逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
「トレーナーさーんッ!」
「おっとと、まずは勝利おめでとう」
ウイナーズサークルで飛び付いてきたタイキシャトルの身体を、フユミは少し勢いに負けながら地面を踏み締めてちゃんと受け止める。
ほぼ間違いなく勝てるとわかっていても、勝ったら喜ばしいしホッとするところはある。
抱き締めてきたタイキシャトルの身体が肩から少し湯気が見えるほど熱い内に、雨曝しのウイナーズサークルから下げたいので、スタッフに勝利者インタビューと撮影時間は出来るだけ短くしてもらうようにお願いしよう。
そう思いながら彼女に持ってきたタオルを肩から掛けて、差した傘の下に入れる。
「写真撮らせてくださーい!」
「目線こっちにくださーい!」
「ハーイッ!cheese!」
早めに切り上げて着替えてもらおうとは思っていても、タイキシャトル本人が積極的にファンの声に応えたい側のウマ娘だ。
ウィナーズサークルがカメラに囲まれれば、必然的に撮影会が始まってしまう。
カメラに向かってピースするタイキシャトルに引っ張られる形で隣に並んで、フユミも同じように顔をカメラに向ける。
たぶん一緒に写るのは邪魔だと思うが、フユミが傘を差している右手をタイキシャトルが掴んでいるので自分からは離れにくい。
仕方ないので手首だけ曲げて、タイキシャトルのほうに傘を傾ける。
「フユミトレーナーは笑わなくていいでーす!そのままでー!」
あのカメラマンはどこの所属だ?
少し思うところはあるが、それより撮影会をスムーズに終わらせて早く着替えさせよう。
フユミは少しだけ不機嫌になりつつも、そこからもう少しだけカメラの前でタイキシャトルと並ぶことにした。
ここで撮影を無理に切り上げたら、たづなさんからまた「少しはファンサービスも心掛けてください!」と怒られる。
あくまでも自然にうまいこと言って切り上げたい。
「あーっ!雨で濡れてカメラが動かん!」
やっぱりもう切り上げてもいいだろうか?
「4コーナーのタイキシャトル、確かに撮したな?」
「確かにズームでタイキシャトルだけを撮しましたけど……俺には普通に外から捲り返したようにしか見えないッスよ?そもそもそれが普通じゃないって言えばそうなんスけど」
若手の編集者がハンディカムのモニターで撮った映像を見返して、撮れ高を確かめる。
タイキシャトルが外に跳び、インを跳んできたパイライトボムを次に踏み出した左の一足で捉えて右足の2歩目には並んでいる。
目を皿のようにして動画を観ないとまるでワープでもしたかのように前に跳ぶ様から、一蹴りの伸びが尋常ではないことがよくわかる。
買ってそんなに経たない新しめのハンディカムのフレームレートでの映像で、タイキシャトルの動きだけが少しコマ飛びしているようにすら見えるのだ。
横で並んで目の当たりにしたら、何が起きたのかまるでわからないだろう。
「編集長、タイキシャトルのコレからいったい何が見えてるんスか?」
編集長はペグシルで頭を掻きながら、少し考え込んで口を開いた。
「何も見えてこない、ということが見えてるな。どういうことかわかるか?」
「何もわからない、ってことじゃないっスか」
「いいや……レースを長年観てきた私がまるっきりわからないようなものだ。これはレースとは完全な畑違いの産物、レースの中で培われたモノじゃないということだよ」
タブレットの画面を指でなぞり、編集長はデータベースを開く。
月刊トゥインクルが表に出してまとめているモノとは違う、完全に社外秘の自分達が集めて積み重ねたウマ娘やトレーナーのデータベースのそれだ。
その中のフユミの項目に改めて、2つの動画データを差し込んでいく。
「過去、数多のウマ娘やトレーナーがレースの世界に外からいろんなものを持ち込んできた。新体操術に医学、統計学、心理学……騎士武術に弓術、西洋剣術……そのだいたいは純粋にただ走ることをとことん突き詰めた現代スポーツ学に取って代わられたり押し潰されたりしたし、ほとんどのトレーナーにとっての基礎はそこにあるわけだが……」
ひとつは今まさに撮ったNHKマイルのもの、そしてもうひとつはケンタッキーダービーのもの。
その動画の注釈に編集長はメモ代わりに予想を書き込んでおく。
リマインドに書いているおおざっぱな予想だが、そこまで的はずれなモノではないだろう。
「フユミトレーナーはその外から来た人間だ。確証はまったくないが、レースの外から何かを持ち込んできた。その一定の成果が、きっとこの2人だ。追ってみないと、わからないけどね」
『タイキシャトル雨のNHKマイル勝利!』
ベッドに寝転んだまま、タブレットの画面に出ている速報を見る。
記事の内容を見るに、大雨の中をぶっちぎったらしい。
当然としか言えない結果に、欠伸が出る。
やる前からわかりきったことだった。
ただですら元々のパワーが違う上に、観察眼もあって立ち回りも上手かった。
彼女が日本に渡っていなかったら、昨日のトロフィーがこの部屋の床に転がっていることはなかったかもしれない。
そこまで考えてから画面端の時間を見て、いつもより遅い時間の起床になったことに気付く。
ただですら激しかったレース後の上に、夜遅くまでパーティーに付き合わされたせいだろう。
身体が重くて起き上がる気にもなれないが、早く起きて次へと向かわなくては。
欠伸をもうひとつ出してから仰向けに寝返りを打って、両足を天井に向けて伸ばす。
そのまま腰を浮かして、少しだけ足を広げてぐるり、ぐるりとゆっくり回していく。
片足ずつ踵がお尻に付くまで膝を曲げて、まっすぐ伸ばして、指を1本ずつ開いて、閉じて、それを何度か繰り返して。
前は数回で足が攣ったり土踏まずが攣ったり、何故か二の腕が攣ってベッドで悶絶していたのが、今は足の指先で空にへのへのもへじくらいは書けるようになってきた。
毎朝の寝起きのストレッチをほどほどに、ベッドから起き上がってテーブルに出しておいた着替えとタオルを持ってシャワーに向かう。
昨日のレースが夢なんかじゃないことを、冷や水を浴びて確かめたい。
夢のようだった、なんて思い出にしたくない。