかんな、降ってきたか」

 

予報は、レース開始の頃合いに雨が降り出す予報だった。

そして、予報より少し早く、細かい雨が降り出してきた。

観客席は合羽と傘が並び出し、ターフは葉が濡れ、景色は暗くなっていた。

 

「うわ、もう雨だよ!」

 

「やだー、雨女は誰よもう……」

 

「走ったら泥だらけになっちゃうじゃない!」

 

「……ふふふ……てるてる坊主を逆さ吊りにした甲斐が……」

 

パドックに出る前の屋根の下、他のウマ娘達が雨に騒ぐ中で、サイレンススズカは目を閉じて手を合わせたまま、静かに考えていた。

このレースを走り抜いたあと、トレーナーは何を言うだろう。

好きに走れと言ってくれた声に、応えたい。

そしたら、私の走りを認めてくれるだろうか。

 

そんな中で、他のウマ娘がざわついた。

 

「スズカ先輩」

 

声をかけられて、目を開く。

そこにいたのは、久しぶりに見るやたら大きなツインテールの中等部の娘。

同じトレーナーの元でメキメキと実力を付けていた、ダイワスカーレット。

既にメイクデビュー戦も勝っている、すごく優秀なウマ娘だ。

 

「スカーレット……久しぶりね」

 

「はい、久しぶりです。レース前に無性にスズカ先輩の顔を見たくなって、ここに来ました」

 

「私の……?それで、私の顔を見た感想は?」

 

「実は、物凄くいろいろ言いたいことはありました。でも、スズカ先輩の顔を見たら、全部吹き飛びました。ただ」

 

ダイワスカーレットは一瞬躊躇い、それでも右手が伸びた。

人差し指を、サイレンススズカの前に突き立てて。

 

「私、スズカ先輩には絶対に負けませんから!それだけです!では!」

 

そう言って、ダイワスカーレットは走り去る。

負けない、って明らかに言うことが違うだろう。

向こうは既にメイクデビューも勝ってるというのに、こちらは模擬レースだ。

なんで、そんなことを言うんだろう。

 

わからないけど、とりあえず今は走ろう。

 

ついに係員の合図でゲートインが始まる。




降り出した雨により、バ場状態は稍重発表となってしまいました。
私は雨の日が嫌いです!何故なら走りにくいからです!報告は以上です!えっへん!

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