逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
「トレーナーさん、スリップしたあの子は……」
撮影を切り上げて控え室に戻ったタイキシャトルが最初に気にしたのは、転倒したウマ娘のことだった。
前を追っていた相手が転んだのだから、当然と言えば当然だろう。
直接巻き込まれるよりは遥かにマシではあるのだが、それでも目の前で事故られて平気でいられるウマ娘などそうそういない。
むしろ、さっきの写真撮影が終わるまで外でおくびも出さなかったことを褒めたいくらいだ。
「上手な転け方をしていた。救急車には自分で歩いて乗っていたし、そこで特に足を引き摺ったりもしていなかった。擦り傷切り傷はあるだろうが、不良バ場なのも考えれば打撲もそこまでのダメージにはならないハズだ。精密検査込みでも明日にはトレセンに帰ってくるだろう」
「それなら、いいのデスガ……」
ホッとしたタイキシャトルは、足を広げて伸ばすように投げ出して椅子にへたり込むように座る。
落ち着いた、と言うには少し座りかたが浅い。
タイキシャトルも足を痛めているのが、一目でわかった。
写真撮影の時にしがみついていたのも、おそらくそれが理由だ。
さっきのレースから、タイキシャトルが痛めているところは見当が付いている。
「……タイキ、足を診せなさい。右から」
「ミギ、い……イエス!」
やっぱり隠している。
痛む場所が場所だから当然だろう。
タイキシャトルだって年頃の乙女だ。
恥じらいが勝る程度の痛みなら、重傷ではないだろう。
湿布を貼っておけば、そこの痛みは収まるハズだ。
今は、他の部分で怪我とかがないかを診るべきだ。
ブーツを脱がせて、べっちょりと泥水を吸って貼り付いたソックスを上の口から指先を入れてゆっくりと広げて少しずつ脱がしながらふくらはぎの張りを確かめる。
レース後だが濡れたソックスと気温のせいか、肌は少し冷えている。
外から冷えるのはあまりよくない。
「スズカ、そこにある白い箱を開けて中からおしぼりを出して」
「はい、どうぞ」
小型のウォーマーで温めておいたおしぼりをサイレンススズカから受け取り、ソックス越しに染みた泥汚れを拭き取りながらタイキシャトルの足を温めていく。
足首や膝に特に異常はない。
腱を切ったり脱臼や骨折があればそもそも走ってられないだろうから、当然だろう。
とりあえず想像よりひどい状態ではないことを確認出来たので、ヨシとしよう。
左足も同じように、異常は見られない。
タイキシャトルの顔を見上げると、口許を手で隠しながら下を見ている。
目線を追った先は、右足の太股。
もっと言えば、スカートの裾より上。
昔、デリカシーが足りないと蹴られたことがあるから、慎重に行こう。
「タイキ、ここまでは膝から下を診た。これから膝より上を診るが、その前に聴いておく。痛むのは右足の付け根、股の内側だな?4コーナー出口で外に跳んでから内から跳んできたパイライトボムを競り落とすために、右足を踏み込んだ時のハズだ」
「……い、イエス。ソノ……」
少し驚いたあと、少し怯えたように目線を逸らす。
実際に触られるのは、さすがに恥ずかしくて嫌なのだろう。
痛みより恥ずかしさが勝っている段階なら、問題はない。
「さすがに痛むところを触ろうとは思わないから落ち着いてほしい。場所が場所だからね。湿布を貼っておけば収まるし、スパッツの下ならライブ中に目立つこともないだろう。僕は出ておくが、自分で処置出来るハズだ。念のために訊くが、腰には痛みがないね?」
「イエス、ダイジョーブ!デス!」
これなら痛み止めの湿布でこと足りるハズだ。
痛めた場所もそれこそ、ライブではまず自発的に動かすような部分の筋肉ではないから問題なくこなせるハズだ。
カバンから温湿布を出して、隣にいたサイレンススズカに渡す。
ライブ用に替えのソックスとブーツは既に横に置いてあるから、他の準備も問題ないハズだ。
