逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
「うっ!」
パイライトボムがまばたきした一瞬で、グリズリーベアは足を滑らせていた。
こんなバッドコンディションでのレースだ。
1人か2人は転んだっておかしくないことは、前もってトレーナーとも念入りに確認していた。
だからこそ、即座に立て直せないことが間違いない躓き方なのを、すぐに理解出来た。
飛び込むか転がるかして、内ラチの向こうに逃げるしかないだろう。
幸いにして後ろが離れているから避難は間に合うハズだ。
問題は、自分がどう避けるか。
既に外に跳ね始めているタイキシャトルに続くか。
そうするにしても、自分はタイキシャトルより内ラチ側を走っていて、外に出しても位置的に避けきれないのではないか。
外から内に倒れていく背中と、滑ったせいで投げ出される脚を見て、咄嗟にパイライトボムは踵から地面に触れるように脚を伸ばして、踵を地面に引っ掛けたのをキッカケに勢いでそのまま膝を折り内ラチに向かって踏み込む。
目の前のタイキシャトルに対して、自分が今持っているアドバンテージはどこにあるか?
それはたった2つしかない。
その2つを使い切らなければ、勝負にすらなりはしない。
1つ目はタイキシャトルより内にいること。
そしてもう1つ。
『パイライトボム!グリズリーベアを躱して!?』
緊急避難の妥当性。
横並びに近付いていたタイキシャトルは外に逃げるしかないが、その後ろにいた自分はグリズリーベアの上を飛び越したとしても『咄嗟の判断による緊急避難』で審議をパス出来る。
そして着地のロスは今の濡れた芝なら滑った分で稼げる。
あとは自分が身体を引き起こせなければグリズリーベアの二の舞だが、どの道敗色濃厚ならやれることを全部やって食らい付くしかない。
そこまで割り切って、パイライトボムは塞がったハズの内を飛んできた。
『内ラチに切り込んでいくパイライトボム!このままタイキシャトルの前に出るか!?』
滑るターフにたたらを踏み、それでも致命的なつんのめりをギリギリで踏み越え、心臓が潰れるような思いをして、タイキシャトルの真横に並ぶ。
姿勢を跳んで滑ってから5歩で正し、府中の曲がり角の緩い複合コーナーの内ラチを一気に加速しながら抜ける。
いくらタイキシャトルがフィジカルモンスターなエリート留学生でも、少しくらいはビビるハズだ。
その状態でなら内を取った分の勝機がある。
『いや!並んでない!タイキシャトル前のままっ!』
その大前提は、崩れた。
ターフを跳ね返る水飛沫が顎下を濡らすほど飛び込んで突っ込む最終コーナー出口。
外からスパリと、あるいはザクリと、ターフの葉が刈られる音。
右下から前に一瞬で飛び出す人影。
パイライトボムの外から、尾花栗毛の狩人が牙を剥いた。
「……アクシデント込みの偶然もあったとはいえ、根本的な課題であるスピードの絶対差を突っ込み勝負のコーナリングで埋める……そのためにしっかりターフを足裏で掴まえて踏み込む。やってることはレインバトルの初歩の基本だ。一切間違ってない」
パイライトボムがタイキシャトルの内側になるように追走していた時点で、ある程度は何をしたいのかわかった。
本来なら、グリズリーベアがコーナー半ばでタイキシャトルから退いた隙間を縫って内ラチに飛び込みたかったのだろう。
グリズリーベアの転倒というアクシデントも、起きる可能性自体は頭にあったハズだ。
そうなった時のことも危険予知に組み込んだ上でギリギリでもタイキシャトルに食らい付いていくために、考えに考え抜いたのだろう。
「でもトレーナーちゃん、届かないよ」
「うん、届かない」
フユミに頬を撫でられながらマヤノトップガンは、端的に答えを言い当てた。
ここで外にいたのがタイキシャトルでなければ、きっと足りていた。
「届かない、ですか」
「そう、届かない。踏み込みがどれだけ強くても、踏み込んだ時点でタイキを凌駕しない」
「えっと……踏み込む時の脚の力の差、とかですか?」
サイレンススズカの隣から顔を覗かせて訊いてくるスペシャルウィークに、フユミは仕方なく端的に答えることにした。
ヒントくらいならば、別にいいだろう。
「いいや、脚だけで走っている時点で……タイキには勝てないよ」
スペシャルウィーク一人では気付かないかもしれないが、いずれトレーナーが付いた時にスペシャルウィークがそのトレーナーに訊けばきちんと教えて身に付けさせるだろう。
自分達が秘中の秘と思っていたそれが、外にはありふれていて、他のトレーナーが教えられないことはないことなのは既にわかっている。
桜花賞の最終コーナーでダイワスカーレットがサイレンススズカの前に出た時の脚は、偶然でなければそれに近付いていた。
どうアプローチしたのかはわからないが、少なくともハルヤマは教えられるのだ。
ならば、他のトレーナーだって教えられるハズだ。
「ついでに言えばスズカ、君がやってることの発展系というか……似たようなものだ」
「えっ?私……?」
「スズカさん、どういうことですか!?」
スペシャルウィークがサイレンススズカのほうに食いつく。
サイレンススズカはコースとスペシャルウィークの間でオロオロする間にも、タイキシャトルはどんどん前に出ていく。
それよりも、タイキシャトルのこれからのことだ。
無意識でやっているだろうタイキシャトルのそれは、普段のターフではわからないがこの不良バ場ではさすがに遠巻きでも粗が見える。
我流かつ見よう見まねで身に付けたのだろうから仕方ないことだが、不完全な部分を力任せで押し切っているところがある。
この部分の精度をキチンと上げれば、今の1歩の距離をあと更に2歩分は伸ばせるハズだ。
『タイキシャトル前のまま!パイライトボムを行かせない!そのまま直線を向いて!』
夏に課題を見つけられたのは、今回の大きな収穫だと思う。
そしてこの課題の答えは今、タイキシャトルが走っているコースの更に内側に答えがある。
ここを走れるようなら、少なくとも1600までなら手を付けるようなところはないかもしれない。
4コーナーからの末脚の伸びは、今の時点でも理不尽なものだ。
だからこそ、少し寄り道してでも完璧なものにしたい。
『タイキシャトル!タイキシャトルだ!外から伸びていく!直線で!どんどん伸びる!後ろはサバンナライオンが迫る!もう詰められない!内ももう食らいつけない!捕まらない!捕まえられない!タイキシャトルがそのまま!そのまま勝った!タイキシャトルだーっ!続いてパイライトボムか外からのサバンナライオンの2着争い!』