逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
「トレーナーさん、これは?」
NHKマイルから2日空けた、トレーニング再開の日。
授業が終わった瞬間に教室をそそくさと出て、一番乗りでトレーナー室に入ったサイレンススズカは、段ボール箱を広げてテーブルにいろんな物を並べているフユミに尋ねた。
「トレーニング用具だ。見ての通り、でもないけど」
フユミがそう言って段ボール箱から取り出してテーブルに並べているものは、トレーニング用具として見るには些か……というよりまるっきりズレているようなものだ。
しかし、フユミがこの部屋に遊び道具やゴミを並べるとも思えないし、そもそも本人が真面目にトレーニング用具と言っている以上はそうなのだろう。
サイレンススズカは、テーブルに置かれたものを順番に見ていく。
まずは、しっかりした作りのリュックサックが3つ。
その内の1つは観音山での練習で自分が背負ったものだから、見覚えがある。
残りのリュックサックは、それぞれ大きさが違うが、背負うのが自分達ならタイキシャトルは大きいのを、マヤノトップガンは小さいのをそれぞれ背負うのだろうから納得だ。
そして、同じ大きさのポリタンクが何個か。
よく見ればリュックサックの幅は全部同じで、縦にしか大きさが変わらないし、ポリタンクは寝かせて入れればそこにピッタリ収まるサイズだ。
あの走りにくい山の往復を、タイキシャトル達にも走らせるつもりだろうか?
問題はここからだ。
大量に袋詰めされたゴム風船と、風船の持ち手用のプラスチックの棒の束。
これだけだと、これからイベントで飾ったり配ったりするためとしか思えない
その隣には結構な厚さをしている月刊のマンガ雑誌が3冊。
けっこう前の刊行らしく、裏には一年以上前の日付が書かれている。
フユミがマンガを読んでいる姿を見たことはないし、号数も連続していないし、古本屋のロゴが描かれたビニール袋がその横でゴミ袋になっているので、彼はわざわざ古い月刊誌を買ってきたらしい。
そして、最後にカラースプレーを何本か並べたところで、タイキシャトルが入ってきた。
当然、タイキシャトルも気になったらしい。
「トレーナーさん、ワッツディス?」
「トレーニング用具だよ。タイキが見様見真似で覚えたフットワークを矯正するためのね。ちゃんと手直しすればこの前痛めたようなことにはならないどころか、もっと飛距離を増していくことが出来る。だが、しっかり直さないと最悪、脚がもげて吹っ飛ぶ」
少し大袈裟が過ぎるような気がするが、フユミが冗談を言っているようにも見えない。
タイキシャトルもそれがわかるのか、茶々を入れずに真面目に聞いている。
「君が真似しているフットワークをきちんと身に付けてもらうために、安田記念ではなくもう少しあとのレースに出てもらうことにしたが、これでもスケジュール自体はかなりタイトだ。身に付くのが遅ければ次はサマースプリント、下手をしたら秋の大舞台にぶっつけ本番になる。それだけ根深い問題ということは、わかってほしい」
「……オーケー、これでどんなトレーニングをするんデスカ?」
フユミの目一杯の嚇しが効いたのか、恐る恐るといった感じでタイキシャトルは質問してきた。
対するフユミは、背にした窓の外を親指で差して答える。
「お外で理科の勉強だ」
「オゥ!ホワッ!?ワワッ!?」
数刻後、タイキシャトルは少しパニックになっていた。
別に横から驚かされたわけでもない。
何かに追い立てられて逃げているわけでもない。
単にリュックサックを背負って、同じようなリュックサックを背負ったサイレンススズカを追い掛けているだけのハズなのだ。
「タイキ、無理に走っちゃダメよ」
コーナーに入る前にチラッと後ろを見たサイレンススズカからそんな言葉を言われたが、そんなことを言われてもタイキシャトルはサイレンススズカと同じ速度でコーナーに突っ込んだのだ。
タイキシャトルのパニックは、そのコーナーで起きた。
肩から身体が外に引っ張られて、思ったように曲がれない。
ムッとして強引に曲がろうとした瞬間、今度は内に一気に身体が引き倒されそうになる。
立て直すのに踏ん張ると今度はまた外に身体が引っ張られ、抵抗するとまた倒れそうになる。
さっきまでは少し邪魔臭かっただけのリュックサックが、まるで悪霊が取り憑いたかのようにタイキシャトルの身体を振り回すのだ。
訳がわからない。
タイキシャトルは、リュックサックの中身が当然ながら悪霊などではないことを知っている。
だからこそ、この状態が理解出来ないのだ。
背負っているリュックサックの中身は、水の入ったポリタンクが3つ。
いっぱい水が入っているのは一番上に載った1つだけで、そのポリタンクも満水まで入っていない。
その下のポリタンクにはその半分くらい、一番下に至ってはほとんど空っぽだ。
重さだけなら、ウマ娘からしたらちょっとした軽い荷物にしかならない。
それなのに、少しバランスが崩れただけでめちゃくちゃに身体が振り回される。
「ノッ!ノォーッ!?」
ついに転びそうになって、なんとか踏ん張って止まったタイキシャトルはコースの大外の路肩で膝に手を置いて息を調える。
走った距離は大したことはないし、スピードだってそこまで乗った状態じゃなかった。
背中の荷物も、さりとて重くないものだ。
なのに、肩で息をするほど疲れきっている。
リュックサックひとつでこんなことになるだろうか?
「大丈夫か?」
「ノー……コレ、どういうコト?」
駆け付けてきたフユミとマヤノトップガンに、タイキシャトルは率直な疑問をぶつける。
今やったことは、言ってしまえば荷物を背負って走ったら転びかけたというだけだ。
これのどこが理科の勉強なのか、そもそも本来なら今やることはトレーニングではないのか、といろいろ思うところがある。
「今、肩から背中にズシッと荷物の重さが載っている状態のハズだ。そこからゆっくり、ちょっとずつ腰から上だけ身体を起こしてみようか」
タイキシャトルはフユミから言われた通りに、ゆっくりと身体を起こしていく。
少しずつ起こしていくと、一瞬だけ背負っていた重さがふっと消えたような感覚がして、今度は背中を引っ張られるような重さを感じる。
その瞬間にフユミが、タイキシャトルの肩を手で押さえた。
「一瞬だけ、背負っている荷物が軽くなっただろう?そして今は逆に荷物に肩を引っ張られるような重さを感じたハズだ」
「イエス、コレは……?」