「じゃあ、僕は部屋を出ておくから湿布貼ってライブ用に着替えを済ませたら出るように」
「マイ、ずいぶん熱心に見てるじゃないか」
飛行機の中でシートを思いっきり倒して足をプラプラ遊ばせながら持ち上げたタブレットを見上げているスカイズプレアデスの珍しい姿に、隣の席の中年男は思わず声に出してしまった。
よせばいいのに、と端から見ても思うことだろうが、当人もしまったと即座に後悔した。
そして後悔なんてものは、いつだって後の祭りなのである。
「そりゃあ、義理とはいえ弟の快挙だもの。海を跨いで1日でGⅠ2勝したトレーナーなんてそうそういないでしょ?」
「……弟君かね。海を跨いだとはどういうことだ」
一回この女の口を開かせてしまったら、あとは本人が飽きるまで喋らせるしかない。
そのことを身に染みてわかっているのに、またやってしまった。
飛行機が着陸するまでにこの女が黙る見通しは、立ちそうにない。
「朝イチでケンタッキーダービー獲って、そのままNHKマイルまで獲っちゃった。どうよ?快挙よ!快挙!」
スカイズプレアデスが見せてきたタブレットの画面には記事が2つ並べているが、NHKマイルのほうには緑の勝負服のスタイルのいいウマ娘と並んでフユミが写っている写真が載っているが、ケンタッキーダービーのほうはまるで写真撮影を嫌がるようにカメラのほうに顔を向けていない黒い髪のウマ娘だけが写っている。
1日で2つ獲ったと言うが、そもそもアメリカから日本にハシゴすることが物理的に厳しいだろう。
そもそもトレーナーになりたてでいきなり海外に挑むなど、聞いたことがない。
そもそも黒い髪のウマ娘がフユミの担当にいた覚えがない。
実際、ニュース記事にも担当トレーナーの名前がない。
「そのケンタッキーダービーのほうは、弟君の担当ではないんじゃないかね」
「書類上の担当は別人だねぇ。登録されてる今の所属もケンタッキーのクラブになってるから、この子は日本のウマ娘でもないって感じ。面白いわねぇ。アメリカから日本に渡ってきて蹂躙していく留学生ならいっぱいいるけど、逆は初めてじゃないかしら」
スカイズプレアデスはニヤニヤしながら笑っているが、この情報の限りでは、フユミとその黒い髪のウマ娘は繋がっていない。
ならばなぜ、スカイズプレアデスはこんなことを言っているのだろうか。
「いったい、その黒い髪のウマ娘は弟君と何の関係が?」
「知ーらなーい」
「は?」
どういうことだ。
こいつの言動はいつもいつも無茶苦茶だ。
しかし、今まで虚言妄言までは言い出さなかったハズだ。
この前の路上レースで、ついにアタマが何かにやられたのだろうか。
少なくとも頭を打つどころか五体満足無傷でトロフィーを持って帰ってきているハズだが。
「レースでの動きがアタシの知ってる動き方してた。根拠はそんだけ。でも確かにこいつはアタシの同門よ。つまり同じ奴をトレーナーにした、この偉大なアタシ様のとーっても優秀な妹弟子ってことよ」
「は、ダートの上でドリフトでもかましたってのか?」
そんなことをやったなら、ニュース記事にも書かれるだろう。
実際にはそんなことを一切やらず、普通にレースをして勝ったハズだ。
そういう意味を込めた一言に、スカイズプレアデスはわずかに目付きが変わった。
悩んでいるような、笑っているような、迷っているような、喜んでいるような、後悔しているような、嘲ているような、よくわからない目の色で。
「いいや、この子達はもっと出来がいい。だからドリフトなんてやらない」
スカイズプレアデスはメチャクチャだ。
そのドリフトで散々コーナーで前のウマ娘を追い回して、何人の相手が壁に海にクッションドラムにと突っ込まされたかという結果が、貨物室にあるトロフィーだろうに。
レース全体で特注のシューズを10足も履き潰して勝った女が、言うことだろうか。
スカイズプレアデスはタブレットをこちらに投げやると、そのままアイマスクをして寝転がる。
ただ一言だけ、寝言のように呟いて。
「…………そそられるわね」