逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
「電話は終わったか、マイカ」
「終わったわよぉ、聞いてた通りにね」
ネグリジェ姿のスカイズプレアデスは画面の終話をタップしてから端末をベッドに放り投げると、ノックしてからカートを押して部屋に入ってきた作業服の中年男を、気だるげに一人掛けソファに座って足を組み頬杖を突いたままの姿勢で出迎えた。
電話の最中の些細で唯一のアクシデントであったこの男の入室を、スカイズプレアデスは視線の刺突と掌の圧力だけで追い返したのだ。
「お前、弟君の番号はわからないんじゃなかったか?」
「うん。だから、なかなか上等な連絡手段を作った。偶然の産物だし、いつまで使えるかも、わからないけど」
スカイズプレアデスは気だるげな姿勢を改めるでもなく、組んで浮いている爪先でスリッパをふりふりと弄びながらニィと笑う。
その様子に、中年男は少し生え際が気になってきた額を手で抑えながら溜め息を吐く。
「いやぁ、学費に結構な大枚叩いてトレセンに放り込んだ甲斐があったわ。あんな大きい声を出せるようになってるんだもんねぇ」
「まったく……お前は弟君に嫌われている自覚はあるのか?」
「ん?そりゃあ当然。そうじゃないと困る。嫌われてるくらいじゃ、まだ手緩い。そんな程度、可愛い内からすら出られちゃいない」
手のひらを上に向けて指を広げるスカイズプレアデスは、口許ではまるで慈母の彫刻のように微笑みながら、駅前で空の缶詰めを前に置いて不平不満を歌っているバンドマンを見るような目をしながら言う。
その姿勢はソファに座っているというより、どこか高いところから下を見るような姿勢で。
「彼を強引に養成施設へと放り込んで、今や彼は中央トレセンのトレーナーだ。改めて訊きたいが……どうして、そんなことをした?」
「簡単なことよ。誰の思い通りにもならなかったから。実に最高じゃない。目論見、企み、皮算用、淡い期待、全部ぜーんぶ丸潰れ。これが面白くなくて、何が面白いのよ?」
わざとらしくスリッパを床に落とし、爪先まで片足をまっすぐに伸ばしてクスクスと笑う。
その笑顔はいつも以上に凶悪で、そして楽しそうで、つまらなそうだ。
「アタシは義理と言っても唯一の弟を失ったし、貴方達もアタシの脚以外を何も手に出来なかったし、弟はアタシという錨と舵を失った。誰もが当たり前に思っていた今をアッサリと失ったなんて、この上ない喜劇でしょう?それに、貴方達は何も失ってない。ただ、アタシの無双の玉脚だけを手に出来た。果たして、そのことを損失だと思えるのかしら?」
言外に彼女は問うている。
自分の脚より弟のほうが惜しいのか、と。
否を突き付けるにしても、彼女の脚はその実力であまりにも硬い防壁を築いている。
彼女の脚への自賛の言葉は、聞いていて苛立ち腹立たしくはあるが、認めざるを得ない。
その脚が生えているのが、スカイズプレアデスからであることを除けば。
「お前と話していると頭痛がしてくるな。話は終わりだ。朝飯を口に突っ込んでしばらく黙っていてくれ」
「はいはーい、今日のモーニングはなーにかな?ベーコンにサニーサイドアップにソーセージ、そいでもってレタスサラダと……ちっ、トーストにコンソメスープか。パン食文化圏はこれだから住む気になれないわ」
中年男が朝食の載ったサービスワゴンをスカイズプレアデスの前に押しやると、蓋を外して載っている朝食にあーだこーだと言いつつ、食い始めてようやく静かになる。
何かを食ってる時と走ってる時は口喧しくないのでまだマシだが、口を開いた瞬間に頭痛を覚えるような語りが始まるので嫌になる。
初めてのインタビューの時に一つ目の質問で時間いっぱいに一方的に話し続けた実績もあるので、マスコミ向けのインタビューも受けさせられない。
結果的に実力に比せずピックアップされない状態のスカイズプレアデスに、辟易としている。
しかし、実力は折り紙付きで手離せば他の会社がすぐに拾うこともわかっているから手離すことも出来ない。
彼女を手離せば、次のレースからは自分達が長旅してきては目の前にいる蒼い理不尽に蹂躙される側になるのだ。
