逃がさないスズカと逃げるマヤと逃げられないトレーナー 作:エアジャガーる
「ねぇ、何やってるのかな?あれ」
「あれ?どれかしら?」
トレーニングルームで休憩中、窓の外を見ていたスペシャルウィークは、コースを走るサイレンススズカ達を指して、近くでルームランナーの上を走るちょっと高飛車な感じのウマ娘に尋ねた。
ルームランナーから降りて、スペシャルウィークが指す窓の外に大きなリュックサックを背負ったまま走っているサイレンススズカ達の姿を見て、彼女も首をかしげる。
「……大荷物を背負って全力疾走?なんですの、あれ。一人はコーナーでヨロヨロになってるし、ただ膝への負荷がかかるだけで、おおよそ地方でもやってないだろう三流にも劣る内容のトレーニングにしか見えないわね」
「そうなの?」
「えぇ、とてもじゃないけど一流とは言い難いものよ。ここから見た限り、だけど」
彼女はそこから目を離さず、コーナーを回るサイレンススズカの姿を目で追っていく。
彼女の言葉通りの内容なら、とっくに目を離して自分のことに戻るハズだ。
しかし、何故か彼女はそうしない。
それどころか、瞬きを我慢してまで見入っているようにすら見える。
「……あのリュック、中身があまり入ってないわね。空っぽではないけど、きっと見た目通りの重さはしてないわ」
「そうなの?見ただけなのにわかるの?」
彼女の言葉に、スペシャルウィークは問い質す。
目線を落としたかと思ったらぱちぱちと瞬きをして、閉じた目を目蓋の上から指で押さえてしばらく俯いてから、彼女はスペシャルウィークに向き直る。
「コースの柵は幅が全て同じなのは、もちろんあなたも知ってるわね?自分のリズム感覚が一流なら、時間内に通った柵の柱の数からある程度は速度も導き出せるわ。その上であなたが指してたサイレンススズカさん、彼女のラップを導き出すと……軽く流しているよりは明らかに速いペースで走っているわ。大荷物を背負った状態ではそもそも出せないペースで、ね。ここから考えられるのは、サイレンススズカさんがとびきりパワフルで荷物を背負うくらいは苦にしないほどマッシブなウマ娘か、荷物が見せ掛けだけのハリボテで外に向けて虚仮威しのアピールをしているか、そのどちらかということよ。そして……」
コース全体を一瞥して溜め息を吐いたあと、彼女は唐突にスペシャルウィークの手を引いて窓から離れる。
突然のことに、スペシャルウィークはよろけながらも連れられる。
「ちょ、ちょっとキングちゃん!?」
「インターバルは終わりよ。雑談に興じている暇はないわ。一流のウマ娘たるもの、時間を無駄にしないものよ」
キングちゃんと呼ばれた彼女は、そのままスペシャルウィークを引っ張って、窓から離れたルームランナーまで連れていく。
スペシャルウィークは後ろ髪を引かれる感覚がしながら、それでも彼女に連れられるままルームランナーに乗ってしまった。
スペシャルウィークのルームランナーのスイッチを入れてから、彼女も隣のルームランナーに乗り込む。
「この私、キングヘイローと二人きりのトレーニングなのよ?余計なことを気にしてる暇はないわ!どんどん続けていくわよ!」
「う、うん」
彼女の名はキングヘイロー。
トレセン学園に来たばかりのスペシャルウィークに、模擬レースの出走を勧めたクラスメイトだ。
そして彼女は、今のスペシャルウィークの状況に、ある意味で一番気を揉んでいるかもしれない。
当然ながらそんなことは、スペシャルウィークには一欠片も見せてはいないのだが。
「これは重心というものを、実体験でわかってもらうためのものだ。重心の位置が変わると、同じ重さでも身体にかかる負担はがらりと変わる。はい、気をつけ!」
フユミがタイキシャトルの肩から手を放して、ぱちんと手を打つ合図に合わせて、タイキシャトルは背筋を伸ばすと、背負っている荷物の重さがズシッと肩にのしかかる。
踵から後ろにふらついて、一歩後ずさってしまった。
重さとしては大したことはないハズなのに。
「マヤに問題だ。今、タイキが背負っている背中の荷物の重心はどこにあるかな?」
「んーとね、リュックの下のここ!」
マヤノトップガンは少し考えてから、タイキシャトルが背負っているリュックサックから差している指を尻尾の下まで下ろして、地面を差した。
「正解、マヤは賢いね。この重心は、いろんな要因であっちこっちに動くんだ。例えばコーナーで曲がろうとした時、中の水は遠心力で外に引っ張られる。そうすると荷物の重心も外に動くから荷物の重さと遠心力の合体で外に思いっきり引っ張る力になる。そしてその力に抗おうと身体を内に倒して引っ張り過ぎるか減速すると、今度は遠心力に打ち勝った中の水は内側に動いて、今度は下に落ちる……つまり内に倒れる力と中の水が動く力で一気に倒れそうになるわけだ」
フユミはマヤノトップガンが持ってきたリュックサックを開けて、中から水が半分ほど入ったポリタンクをひとつ取り出して持ち上げる。
「この重心の移動自体は、この荷物がなくても、自分の身体だけでも普段から起きていることなんだ。この荷物を背負ってもらったのはあくまでも、重心そのものと重心の移動が起こす現象をより大袈裟に感じるためだ」
「それ、私の時には説明してないですよね?」
コースを一周して戻ってきたサイレンススズカは、背負っていたリュックサックを下ろしながら、少しジト目でフユミを問い詰める。
そういえば、フユミはサイレンススズカに口頭で説明したことはまるでない。
というよりも、まるで必要なかったのだ。
「君は自分で気付くどころか、身に付けるとこまで一足飛びしたからね。スズカはたぶん身体ですでに理解していることの復習になるけど、少しお勉強しようか」
「…………はい」
荷物を下ろしたサイレンススズカは少し不満げな顔で、マヤノトップガンの隣に並んだ。
飲みこみの早さを褒めたつもりなのに少し拗ねて見えるのはひとまず置いて、フユミは話を進めることにする。
「この水そのものは君達にとっては大した荷物にもならない重さしかないが、少しでも力任せの雑な荷重移動をすると、そのまま一足遅れて水が動く。例えばワイングラスに水を注いだ状態でカウンターを滑らせた時に、ワイングラスが止まった瞬間に中の水が揺れるのと同じようにね。そしてこのポリタンクの中の水は、君達が走る時の力に引っ張られて動くわけだから、当然ながら大きな力を持つ。それこそ君達自身を振り回すくらいは訳ないほどのね。そこで第一の課題だ」
フユミは持っているポリタンクを軽く上に投げてから、下から手を伸ばしてそのままウェイターが盆を持つように片手で持つ。
ウマ娘の筋力ならなんてことないが、フユミはただの、もっと言うなら華奢な人間だ。
それなりの大きさをしていて、水もそれなりに入ったポリタンクをアッサリと片手で持つのは無理がある。
「重心という、野放しになっている姿の見えない隣人をしっかりと捉えて、自分の味方にする。それが出来れば、この水に身体を振り回されなくなるハズだ」