逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー   作:エアジャガーる

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アップキープ・ステップ

「うーん……」

 

「トレーナーさん?」

 

 大したトラブルこそないが、それなりに慌ただしい一週間を経た。

スペシャルウィークのことは、ひとまず乙名史記者に「担当契約については誤報」という事実だけを月刊トゥインクルに載せてもらい、ウマッターのほうにも「チームに新規の加入者があれば告知します。今はありません」とお知らせを掲載して終わりにした。

仕事終わりにハルヤマに呼び出されて居酒屋に連れ出されたり、たづなさんがチームルームに訪ねてきたりもしたが、最終的に全員がフユミに言いたいことはつまるところ「スペシャルウィークを引き受けては?」だったことに少し辟易としながら、週末を迎えた。

 

 今日は、NHKマイルの日である。

 

 スペシャルウィークのことはもちろん、マヤノトップガンのダービーのことも、今はひとまず置いておく。

今、気にしなければならないのは、タイキシャトルの仕上がりと今日のレース展開だ。

 

「タイキ、身体はちゃんと動くか?重かったりとかはないか?」

 

「動きマスヨ?ウズウズして早くレースしたいデース!」

 

 タイキシャトルの調子が万全なのは、一目で明らかだ。

その上で意味もなくソワソワして落ち着かない自分が、嫌になる。

 

「タイキ、脚の具合を確認するからね」

 

「……オーケー」

 

 何かを我慢するように顎を引いたタイキシャトルの反応を見るに、あまり触って欲しくないらしい。

あまり長々と触らないように、改めて手先に集中して爪先から撫でていく。

足裏から踵はしっかりと張っていて、それでいて肌の強張りは感じられず、すべすべとしている。

足首を伝って、ふくらはぎを撫でていけば、スプリングステークスの時よりも、内の筋肉が更にしっかりと張ってきているのがわかる。

それでいて肌周りは手のひらで圧した力を受け止めて跳ね返せるしなやかさを増してきた。

以前のフィジカル任せのごり押しに特化した脚から、意図的に溜めた脚を長く使っていける燃費のいい脚になってきているからこその僅かな変化だ。

今の脚なら後半4ハロンでのフィジカル頼みのごり押しだけではなく、中盤のほんの一息入れて溜めた末脚で長く走っていけるハズだ。

太ももを下から手のひらで持ち上げた時の弾力と重さにも、確かに手応えがある。

太もも全体が潰れて広がったりせず、しっかりとした筋肉の張りがある上である程度のしなやかさもある。

手のひらで持ち上げた太ももをそのまま指で挟むように圧して肌をなぞり、凝りとかがないかを確かめるが、問題はなさそうだ。

天賦の暴力的とも言える加速力を叩き出す能力はそのままに、長く末脚を使える燃費の良さと末脚を叩き付けた時のバネのしなやかさを少しずつ併せ持ってきているのは間違いない。

 

「トレーナーさん、ソノ…………」

 

 少し困り顔で口許を手で隠しているタイキシャトルの言葉で、スケジュール的にあまり悠長にしていられないことに気付く。

早く、靴を履かせて送り出さねばならない。

 

「そうだな……ソックス、今日は少し厚手なのを履かせるからな」

 

「ハイ…………ッ……」

 

 何本か用意した中から、厚手の化繊のモノを選んで取り出し、爪先を手で撫でながら指先を揃えさせて、ソックスの口に入れて、くるぶしまで入ったらソックスの爪先に指をしっかりと伸ばさせて爪先から踵まで撫でてちゃんとフィットさせる。

そうしたら、膝上までソックスの口を上げて、踵から膝の裏まで手のひらで撫でるように生地を伸ばして、膝下がフィットしたら脚を伸ばさせて太ももまでソックスの口を引っ張り上げて、最後にソックスが縒れてないか手のひらを滑らせて確かめる。

最後にブーツを差し込ませるように履かせて、ようやく支度を終える。

ここまで終えたら、あとは送り出すことしか出来ない。

 

「……ホゥ……トレーナーさん」

 

 タイキシャトルの脚に靴を履かせ終えて立ち上がろうとすると、少しだけ顔が赤い感じがするタイキシャトルが椅子に座ったまま、両腕を広げてこちらを見る。

 

 どうやらひとつだけ、まだ出来ることが残っていたらしい。

タイキシャトルに促されるように、こちらからも腕を広げて、彼女の背中に手を回して抱き締める。

少し遠慮がちにハグを求めてきたのも、腕の力がいつもより加減が甘くて強いのも、さすがに大舞台の緊張があるからかもしれない。

緊張させたのだとしたら、余計な心配をしている自分のせいだろう。

送り出せばそのまま勝てる、とわかっているのに無意味な心配で緊張させるなんて、バカバカしいことだ。

タイキシャトルの背中に手を回して、そのまま抱え上げるように立ち上がらせる。

 

 自分があれやこれやと心配する段階ではない。

 

「今日、タイキがやることは3つだ。スタートからいつもより前に出る。コーナーはインを気にせず思いっきり振る。仕掛ける時は左足から。いいね?」

 

 指折り数えながら、要点をタイキシャトルに伝える。

レース展開の予想をある程度絞った上で、起こり得るトラブルからタイキシャトルをもっとも遠くに引き離すために必要なポイントを最小数にまとめた。

残った要素は、タイキシャトルの地力で撥ね飛ばせるモノしか残らないハズだ。

 

「イエスッ!」




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