逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
「タイキさん、大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。痛めたのは、普段なら意図しても使い方がわからないところだ。湿布で痛みを止めて数日安静にしてればすぐに治まるよ」
「そっか。よかったぁ」
部屋を出て、自販機の並ぶ休憩エリアまで歩いてから、後ろを付いてきたマヤノトップガンがフユミに訊いてきた。
わざわざ部屋から離れてから、つまり部屋の中にいるサイレンススズカに聴こえないくらい離れてから訊いてきたのだ。
本題はきっと、別にある。
「ねぇ、トレーナーちゃん」
「なにかな?」
自販機の前で財布を出している時に、もう一度マヤノトップガンは訊いてきた。
きっとこれが、本当にマヤノトップガンが訊きたい質問なのだろう。
「タイキさんがしたことって、何?」
「コーナー出口で仕掛ける直前に転倒したウマ娘を避けるために横っ飛び。そこから次の脚で無理矢理前に更に跳んだことで負荷がかかった」
「トレーナーちゃん」
説明を遮るように、マヤノトップガンは一言だけ呼んだ。
マヤノトップガンが知りたいのは、タイキシャトルの怪我のことではない。
タイキシャトルが4コーナー出口で何をしたのか、なのだ。
マヤノトップガンは気付いているのだ。
タイキシャトルが見よう見まねで身に付けたそれは、『彼女』がフユミのところから持ち出したものだ。
三人の中で伸び悩み気味だった彼女がフユミのところから持ち出した秘中の秘。
フユミはマヤノトップガンに、今の段階でそれを教えるつもりはなかった。
タイキシャトルが見よう見まねで身に付けただろうそれを、マヤノトップガンにも一から教えれば、きっと即座に身に付けるだろう。
だが、それを身に付けたとしても、マヤノトップガンのレーススタイルを考えれば、余計な荷物にしかならないことが目に見えている。
つまるところ、マヤノトップガンを弱くすることにも繋がりかねない。
それに、今のマヤノトップガンの身体でやらせるには負担が大きい。
ただですらマヤノトップガンは、彼女の才能と本格化に、身体そのものの成長が追い付いていない。
弥生賞で逃げ勝負をした時は、心肺機能が追い付かず、過呼吸を起こして倒れた。
皐月賞で末脚勝負をした時は、膝裏の腱が限界に迫って末脚を弛めるしかなかった。
そんな彼女が今の段階で、それを身に付けて本番で繰り出した時のリスクは、無視できない。
だから、フユミは教えるつもりはなかった。
デメリットとリスクばかりで、メリットが少なすぎる。
しかし、タイキシャトルのあの脚捌きをそのまま放置するわけにはいかない。
見よう見まねの独学で身に付けた以上、確立した技術にはなり得ないのだ。
しかし、放置すれば悪癖になりかねないそれを修正しようとすれば、近くにいるマヤノトップガンは確実に見よう見まねで身に付ける。
マヤノトップガンに隠し通すのは、間違いなく無理だろう。
「マヤ、ちゃんと約束してくれる?約束を守れるなら、タイキがしたことと、これからタイキに教えていくことをマヤにも教えるよ」
「……うん」
マヤノトップガンは約束の内容を言う前に頷いた。
もともと彼女は物分かりがいい子だ。
約束を守らなきゃいけない理由さえハッキリすれば、約束を守ってくれるハズだ。
「わかったとしても僕がいいと言うまで、自分では絶対に使わない。約束出来るね?」
「うん、ちゃんと守るよ」
ここまで念押ししている約束だ。
マヤノトップガンの表情も、真剣になってくれている。
これなら、教えてもいいだろう。
フユミは、マヤノトップガンを信じることにした。
教授する関係はつまるところ、信頼ありきだ。
教える側からも、教わる側からも、信頼がなければ成り立たない。
今更ながら、身につまされる。
「……タイキがやったのは、僕がとあるウマ娘に教えた技術のそれを見よう見まねの模倣で身に付けたシロモノだ」
「トレーナーちゃん、それって」
「そう、UAEダービーのトロフィーを送り付けてきた僕の元担当……今の呼び名で呼ぶならアルコルアリコーン、彼女に僕が教えたモノが大元だ」
「それじゃ、トレーナーさん達を呼んでくるわね」
「ハーイ!」
フユミに頼まれて、タイキシャトルのスパッツの下の痛めている足の付け根の際どいところに、渡された湿布を貼ったり、ライブ用の替えに用意していた靴とソックスに履き替えさせたり、諸々の準備を整えさせたあと。
サイレンススズカは、部屋の外に出たフユミと一緒に出ていったマヤノトップガンを呼びに行く途中、彼女の耳に休憩スペースでの二人の会話が聴こえてきた。
聞こえる限りは、マヤノトップガンがフユミを問い詰めていて、渋々という形だろうがフユミが答えているらしい。
咄嗟に通路の曲がり角に隠れて、二人の話に聞き耳を立てることにした。
ここで顔を出してキッカケを作ったら、彼はこれ幸いと話を打ち切るに決まっている。
「キッカケは1人目が去った時かな……たぶん、魔が差したんだろうな。僕は力を求めていた彼女にこっそりと、隠していたソイツを教えたんだ。実際に身に付けたかどうかを確かめる前に、彼女はいなくなったがね」
“彼女”が誰のことなのかは、サイレンススズカにもすぐにわかった。
皐月賞前にトロフィーを送り付けてきた、面識のないよくわからないウマ娘だ。
その彼女に、フユミは何を教えたというのだろうか?
少なくとも自分が教わったことよりも、より深いことを教わったのだけはサイレンススズカにも想像出来る。
彼から教わったことの中で、ひとつだけある異質な技術。
それが彼の隠しているだろう事の中では、きっと枝葉に過ぎないものなのは、話の様子からしても明らかなのだ。
「僕の養父は、とある田舎の剣道場の門下生だったらしくてね。その道場が潰れる時に秘中の秘とも言える奥義、それを持ち出したそうだ。僕が彼女に教えたのは、その養父がレースの場にその奥義を持ち込んで考案した身体操作技術による無窮の末脚。もっとも、養父自身は義姉にそれを仕込めなかったし、義姉も義姉でまるっきり使いこなせないヘタクソだったんだが」
サイレンススズカはそこでようやく気付く。
自分が教わったものは、そういえばどう呼ぶのかわからないことに。
観音山以来、明らかに自分は長く速く走れるようになったのに、それがどういう原理のものなのか、その技術の名前すら知らない。
「『雲耀』、それが養父が僕に引き継がせたもので事実上、僕が彼女にだけ教えた秘中の秘だ」