こんなのと仮にも義理でも姉弟をやっていた青年に、ある種の尊敬と同情を覚えてしまう。
仕事上の関係でも辟易とするのに、親類としての関係など、到底持ちたくはない。
少なくとも朝から一時間もしないで既に、朝食を部屋に運ばせて、運んできたら電話中だと睨まれて、電話が終わったあともこの調子で、レース中以外は理不尽の塊なのだ。
いや、その評価も正しくはない。
レース中だって理不尽なのだ。
その理不尽の向きが、自分達に向いていないだけでしかない。
レースの間、彼女の理不尽は窓の外、朝焼けに照らされるモナコ、モンテカルロの港町に振り撒かれることになる。
「あっ、ブラックペッパーはどこかしら?このタマゴ、ブラックペッパー振ってないんだけど」
「調味料はワゴンの下の段だ。勝手に出して勝手に使え」
「トレーナーさん、いったい今の電話はなんなんですか?」
しばらくしてから、自分がもたれ掛かっていることに気付いたサイレンススズカは飛び起きてフユミから離れてから、改めて問い質す。
まるでこの部屋の中を最初から見ていたかのように状況を言い当て、フユミが拒否しようとしたスペシャルウィークを担当しろと強引に言ってきた、聴いているだけで耳障りなフユミの姉を名乗る女の声。
声も内容も不愉快極まったあの電話がなんなのか、問わずにはいられなかった。
「アレは、紛れもなく僕の姉だよ。義理だけど」
「義理……ですか」
義理の姉というところに、スペシャルウィークは納得してしまった。
つまり血が繋がってない、元を正せば他人という意味なのをスペシャルウィークはすんなりと理解した。
よく見ないとほとんどそっくりな笑い方も、改めて振り返るとフユミのほうは不自然だった。
サイレンススズカが彼の笑顔を毛嫌いしていたのは、この不自然さもあったのだろう。
「僕に養成施設の入院試験を受けさせて、学費全部前払いしてまで、ここに送り込んだ元凶……そう言ったらわかるかな」
「えっと、それだけ聞くと、義理の弟の進路にとても親切に助けてくれた素敵なお姉さん……に、なっちゃいますけど……違うんですよね、えへへ」
スペシャルウィークは自分で言いながらその表現があまりにも現実から乖離していることに、苦笑しながら否定する。
彼女が親切さだけでそんなことをするようなら、フユミが露骨に顔をしかめながら話したりしないだろう。
「養成施設の同期にこの話をしたら同じように言われたから、二度と言わないことにしていた。しかし、よりにもよってスペシャルウィーク、アレが君に目を付けるとはね……」
「トレーナーさんのお義姉さんは、スペシャルウィークさんをどうしたいんですか?トレーナーさんに、何をさせたいんですか?」
「僕に何をさせたいのかは、だいたい察している。だからこそ、君達には言えない。知ってほしくない。耳を塞いでいてほしい」
フユミの嫌がるというより苛立つような困ったような顔色で口を閉ざす珍しい様子に、サイレンススズカは考える。
フユミがとことん嫌って、縁まで絶とうとしていたらしい相手だ。
そんな相手が何を考えているのかはわからないが、その延長線には無関係なハズのスペシャルウィークが巻き込まれている。
スペシャルウィークとは短い付き合いだが、それでも善良かつ前向きで好ましい性格のウマ娘なのはわかっている。
そのスペシャルウィークに累が及ぶようなことなら、聞き出さない訳にもいかない。
彼をトレセンに送り込んだ理由と、スペシャルウィークに目を付けた理由は、きっと同じところに根差しているのだ。
「トレーナーさん、教えてください」
もう一度、問い質す。
訊かなければ、いつかそのことに後悔しそうだから。
それに、普段なら仕方なく答えてくれる。
そう思っていたサイレンススズカの予想に反して、フユミの口はいつも以上に固いものになっていた。
しかし、今となってはその態度こそが彼の表せる答えなのだとわかる。
「……教えられない。君達には、君達でいてほしいから」
気付けば一周年でした。未だに話の佳境にも入ってません。凸凹で醜い二次創作だけど気長に付き合ってね。